登場人物紹介
上山 匠(かみやま たくみ)
当物語の主人公。20歳。アーサーをきっかけに競馬を知る
上山 善男(かみやま よしお)
匠の父。53歳。上山写真館2代目当主。競馬歴33年
三条 結衣(さんじょう ゆい)
匠の憧れ。年齢不詳。佐賀競馬場でアーサーと出会う
荒尾 真凛(あらお まりん)
女性騎手。22歳。亡き父・栄一に代わり転厩直後のアーサーの緒戦に臨む
前回までのあらすじ
ロングフライトの走りに思わず、言葉を失ってしまった匠。
結衣の声に意識を取り戻すと、アーサーが飛び込んでくるのでした…
目次
競馬小説「アーサーの奇跡」第60話
第60話 真空を裂いて
「(この子、凄い…!)」
アーサーの背に乗った、真凛は手応えを確かめていた。
遥か前方を逃走していたロングフライトを目がけアーサーは、一完歩ごと、飛ぶような走りで、馬場の中央を切り裂いて行った。
―2番手から上昇するアーサー!凄まじい勢いで伸びてきます!一完歩ごとにロングフライトのリードを一気に侵略していく~!
「ワアアアアッ!」
場内実況もファンの叫びも最高潮にまで達していたが、真凛はアーサーの背でかつてない一体感に無心になっていた。
「(なんだろう…。まるで裂けていくみたい…。ロングフライトが止まって感じる…)」
アーサーの鞍上で真凛は、これまでにない風を感じていた。
「(静かだわ…。暗闇の中みたい…。それなのにこの先は光っている…)」
真凛はアーサーの行く先が、輝いているように感じられた。
そして3コーナーでのアーサーが、出て行かなかったのが理解できた。
「(そうか…ごめん。あなたはまだわたしに、「行くべきじゃない」と言ってくれたのね…。3コーナーで焦ったままで、仕掛けてしまったわたしに向かって…)」
真空を裂く走りのなかで、アーサーの意思を感じた真凛は、アーサーが脚を溜めていたことを、その手応えから感じ取っていた。
―さあもうゴール板は目の前です!ロングフライトが着陸寸前!だがアーサー!異次元の切れ味で、ゴール前ライバルを強襲する~!―
先頭の伊達も鞭を入れて、粘り込もうと檄を飛ばしている。
真凛はそれを見てムチを握ると、右手を高く前へと突き出した。
「(…わかったわ…。ここがその「今」なのね…。この一発はわたしからのサイン…。ここから追うわ!あなたの全力に、わたしもしっかり付き合って見せる…!)」
真凛はアーサーの胴に向け、振り上げた鞭を一撃入れると、アーサーは更に首を低く下げ、弾けるように前へと飛び出した。
―ようやく荒尾真凛、鞭を入れた!アーサーが一気に加速しました!凄い勢いだ!ロングフライトに、あと7馬身差まで迫りました~!―
最後の直線の1ハロン。
スタンドの熱は頂点を超えた。
「聞こえねーだろが後ろ来てるぞ~!逃げろ伊達~!手を緩めるんじゃね~!」
「そんなところから届くわけがねえ~!止まっちまえ、そこで諦めちまえ~!」
ロングフライトを応援するファンの絶叫がターフにぶつかる。
匠と結衣はその声も気にせず、ありったけの声で背中を押した。
「アーサ~!行け~!」
「アーサ~!真凛さん~!」
真凛はその声を受け取っていた。
「(わたしは全然分かってなかった…。アーサー、わたしは平気だから…。あなたはわたしをかばっていて、スピードを出し切れないでいたのね…。知ってる、お父さんも見ている。わたしたちをきっと、今もどこかで…。怖くない、優しい声もする、これからもうわたし、前しか見ない…!)」
落馬の記憶を振り払って、アーサーと真凛はひとつになった。
―凄まじい勢いで追い上げます!アーサー一気に差を縮めていく!あと2馬身!逃げるロングフライト!着陸態勢に移行している~!―
逃げるロングフライトをめがけ、一完歩ごと追い詰めるアーサー。
興奮のるつぼと化した府中で、最後の攻防が始まっていた。
―もうゴールまであと50m!40m、20mだ!内、中、離れて2頭が接近!アーサーついに前に並びました!あ~っと今そして…!―
「ワアアアアッ…!」
「アーサ~!真凛さん~…!」
「頑張って~…!」
大歓声に混じって声を出す、匠と結衣もただ前を見ていた。
「―…!」
ロングフライトに並んだ真凛が、伊達の眼差しを突き破っていく。
伊達のゴーグルの下から一瞬、凍り付いた気配が感じられた。
まるでスローモーションを見るように、ゴール板が後方に過ぎ去ると、アーサーと真凛の目には輝く、5月の青空が広がっていた。
次回予告
最後の最後、捉えたアーサーに送られるスタンドからの歓声。
結衣を駅に送りながら匠は、様々なことを思い出しますが…
はじまりは:競馬小説「アーサーの奇跡」第1話 夏のひかり