競馬小説「アーサーの奇跡」第61話 いやです

登場人物紹介

上山 匠(かみやま たくみ)

当物語の主人公。20歳。アーサーをきっかけに競馬を知る

上山 善男(かみやま よしお)

匠の父。53歳。上山写真館2代目当主。競馬歴33年

三条 結衣(さんじょう ゆい)

匠の憧れ。年齢不詳。佐賀競馬場でアーサーと出会う

荒尾 真凛(あらお まりん)

女性騎手。22歳。亡き父・栄一に代わり転厩直後のアーサーの緒戦に臨む

競馬小説「アーサーの奇跡」登場人物紹介

前回までのあらすじ

 

真凛の渾身の鞭に応えて、全速力で突き抜けるアーサー。

真凛とひとつになったその先に、輝く青い空を見るのでした…

競馬小説「アーサーの奇跡」第60話 真空を裂いて

競馬小説「アーサーの奇跡」第61話

第61話 いやです

 

「ワアアアアッ!」

興奮のるつぼと化した府中を、再び匠は思い出していた。

 

「(アーサーが勝ってくれたおかげだよ…こうして結衣さんにご馳走できて…)」

喫茶・欅の会計を終え、匠は結衣と駅へ歩いていた。

 

「ごちそうさまでした」

結衣はすぐに、匠に向かってお辞儀をしていた。

 

「あ、いや。そんな結衣さんに昼食、ごちそうになったのもありますから…」

匠がそう言葉を返すと、結衣は再び顔を見上げていた。

 

「それにしても、なんというかほんとに、沢山詰まった一日でしたし…。結衣さんと一緒に来れたこと、ほんとに良かったなって思います」

匠はそう言うとうつむいて、歩く速さを結衣に合わせていた。

 

「良かったです…。でもわたしの方こそ、おかげで安心していられました。愛ちゃんに声を掛けられた時は、本当にびっくりしたんですけど…。小川さんにも驚きました」

「本当、小川さんて名前も、今日初めて聞いたばっかりですし…。変な人と思ってましたが、やっぱり不思議な人なんだなあと…。それと愛さんとケイさん…?には、挨拶できなくて残念でした…」

結衣の声に匠は頷き、思い出すようにそう答えていた。

 

「いいんです。愛ちゃんとは大学で、また会うこともあると思いますし…。それに話すきっかけができて、大学での楽しみが増えました…」

結衣が大学に通うことは、メールのやりとりから知っていたが、結衣の交友関係については、匠は聞く勇気が持てなかった。

 

「(おれなんか…。もし共学だったら、毎日結衣さんに目がいっちゃうよ…。彼が居ない方が不思議だし、怖くてこれまで触れられなかった…。それに「大事な人と来た」って、どういう意味で言った言葉なのか…)」

匠は彼が来たと誤解し、パドックから帰ろうとしたときに、耳にした結衣の知人の言葉が、ぐるぐる頭を駆け巡っていた。

 

「それにしても…。やっぱり武内さん、アーサーの応援に来たんですね…!」

押し黙っている匠にふと、結衣が明るい声で話しかけた。

 

「…そうですね…。あれは驚きました。結構しっかり見えてるんだなと…。まさか真凛さんまでピースを、こっちに向かってしてくれるなんて…」

青葉賞の表彰式では、武内がすぐに匠に気づいて、真凛を巻き込み、二人でピースをするところを匠に撮らせていた。

 

「本当に素敵なお二人ですね…。わたしも匠さんのおかげで、今日は凄く楽しく過ごせました…。プレゼントも、ほんと可愛くて…」

「喜んでくれて良かったです…。大きくて悪かったかなって…。でも、欅のマスターがくれた、その袋があれば安心ですね」

匠は結衣の笑顔を見つめ、気持ちが昂ったのを感じたが、欅のマスターの心遣いの、手提げを見てその熱を下げていた。

 

「(結衣さんはこんなぬいぐるみさえも、大事にしてくれる人だからなあ…。「大事な人」っていう言葉も、色んな人に当てはまるだろうし…。付き合ってもらいたいだなんて、大それたことなのかも知れないな…)」

悶々としながら歩きつつ、また考えている匠であった。

 

そんな匠に

「…あっ!匠さん!」

と結衣が何かに気がついた瞬間

「ゴンッ!」

と大きな鈍い音を立て、電柱にぶつかった匠だった。

 

「きゃあ!」

結衣がとっさに手を取って、支えながら匠を覗き込むと

「…あ、いった~…!はは、おれはバカですね…。いちちちち…まったくはは、ドジです…」

匠は涙目になりながら、額を押さえ、顔をしかめていた。

 

「平気ですか?!クラクラしていません…?」

心配して問いかける結衣に

「はい!ははは…。おれの取柄(とりえ)と言えば、石頭くらいのもんですからね…」

そう言って匠ははにかんだ。

 

「…」

結衣は匠を見つめ、まだ心配そうな目をしていたが

「平気、平気…ほら、駅に行きましょう!いち、にい、さん…!」

匠は歩き出した。

 

