一日12レースのドラマ―競馬場の片隅で。

 

「ここには来ないでくれ」

 

競馬の一日の始まりに

Aにかけた言葉。

 

「分かった」

 

スタンドに消えていくA。

何かが変わることを信じて―

 

☆ある一日の記録

 

「どの馬が良い?」

「それはここでは言えない」

「そうか。みんなライバルだもんな」

 

1レース目のパドック。

 

まだ人もまばらなこの時間の

男二人の会話。

それ以上話すことなど

この場所には無く。

 

発券機で馬券を買い

Aに手渡した一枚の馬券。

 

「もし勝ちが決まったら連絡する」

 

12レースの死合いの幕が上がった。

 

 

☆ビハインドからのスタート

 

カネ。

 

こんなものにどれだけ人間が

振り回されて生きていることか。

何にも知らない赤ん坊でさえも

この影響からは逃れられない。

 

「1レース目は、外したな・・・」

 

レースを見ずに臨んだ次のパドック。

背中にぶつかってくる実況に

冷めた現実を突きつけられて。

 

「おまえのやっていることには興味がある」

 

上から目線のAの言葉。

 

「プロの仕事を見せてやる」

 

勢い言い放った昨晩の言葉。

 

走っているのは競走馬だが

確かにそこに自分がいる。

だから競馬は怖い。

人生と同じように先が分からない。

 

 

☆当たらない

 

「とうに染みついている。」

 

競馬予想が簡単に行くときほど

長いスランプが頭をかすめて

これくらい当たってもいいだろうと

無意味に尊大な自分が出てくる。

 

「これに食われるよりはマシだ」と。

 

居直るしかない2レース目になる。

 

競馬が難しいことなど当然で

だからこそ生き残りをかけて戦う。

自分にはそれしかできないのだから。

 

 

☆メンタル

 

ごまかしきれないもの。

それがメンタルの圧倒的な力。

 

ガミろうが何しようが的中が

きちんとこの手に舞い降りてきた。

その手応えを掴みつつ高揚感を

鎮圧しなくてはならないところ。

 

「Aの馬鹿野郎、Aの馬鹿野郎・・・」

 

この際呪文はなんだっていい。

勝つ以外の解決法がここでは

全く機能しないのだから。

 

「昼は一緒にどうだ」

 

Aの言葉を突っぱねた朝の記憶。

覚めていなければ見えないものが

この世にはあまりにも多すぎる。

 

 

☆向こう岸

 

「これが終われば、中休みだ・・・」

 

ただギアチェンジのために思う言葉。

 

ひとつ言葉を浮かべる間に

通りすぎる一頭を見失っては

意味のない行動に過ぎなくなると

何千回も思い知らされてきた。

 

目を瞑る。思い出す。

一頭一頭の輪郭を。

 

序列をつけて配信が終わると

馬券を買いに発券機に飛び込んだ。

 

これで飯が食える。

一旦、向こう岸の日常にたどり着いた。

 

 

☆再び、水の中へ

 

魚はなぜ泳げるのだろう。

鳥はなぜ飛べるのだろう。

親を倣うくらいでは人間が

飛べるようになるとは思えない。

 

トキノミノルは無敗のまま

ダービーを制してこの世を去った。

自分のような凡才と違い

輝くものに満ち溢れていた。

 

かじりついて削り出し

磨けるような原石があるなら

それが何かを知りたいと思うのは

当然の心行きだろう。

 

どこかで逆転せねばならない。

その足掛かりはここなのか。

 

疑問に思わなかったことはない。

 

 

☆夢と期待

 

腹を満たすものは何でもいい。

それが食べ物でさえあるなら。

 

そうやって選ばずにいられたのは

夢と期待を食っていたからだろう。

敗戦に身を焦がす度に十分

腹を満たせたことを後悔した。

 

未来の自分が好き勝手食うために

今の自分が飢えることの意味。

 

人が衣食足りて礼節を知るとは

大人になるまで知らなかった。

 

 

☆負債

 

「お前の言うことはもっともだと思うよ」

 

Aは悪びれることなく言った。

 

もしかすると表情を察せられない

電話越しだったからかもしれないな・・・と

 

カネの切れ目に陥る前の姿を

思い返している自分に嫌悪した。

 

「もし今日上手くいったらまず・・・」

 

お前に払うよとは誠意だろうか。

その割に整った衣服からは

その気を察することはまるでできない。

 

人のカネで遊び呆けるクズには

真実味がまるで伴っていない。

 

そうやって生きてきた間に負債を

減らす算段は確実にあったのだ。

それができないAのあぶく銭を

発券機の口に食らわせていた。

 

 

☆消えていくもの

 

Aが失ってきたものは全て

大切なものばかりだった。

 

今思うことはAの手には何が

残っているのかということだった。

 

見栄や焦燥に拝金法など

粗末な一団は結託しており

人の殻を被った闇の中で

同じ類のものを取り込んでいる。

 

その闇から生じた1万円で

光を見ることなど不可能だ。

 

そんなことは初めから分かっていた。

 

久々の再会にAは現実を

見据えているようには感じなかった。

 

 

☆無駄なあがき

 

