登場人物紹介
上山 匠(かみやま たくみ)
当物語の主人公。20歳。アーサーをきっかけに競馬を知る
三条 結衣(さんじょう ゆい)
匠の憧れ。年齢不詳。佐賀競馬場でアーサーと出会う
小川(おがわ)
謎の男。小倉で登場。匠の前に突然現れる
荒尾 真凛(あらお まりん)
女性騎手。22歳。アーサーの主戦を務める
滝沢 駿(たきざわ しゅん)
男性騎手。35歳。数多の名馬を知る天才
前回までのあらすじ
「逃げと追い込み、どっちが正解だ―?」唐突な小川の質問に
答えあぐねる匠の背後から、結衣がはっきりと答えるのでした…
目次
競馬小説「アーサーの奇跡」第92話
第92話 強心臓
―さあさあ、日本ダービーも既に2コーナーを先頭が回ります!先頭は断然ロングフライト!2番手以下を引き離しています!20馬身は差がついたでしょうか!不良馬場でも加減はありません!―
「ワアアアアッ…!」
大歓声に沸き立つスタンドは容赦なく打ちつける雨に負けず、逃走していくロングフライトに惜しみない声援を送っていた。
「逃げろ伊達~!そのまま行っちまえ~!お前以外にこんな雨の中で気持ちよく行けるヤツはいねえぞ~!」
「そうだ行けー!その馬は逃げ馬だ!逃げなきゃキャラが殺されちまうぞー!遠慮なくインを突き進んで行け~!」
伊達を支持するファンの多さは匠も前走で感じていたが、それに頷くと今度は隣で傘を差す小川に問いかけていた。
「伊達さんは…強心臓と言って、大胆な騎乗をする騎手だとか…。小川さんは、知っていましたか…?」
唐突な匠の問いかけに
「匠さん…?」
結衣は目を丸くすると、匠の表情をうかがっていた。
「ふん…誰でももう、知っていることだ…」
小川がつぶやくその言葉に
「そうですか…。じゃあ、ロングフライトは…?」
匠が続けて尋ねていた。
「(匠さん…?)」
結衣がじっと見つめると
「…」
小川も匠を見て、その質問に口を閉ざしたまま、鋭い視線を送りつけていた。
「何が言いたい…」
小川の問いかけに
「お返しです…」
匠が答えると
「…」
黙ったまま見下ろす、小川に匠が話しかけていた。
「…小川さんはいつだって不意打ちで、おれの前に現れてきたでしょう…?さっきだって突然の質問や、相手をコントロールしようとして…。正直、気分は良くないです。だからそっくり真似をしてみました…」
匠が逸らさずに見つめると
「…」
小川は黙ったまま、匠のことをただ見下ろしていた。
「…そりゃ確かに、馬券取り忘れたの、自分が悪かったとは思います。だからって…気がついているものを、わざわざ目の前で取り上げるのは…。違うんじゃないかと思います。邪険な態度を取り続けるのも…」
匠が過去のことに触れると
「匠さん…?」
結衣が訝(いぶか)しみながら、匠に向かって尋ねかけていた。
「この人は…。小倉で出会った時、発券機に忘れたおれの馬券…。ズボンの中にしまったんです。それで返してくれと言ったら、一万円札を渡して消えて…。それが最初の出会いなんです」
匠はその声に答えると、小川に続けて話しかけていた。
「この前は…。あの緑の丘では…その、ありがとうございました。結衣さんのこと、守ってくれたから…。あとそそっかしいって指摘も、悔しいけど、反論はできません…」
匠が続けるその言葉に、小川は黙って口を閉じていた。
「でも、これから…。またこうしてこれから、小川さんに会うことが有るんなら…。おれが初心者とは言ったって、対等な関係で会いたいです。アイスクリームを渡した時点で、借りはもう既に返してるんだし…」
匠が続けるその言葉に
「はっはっは…!」
小川が声を上げた。
「…」
匠が黙ったまま、視線を逸らさずじっと見つめると
「匠さん…」
結衣がポツリつぶやいて、黒い傘の中をうかがっていた。
「くっくっく…」
小川は相変わらず、可笑しさが止まらないという風で、笑いを鎮めるのに苦労すると、匠を見下ろしながらつぶやいた。
「すまんな…とでも、言うと思うか…?」
嘲(あざけ)った小川の表情に
「思いません」
きっぱりと答えると、匠は構わず話しかけていた。
「それはそうと…さっきの質問です。ロングフライトはどう思いますか…?」
真っすぐ問いかけるその声に
「…」
一呼吸置きながら
「…馬もだな…」
小川が答えていた。
「そうですか…」
ビジョンに向き直った小川にひとつ匠は頷くと、今度は結衣の方に振り返って、ピースを作り、笑顔でつぶやいた。
「やりました…答え、引き出しました…!」
屈託なく笑うその声に
「くすっ…」
結衣も思わず微笑むと、小川の方をチラと見つめていた。
「…」
小川は黙ったまま、ターフビジョンを真っすぐ見ていたが、その表情はどこかほんの少し、和らいだ空気感になっていた。
「強心臓…。伊達さんはこれまでも、こういうレースをしてきたんですね…。それに馬も、ロングフライトも、同じようにレースを走ってきた…」
匠がそうポツリつぶやくと
「…」
一呼吸置いてから
「…自分を懸けることができるやつは…。馬も騎手も変わらないことだ…」
小川がポツリ、つぶやいていた。
実況の声が先頭を捉え、1000mの通過を告げている。
61秒6で雨の中、ロングフライトが駆け抜けて行った。
次回予告
天才的な体内時計から慌てず進めて行く滝沢駿。
ビッグツリーの隣でアーサーも中盤戦に向かっていきますが…
はじまりは:競馬小説「アーサーの奇跡」第1話 夏のひかり