競馬小説「アーサーの奇跡」第96話 怖いんです…

登場人物紹介

上山 匠(かみやま たくみ)

当物語の主人公。20歳。アーサーをきっかけに競馬を知る

三条 結衣(さんじょう ゆい)

匠の憧れ。年齢不詳。佐賀競馬場でアーサーと出会う

小川(おがわ)

謎の男。小倉で登場。匠の前に突然現れる

荒尾 真凛(あらお まりん)

女性騎手。22歳。アーサーの主戦を務める

滝沢 駿(たきざわ しゅん)

男性騎手。35歳。数多の名馬を知る天才

十勝 嵐太郎(とかち らんたろう)

男性騎手。40歳。テンペスターの主戦騎手

競馬小説「アーサーの奇跡」登場人物紹介

前回までのあらすじ

 

天才騎手と称賛されている、駿を執拗に攻め立てる十勝。

ビッグツリーを一気に出し抜くと、伊達の背中を追い駆けるのでした…

競馬小説「アーサーの奇跡」第95話 十勝嵐太郎

競馬小説「アーサーの奇跡」第96話

第96話 怖いんです…

 

「匠さん…」

画面を不安気に見る、匠の背中に結衣がつぶやいた。

 

「大丈夫…大丈夫です…おれも真凛さんとアーサーを信じます…」

匠はその声を聞き取って、ポツリと結衣に声を返していた。

 

残りあと800m地点。

 

アーサーは3番手で追いすがる、ビッグツリーからも離されていた。

 

―まだまだ先頭はロングフライト!不良馬場でも構わず離します!追い込みを見せるテンペスターから、10馬身ほどのリードがあります!ビッグツリーはどうしたことでしょう!テンペスターとは差が開きました!3馬身、更に4番手に居たアーサーは馬群に沈んでいった~!―

 

「いいぞ伊達~!このままゴールインだ!後続も脚は切れないはずだ~!」

「そうだ行け~!このままワンツーだ~!人気馬両方飛んで、いただきだ~…!」

伊達と共にロングフライトが、水しぶきを蹴り上げて逃げていく。

 

いよいよ4コーナーに差し掛かり、内ラチ沿いから距離を取っていた。

 

―おお~っと伊達はインから離れます!内目は避けていくのが正解か!逆にインに突っ込むテンペスター!こちらは距離ロスを封じてきます!しかしまだまだ前には届かない!無敗のビッグツリーも危ういか~!―

 

「追え滝沢~!まだ何もやってない、ビッグツリーの強さを見せてくれ~!」

「おれたちゃお前を見に来てるんだ~!こんなところで諦めないでくれ~!」

ビジョンには前を走っている、3頭しか映らなくなっていた。

 

「…」

匠はその様子を、唇を噛んで見守っていたが、結衣は胸に手を当ててうつむくと、一人心の中で唱えていた。

 

「(ああ神様…。わたしずっと今まで、匠さんのそばに居られたらって…。そればかり考えてきました…。でもやっぱり本当の気持ち…打ち明ける勇気がないんです…)」

結衣はこれまでを思い出して、匠のことをじっと見つめていた。

 

―アーサースタミナ切れを起こしたか!先団から置き去られていきます!重い重い水の浮く馬場のなか、追い上げるのは厳しく思えます~…!―

 

「(…怖いんです…)」

背中を見つめていた。

 

「―匠ちゃん!」

高校時代の結衣は、不意にその声に足を止められた。

 

「(匠さん…!?)」

その名前に振り向くと、慌てて視線を馳せる結衣だった。

 

証明写真を撮りに来た9月。

府中の並木道のことであった。

 

「いま帰り?ちょっとこれ手伝って!いっぱい買い物しちゃったんだけど…。はいこっち、重い方お願い!」

明るい声が匠に呼び掛けた。

 

「はあ!?なんだよもう、いきなり出てきて…しかも人に持たせるってさあ…。おお重い…なに入ってんだよ…。小麦粉か?店のは、どうしたんだ…?」

匠と話す女性が誰か、結衣にはすぐに理解ができていた。

 

「(奏さん…。かわいいパン屋さんの…。付き合ってる感じじゃないけど、いつ見ても本当に、仲良さそう…)」

結衣はこの日、証明写真の予約を写真館に入れていたが、後ろを歩く匠に気づかずに、いつの間にか手前を歩いていた。

 

「そう小麦粉。重いでしょう?結構…。これからパン焼く練習するんだ…!」

「練習かあ…でも練習するなら、店の小麦粉の方がいいだろう?おじさんの味を目指すんならさあ…」

奏の声に匠が問い返す。

 

「それはだめ。お客さん用だもん。それに邪魔したりできないからさあ…。来年高校生になるまでは、目え一杯、遊べって言われたし…」

「へえおじさん、そんなこと言うんだ…。何だか父さんとも似ているなあ…。おれも好きにしろって言われるから、かえって手伝いにくいんだよなあ…」

そんな二人の声を聞きつつ、高鳴る胸を結衣は抑えていた。

 

「(今帰り…。じゃあこのまま一緒に、写真屋さんに行くことになっちゃう…。どんな顔、してたらいいのかな…)」

結衣がふと立ち止まっていると、追い越していく匠の隣から

「―重い?」

と尋ねる奏の声に、ドキンと胸を鳴らした結衣だった。

 