悪役がドラマで使う決め台詞に

「無駄なあがき」

という言葉がある。

 

このセリフは悪役の心情的に

あがくことへの恐怖心が透けている。

 

それなら足掻くことを選ぶ。

 

 

☆言い訳

 

「カネが無いのは事実だ」

と開き直るような口調で言ったA。

 

なるほどそれは真実だろうが

そうなった理由までは分からない。

 

その理由を信じられるほどに

馬鹿に見られているのかもしれないし

それともただの純朴な奴だと

勘違いされているのかもしれない。

 

Aは優しいのだろう。

 

自分でもそう思っているはずで

だからこそこんなにも残酷だ。

 

 

☆メイン

 

異変。

 

サトノアレスが除外になった。

 

返還が決まり計算すると

Aのカネはまだ多少残っている。

 

だがこの道をやり抜くためには

たった210円だけ不足していた。

 

「だから言ったろ・・・」

 

溜息をついて

僅かばかりのカネをポケットから取り出す。

 

この210円は地獄への駄賃だ。

全部絞り出して燃え尽きろ。

 

最後の飢え切った無駄なあがきが

発券機に全て食われていった。

 

 

☆最終

 

「最後だ。一緒に見よう」

「分かった」

 

連絡を入れてスタンドに並ぶ。

 

Aと話すのは6時間ぶりだった。

 

「これを。」

「?」

「馬券。」

 

Aに一日分の馬券を手渡す。

 

「証拠。」

「ああ・・・で?」

 

一日の成果を窺うA。

 

「的中したのは3レース、あとメインの返還分がある」

「・・・ダメじゃね?」

 

うっすらと浮かんだAの笑みが

意味するところは分からない。

 

「自分のカネで遊ばれる気分は?」

「・・・。」

「このレース、13番は強い。」

「へえ・・・。」

「だが2番手はなんとも。」

 

Aの感情は読み取れなかった。

 

「勝負は最後まで分からない。」

 

最初の1レース目に別れるとき

Aに言った言葉を繰り返す。

 

ここでもう一度言うことになるとは・・・

予想していたことかもしれない。

 

―スタートしましたー!―

 

実況アナの声が場内に響く。

13番はしっかりスタートを決め

絶好の2番手に取り付いた。

 

「お。」

 

Aがつぶやく。

 

東京のダート1400mは

1分半もあれば全て終わる。

13番は2番手のまま徐々に

勢いを加速させていった。

 

Aのあぶく銭は全て使い切った。

あとはただ結末を受け止めるだけだ。

 

13番は力強く4コーナーの

砂を蹴り上げてゴールへ向かった。

 

☆ゴール後の風景

 

一日の終わり。

 

払戻し可能な馬券の清算を

一度に済ますために並んだ列。

 

「どうやるんだ。」

 

というAの言葉に

連れだって並んでいた。

 

配当を告げる音声が流れて

前から順番に受け取りが終わる。

的中馬券を入れた機械から

Aの手の中にカネが吐き出された。

 

その金額は―

 

Aに何をもたらしただろう。

 

この時のカネがAの今後に

何をもたらしていくだろう。

 

 

☆俺にも・・・

 

家への帰り道。

 

Aの言葉ひとつひとつをゆっくりと

思い出しながら歩いていた。

 

「実はずっとパドックが見える位置で

座っていたんだけど・・・

ここを無視していく連中が競馬と

向き合っているようには見えなかった。」

 

それこそAは競馬のいろはを

きっちり学んできたわけじゃない。

データ党にも優れた予想家は多く

一流の論理があることを知らない。

 

あくまでパドックで結果が出せると

知った今だからこそ言える言葉だ。

 

ただこのあと漏らしたAの言葉には

言いようのない何かが感じられた。

 

「・・・俺にも運が残っていたということか・・・」

 

つぶやくようにAは言った。

 

最終レースが始まった時に

既にAの軍資金は尽きていた。

たった210円の支援がなければ

勝機すら得ることができなかったのだ。

 

「プロですら簡単に勝てるものじゃない。」

 

ギャンブルへの期待に釘を刺した。

 

万馬券を手繰り寄せた最終は

偶然の奇跡では片付かない。

 

ただ諦めず驕る気持ちを切り捨て

馬を見て当てることに打ち込んだ・・・

その単純で地味な作業をこなし

必要な軍資金をつぎ込んだ。

 

そしてその資金を回収するため

体力と精神をすり減らし

たった160円の利益を得るために

6時間の自由を手放した。

 

全てはたった160円のために―

 

☆何が変わったか。

 

Aを支援した210円は重い。

それがAには理解できるか。

 

Aは今日何を期待していただろう。

そして自身の何を試しただろう。

 

運が残っていると感じたなら

それをどうやってこれから掴むのだろう。

 

僅か160円ばかりの利益と

勝利の事実だけを胸に携えて

Aは分かれ道を家に向かって

真っすぐに歩いて行った。

 

競馬がこれからも続くように

人生もまた続いていく。

 

そして今

三度思うことは

しつこいほど繰り返しに過ぎないが―

 

「勝負は最後まで分からない」

 

そうだ。

この言葉をAに送ろう。

 

 

*「パドックロード」2019.5.11東京競馬全レース配信より