競馬小説「アーサーの奇跡」第68話 たこやき

登場人物紹介

上山 匠(かみやま たくみ)

当物語の主人公。20歳。アーサーをきっかけに競馬を知る

上山 善男(かみやま よしお)

匠の父。53歳。上山写真館2代目当主。競馬歴33年

三条 結衣(さんじょう ゆい)

匠の憧れ。年齢不詳。佐賀競馬場でアーサーと出会う

競馬小説「アーサーの奇跡」登場人物紹介

前回までのあらすじ

 

迷子になった結衣に声をかけて、父の元へと連れ出した少年。

その名前を呼びながら父親が、結衣の様子を確かめるのでした…

競馬小説「アーサーの奇跡」第67話 きれいな声

競馬小説「アーサーの奇跡」第68話

第68話 たこやき

 

商店会の特設テントでは地元の商店主が集っていて、酒を囲んで賑やかなムードが、テントの外側まで溢れていた。

 

「上山さん、また戻って来てよね!競馬の話の続き、またしよう!」

少年の父の背後から届く、楽しげな声がそう呼びかけると

「(上山…匠…)」

名前を確かめて、結衣は少年を一瞥していた。

 

「あのですね…!さっきも言いましたが、今年はユーサーで鉄板ですよ!天皇賞春も強かったけど、無敗で古馬王道制覇ですよ!」

少年の父が声を返したが、結衣にはさっぱりの内容だった。

 

「グラスワインだって現役だから、スペシャルデイズが引退したって、そんなの夢みたいな話でしょう!それにせっかく写真屋なんだから、ユーサーばっかり追いかけてないで、たまには他の馬のも見せてよね…!」

わっはっはっと笑う声がして、さあ飲むぞ~という声が漏れると、少年と父と結衣は三人で、テントの外へと歩き出していた。

 

「まったく分からんかな、あの強さが…」

少年の父がポツリ言うと

「父さん、競馬の話はいいから!この子をしっかり助けてやってよ!」

少年が腕を取ってそう言った。

 

「おお、そうだ…」

そんなやりとりのあと、少年の父が結衣を見つめると

「それで君は、なんて名前なんだい?」

早速結衣に向かって問いかけた。

 

「そう言えば全然、聞いてなかった」

少年が結衣をじっと見ると

「ゆ…ゆぃ…です」

結衣は小さな声で、緊張した顔でつぶやいていた。

 

「ゆう、だって!そんな感じがするよ!」

少年が父にそう告げていると

「おおそうか、いい名前をしてるな!」

少年の父がにかっと笑った。

 

「(ゆい、なのに…)」

男に見えたためか、小声だったせいかは分からないが、とにかく二人がそれに頷くと、結衣も

「まあいいか…」

とつぶやいていた。

 

「何か言った?」

少年がそう言うと

「いや、別に…」

結衣が返事をしたが、今度は結衣のその言葉を聞いて

「きれいな声!」

と父が声を上げた。

 

「(きれいな声…)」

結衣がきょとんとすると

「ね、本当!」

と少年が答えて、結衣は慌ててフードの先端を、ぐっと下の方に引っ張っていた。

 

「それにしても大変だったな、君!もうちょっとで交番に着くからな」

大邦神社の鳥居の前には、小さな交番が置かれていたが、結衣が来た時は人混みの中で、まったくそのことに気づかなかった。

 

「ごめんなさい。ちょっと横切りますよ」

少年の父が人波を分けて、少しずつ前へと歩いて行くと、ごった返す行列の隙間から、若い男の警官が出てきた。

 

「正樹(まさき)くん!今日は君が出勤か。迷子を連れて来たからよろしくな!」

「上山さん!協力、助かります!分かりました。早速話聞いて、この子の親御さん、探してみます!」

少年の父と警官はどうも、顔見知りのような感じだったが、商店主と地元の警官なら、そういうものかとも結衣は思った。

 

「正樹くん、嫁さん元気にしてる…?うちのやつも今度、遊びに来いと…」

「真弓さんが!はい、伝えておきます!」

何やら親し気な雰囲気だった。

 

「…あの兄ちゃん、母さんの知り合いと結婚したから時々来るんだ。警察官やってるだけはあって、おれにも優しいから安心だよ…」

少年が不安にさせまいと、結衣にこっそり耳打ちして言うと、結衣は耳元でささやいた声に、ドキッと胸が揺れ動くのだった。

 

「それじゃあ君、ちょっと質問するね?メモ取りたいからこっち来てくれる…?」

警官が問いかけた束の間

「すみません!あの、うちの子が迷子で!お巡りさん、あの、助けてください…!」

必至の形相でそう言いながら、女性が交番に駆け込んで来た。

 

「お母さん!」

結衣がそれに気がつくと、目を丸くしたまま声を上げたが

「結衣!」

と春がすぐに振り返ると、辺り構わずに、抱きしめて言った。

 

「ごめんね結衣…。携帯なんか見てて…。目を離したわたしが悪かったわ…!」

春は自分の非を伝えると、結衣を強く抱きしめてそう言った。

 

「お母さん…」

結衣はほっとしていたが、春が怒らないのにも驚いて、どうしたらいいか分からなくなって、よしよしと春の背中をさすった。

 

「ううううう~…」

春は抱きしめたまま、声を殺してむせび泣いていたが、しばらくして落ち着くと立ち上がり

「ありがとうございました…」

と言った。

 

泣き止んだ春が頭を下げると、少年も、父も、若い警官も、二人を見守るような眼差しで

「良かった、良かった…」

と微笑んでいた。

 

「あの、えっと…」

結衣がそうつぶやくと、それを見ていた少年がはにかみ

「…これあげる。頑張ったご褒美に」

釣ったばかりの金魚を差し出した。

 

「え…いいの…?」

目を丸くした結衣に

「悪いあとには、いいことがなくっちゃ…!」

そう言って袋を手渡すと、嬉しそうにその目を細めていた。

 

「―本当に、ありがとうございました」

それから春がお礼を言いながら、何度となく頭を下げていたが、結衣も駅へと向かう帰り道で、何度も後ろを振り返っていた。

 

「また来いよ」

少年はそう言って、最後に結衣ににっこりと笑った。

 

そのあと府中の駅についてから、結衣と春はベンチに腰掛けたが

「―そうだ」

と思い出したように春が、たこやきのパックを開いて言った。

 

「ごめんね、結衣…。お腹減ってるでしょう…?」

つぶやいた春の言葉にひとこと

「うん…」

と言った結衣は崩れかけた、たこやきの形をじっと見つめた。

 

結衣はその崩れかけたたこやきに、春が焦っていたことを察して

「ごめんなさい…」

ひとことつぶやくと

「いいのよ…」

春がひとこと返した。

 

結衣はそこから一つ取り上げると、早速口のなかに頬張ったが、すっかり冷たくなったたこやきに

「おいしい…」

とその目を潤ませていた。

 

次回予告

 

過去の記憶を辿る結衣の元へ、警官と共に駆けつける匠。

結衣は匠の意外なひと言に、思わず声を詰まらせるのでした…

 

次回競馬小説「アーサーの奇跡」第69話 ありがとう

前回は:競馬小説「アーサーの奇跡」第67話 きれいな声

はじまりは:競馬小説「アーサーの奇跡」第1話 夏のひかり

*読むと、競馬がしたくなる。読んで体験する競馬予想

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