「(いてててて…。ほんと、かっこ悪いな…。なにやってんだ、おれはまったく…。こんなにドジばっかり踏んでちゃ、結衣さんと全然、釣り合わないよ…)」

うっすら目に涙を浮かべて、やせ我慢しながら歩く匠は、結衣が黙ったままなのに気づいて

「結衣さん?おれもう大丈夫ですよ…?」

結衣に向かって問いかけていた。

 

「…」

その言葉にコクリと、小さく頷いた結衣であったが、見るとうつむき、顔を真っ赤にして、何も言わずに並び歩いている。

 

「―…?」

匠は結衣のその表情を見て、不思議そうに首を傾げていたが、片手の自由がないのに気づいて、サーッと血の気が引くのを感じた。

 

「(もしかして…)」

視線を下げて見ると、結衣のしなやかな左手を握り、しっかりと繋いだままの右手が、リズムよく空中を泳いでいた。

 

「わあ!」

匠が叫んでそう声を出すと

「すみません…!」

と手を離そうとしたが、その瞬間、ぎゅっと握り返して、離れていく手を結衣が引きとめた。

 

「え…?」

匠が驚いて目を丸くして、結衣の表情に視線を馳せると

「いやです…」

結衣はひと言つぶやいて、言葉をなくし、そこで立ち止まった。

 

「…」

「…」

結衣は手を離さずに黙ったまま、再び促すように歩いたが、人通りの多い場所まで来ると、すっと手を離し、うつむいて言った。

 

「…ごめんなさい、わたし…。嫌でしたよね…」

つぶやくように匠に言うと

「…いや、そんな…。嫌なんていうことは…」

匠もうつむき、答えていた。

 

「今日はわたし…、ここでお別れします…。いつも送っていただいているので…」

結衣の声に匠はきょとんと

「え…?そんな…」

目を丸く見開いて、うつむいた結衣に話しかけていた。

 

「…」

結衣は何も言わずに、ぬいぐるみに視線を馳せていたが、どこか寂し気な表情をすると、何も言わず、ただ押し黙っていた。

 

「あの、結衣さん…。やっぱり邪魔でしたか?重かったらそれ、おれが持ちますし…。駅までは送らせてください…」

匠が心配して告げると

「いいんです…。重たくありませんし…。それにもう駅も近いですし、匠さんのお家もすぐそばです…」

結衣がうつむきながら答えた。

 

「あの、おれその…手を握っていたこと…本当、まったく気がつかなくって…。すみません…嫌でしたよね、つい…」

匠は結衣が急に帰ると言い出した理由はそれしかないと、知らずに手を握り続けたことを、その場で改めて謝っていた。

 

「…違うんです。わたしこそすみません…。匠さんは何も悪くないです…。そうじゃなくて、その、どう言ったら…。あの、わたし…」

結衣はそう言うと瞳を潤ませ、うつむいたまま、口を噤(つぐ)んでいた。

 

「(おんなじだ…。この前も帰り道、結衣さんは何か思い詰めていた。今度こそ何なのか聞かなくっちゃ…)」

匠がそう意思を固めると

「すみません…いつも本当にわたし…。あのこの子、大事にしますから…!」

匠が尋ねるよりも早く、結衣は顔を見上げ、微笑んでいた。

 

匠はその表情に戸惑って

「は…はい、えっとその…お願いします…」

返すのが精一杯だった。

 

「それじゃ、また…。あの今日は本当に、すっごくすっごく楽しかったです…。本当に、ありがとうございました…!」

「いや、そんな…こちらこそ本当に…!」

お互いそこで一礼すると、結衣は背を向けて、歩き出していた。

 

「(…おい!いいのか?このまんま、さよならで…。これじゃ何も変わらないじゃんか…!)」

匠が自問自答しながら、その場で一人、立ち尽くしていると、結衣はくるりと振り向いて匠に、もう一度深くお辞儀をしていた。

 

「―…」

匠もそんな結衣の仕草を見て、反射的に頭を下げていたが、結衣はそれに微笑むと向き直り、そのまま一人、駅へ消えて行った。

 

「(結衣さんは…きっと伝えたいこと…。本当はきっと何かあったんだ…。バイト中じゃ時間少ないし、プライベートなことはそう聞けない…。でも記録が残るメールじゃあ、やっぱり言えないことなのかもなあ…。やっぱり、このままじゃいけないな…)」

結衣が去った歩道で匠は、ただ一人、その影を見つめていた。

 

次回予告

 

青葉賞が終わったその翌日、新聞の記事に目を通す匠。

アーサーの繰り出した末脚から、ダービーへと夢は広がりますが…

 

次回:競馬小説「アーサーの奇跡」第62話 真価

前回は:競馬小説「アーサーの奇跡」第60話 真空を裂いて

はじまりは:競馬小説「アーサーの奇跡」第1話 夏のひかり

*読むと、競馬がしたくなる。読んで体験する競馬予想

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