「まあ、このくらい…」

そう言った匠の、背中を見つめて結衣は一人きり

「(…)」

視線を落としながら、ゆっくり交差点を歩いていた。

 

「(わたしって…。何やってるんだろう。匠さんがこんなに近くに居て…)」

結衣はこの日、高校の中で見知らぬ男子に告白をされた。

一目惚れだと告げる男子を見て、付き合えないです、と断っていた。

 

「(ごめんなさい…。何も知らない人に付き合って下さいって言われても…。どうしていいのか分からないし…)」

奏と話す匠を見つめ、結衣はそのことを思い出していた。

 

「(でも同じ…。きっと匠さんには、わたしも知らない人に過ぎないし…。それにもし覚えてるとしても、重い女って、引かれちゃうよね…)」

奏の笑顔を見つめながら、結衣はその場所で立ち止まっていた。

 

「もうちょっと…遠回りして行こう…」

結衣は二人から距離をとって、大邦神社の鳥居をくぐると、一人欅並木を見上げながら、参道の奥へ踏み出していった。

 

「(こうやって…。この神社に来る度、ずっと匠さんに会えていたから…。だからわたし…)」

結衣はうつむいて、匠の背中を思い出していた。

 

結衣は匠と出会った縁により、初詣にも毎年来ていたが、必ず匠を見かけることから、導かれる力を感じていた。

 

「(毎年初詣には匠さん、お父様と一緒に来ているのも…。わたしずっと知っていたけれど…。でも結局お礼言えなくて、高校だって近くになったけど…。忘れてて当然なんだから…)」

結衣は声が掛けられなかった。

 

「(高校入試の時だって写真、撮ってもらいにここまで来たけれど…。お父様にも言えなかったし、今日だってやっぱり、言えそうにない…)」

結衣は社殿に向かい拝むと、写真館へ一人歩いて行った。

 

「―それじゃあ撮るよ。そのまま…はい、終わり…!」

善男の撮影は速やかで、誘導されるままに撮り終えると、結衣は深々、頭を下げていた。

 

「(ああ、ごめんなさい…。勇気が出なくて。あの時は、ありがとうございました…)」

結衣は迷子の日を思い出し、心を込めて頭を下げていた。

 

「うん…?いやいや。こちらこそありがとう。こっちは商売だから気にせずに…。またなんかあったらよろしくね」

善男が笑顔で答えていた。

 

それから再び受付に戻り、撮り終えたことを結衣が伝えると

「…まあ本当、可愛いお嬢さんね。写真は履歴書サイズでいいわね…?」

真弓がふと尋ねかけていた。

 

「はい…」

その声にコクリと頷くと

「―あの母さん!ちょっとこれから駅に、数学のノート買いに行くけどさ…パーカー!あれどこにやったっけ…!?」

匠が扉から飛び出した。

 

「(匠さん…!)」

結衣が目を丸くすると

「あ、ああ…お客さん…。その、すみません…」

匠も驚いて会釈して

「やあねえ、この子ったらもう、本当…」

真弓が苦笑いで答えた。

 

「…玄関よ。すぐ着て行くんでしょう?」

真弓が呆れたようにつぶやくと

「ああ、そっか…」

慌てて返事をして、バタンとドアを閉める匠だった。

 

「ごめんなさい。まだまだ子供よねえ…。お嬢さんみたいに落ち着かなくて…」

複雑な真弓の表情に

「いえ…」

と結衣はひと言つぶやくと、顔を真っ赤にして、うつむいていた。

 

「(今までも…わたしは匠さんに、何度も何度も会って来たけれど…。それはわたししか、知らないこと…。怖いんです…どう思われるか。だからアーサーがだめだったら…)」

結衣は回想から目覚めると、先頭を映す画面を見つめた。

 

―さあさあロングフライトが先頭!世代の頂点まで3ハロンだ!しかしテンペスターがイン強襲、一気に先頭に迫ってきます!ビッグツリーも後ろに追いすがる、アーサーはこの位置では苦しいぞ~!―

 

「ワアアアアッ…!」

コーナーから直線に差し掛かり、ロングフライトが水を跳ねていく。

 

隊列もばらけ、アーサーにはもう先頭が霞むほどの位置だった。

 

「(わたしのせい…。こんな臆病だから、アーサーをきっかけにしようとして…。やっぱり、だめなのかもしれない…)」

結衣がふとその場でうつむくと

「アーサー行け~!まだまだ!大丈夫~…!」

匠が声を張り上げていた。

 

小川がそんな匠を一瞥し、ニヤと笑ったのが結衣に見えると

「無理だろ~!」

という声が沸き上がり、周囲からは嘲笑が広がった。

 

「匠さん…」

結衣がつぶやいた声に

「大丈夫…」

匠は振り返ると、引きつったような笑みで答えつつ、結衣の瞳に頷きかけていた。

 

次回予告

 

匠の必死の声援を聞いて、罵声を上げる周囲の男たち。

それを見ていた小川が隣から意外なひと言を投げかけますが…

 

次回競馬小説「アーサーの奇跡」第97話 嵐を呼ぶ男

前回は:競馬小説「アーサーの奇跡」第95話 十勝嵐太郎

はじまりは:競馬小説「アーサーの奇跡」第1話 夏のひかり

*競馬も恋も感動も!学べる競馬純文学

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です