競馬小説「アーサーの奇跡」第88話 ゲートイン

登場人物紹介

上山 匠(かみやま たくみ)

当物語の主人公。20歳。アーサーをきっかけに競馬を知る

三条 結衣(さんじょう ゆい)

匠の憧れ。年齢不詳。佐賀競馬場でアーサーと出会う

小川(おがわ)

謎の男。小倉で登場。匠の前に突然現れる

荒尾 真凛(あらお まりん)

女性騎手。22歳。アーサーの主戦を務める

競馬小説「アーサーの奇跡」登場人物紹介

前回までのあらすじ

 

国家独唱の声を聞きながら、昔のことに思いを馳せる結衣。

そこに突然現れた小川に、匠も結衣も目を丸くしますが…

競馬小説「アーサーの奇跡」第87話 国家独唱

競馬小説「アーサーの奇跡」第88話

第88話 ゲートイン

 

降りつける雨音を感じながら、ただ立ち尽くしている匠を見て、隣で傘を差す小川はポツリ

「買ったのか…」

匠に問いかけた。

 

「え…?」

固まっている匠に向かい

「馬券だ…」

そう返した小川に、匠ははっとするとポケットから、単勝馬券を出してつぶやいた。

 

「これですが…」

差し出された馬券を、小川は何も言わずに見つめると

「…」

今度は結衣の方に、視線を馳せてひと言つぶやいた。

 

「で、あんたは…?」

そう尋ねる小川に

「同じです…」

結衣がポツリつぶやくと

「ザアアアア…」

雨音が強まって、傘のあいだを通り抜けていった。

 

「くっくっく…」

小川の笑い声が、雨音の中に鈍く溶け込むと、匠は「アーサー」と記されている、単勝馬券をしまい、問いかけた。

 

「なぜここに…?」

ポツリと言う匠に、小川は構わず前を見つめると

「用がある…」

ひと言だけ匠に、重たい声でポツリとつぶやいた。

 

「用がある…?」

匠が問いかけると、小川はターフビジョンをじっと見て、アーサーの馬体を確かめながら、つぶやくように再び問いかけた。

 

「なぜ買った…」

小川のその言葉に

「なぜ…?」

匠がポツリと返すと、小川は無言のまま立ち尽くして、その答えに聞き耳を立てていた。

 

「…」

二人が何も言わず、沈黙の時間が流れていくと

「ふふっ…」

と結衣が不意に漏らす声で、重たい沈黙も破られていた。

 

「結衣さん…?」

匠が結衣に振り向くと

「あの、すみません…。だって匠さんに、さっき話したこと、当たってたので…」

そう返すと結衣は微笑んで、チラと小川の方を見つめていた。

 

「(―ふふっ、小川さん。匠さんのこと、実は毎回追っかけてたりして…)」

結衣が冗談で言ったことを、匠はその場で思い出していた。

 

「(冗談じゃ…なかったらどうしよう…)」

匠が思ったその瞬間

―ターン、タタターン、タタターン…!―

ファンファーレが大きく鳴り響いて、歓声と共に広がっていった。

 

「ドオオオオッ…!」

匠の周囲からは、沸き立つような地鳴りが聞こえたが、気づくと先程までより多くの人たちが周囲にひしめいていた。

 

「行けー!ビッグツリー!ダービー制覇だ、お前以外に本命は居ねえぞ~!」

「任せた駿~!お前が鞍上なら、どんな結果でも受け止めるからな~!」

1番ゲートに吸い込まれる、ビッグツリーが大映しになると、周囲の歓声が更に上がって、雨音すら聞こえなくなっていた。

 

「…」

小川は歓声にも、全く動じる素振りを見せずに、周囲の熱狂にも変わらぬまま、傘を持ち、そこに立ち尽くしていた。

 

―さあ今5番のロングライトが、誘導されてゲートに入ります!いよいよ発走が近づきました、各馬着々ゲートに進みます!―

実況の声が更に高まって、歓声の中を通り抜けていく。

 

「ザアアアア…」

雨音が容赦なく、その中に降りつけてくるのだった。

 

「凄い雨…」

結衣がそうつぶやくと

―ゲートはスムーズ!今13番、テンペスター、ゲートに入りました!6000頭の頂点は一体、どの人馬が上り詰めるでしょうかー!―

「ワアアアアアッ…!」

奇数番の各馬が枠入りして、偶数番が誘導されていく。

 

傘の花が乱れ咲くスタンドに、突如照明が灯されていった。

 

―おおっと照明が灯されました!緑の芝が雨中に浮かびます!雷雨に煙る東京競馬場、いよいよ発走が近づきましたー!―

 

そんな変化にも脚を止めず、出走馬たちは輪乗りを行い、次々誘導されてはゲートへ、その馬体を粛々、収めていく。

 

「ゴクリ…」

匠が固まっていると、ターフビジョンにアーサーが映った。

 

「真凛、行け~!」

「応援してるからな~!」

周囲からそんな声がすると、匠はドキンと胸を打ち鳴らし、鼓動を一人確かめるのだった。

 

「(ああ、アーサー…。ダービーの瞬間が…ついに、この時が来ちゃったんだ…)」

匠はドキドキと鳴る胸に、雨音すら聞こえなくなっていた。

 

「負けるかよ~!ビッグツリーのやつが、土を付けられる訳がないだろ~!」

「そうだ行け~!中央のエリートが、どれだけ凄いか証明してやれ~!」

周囲で歓声が上がっても、匠にはもう聞こえていなかった。

 

「(ドッドッド…)」

胸の音が高鳴り、それ以外の音が消え去っていく。

固唾を飲んで見守るスタートに、匠は決心を確かめていた。

 

「(もし、勝ったら…。もし勝ったら、アーサー。おれも絶対逃げないで言うから…)」

一頭だけ雨に残された、アーサーが静かにゲートに向かう。

 

―さあもうこれが最後のゲートです!アーサー18番に入ります!日本ダービー、その戦いから、どんなドラマが生まれるのでしょうか!いま全馬ゲートイン、完了です…!―

 

匠はカメラを握り締めていた。

 

次回予告

 

小川の質問のことも忘れて、カメラをじっと握り締める匠。

アーサーにかかる歓声に不意に、善男の声を思い出すのでした…

 

次回「ジンクス」は3月15日(水)公開予定です

前回は:競馬小説「アーサーの奇跡」第87話 国家独唱

はじまりは:競馬小説「アーサーの奇跡」第1話 夏のひかり

*ダービー編加速。これまでを一気読み!学べる競馬純文学

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