登場人物紹介
上山 匠(かみやま たくみ)
当物語の主人公。20歳。アーサーをきっかけに競馬を知る
上山 善男(かみやま よしお)
匠の父。53歳。上山写真館2代目当主。競馬歴33年
三条 結衣(さんじょう ゆい)
匠の憧れ。年齢不詳。佐賀競馬場でアーサーと出会う
荒尾 真凛(あらお まりん)
女性騎手。22歳。亡き父・栄一に代わり転厩直後のアーサーの緒戦に臨む
前回までのあらすじ
ロングフライトの動きを見つめて、中盤から仕掛ける荒尾真凛。
しかしアーサーはその指示を聞かず、匠も溜め息を漏らすのでした…
目次
競馬小説「アーサーの奇跡」第59話
第59話 命の性
「ユーサーか…」
匠の訊く言葉に、善男は深々と頷いていた。
青葉賞当日の朝の二人。
結衣が来る前の出来事であった。
「あの馬は…そりゃいい馬だったさ…。GⅠを7勝もしたしな…。血統も欧州血統で、いまとなっては珍しい馬だな…」
アーサーの父「ユーサー」とある競馬新聞の馬柱を見つめて、匠が
「どんな馬だった?」
と訊き、善男がその疑問に答えていた。
「競走馬って、成績良かったら種牡馬(しゅぼば)としてまた仕事するんでしょ?それで何頭も子どもが産まれて、活躍するっていう話だけど…」
匠の問いに対し善男は
「ほう…お前も、何だかいつの間にか、競馬に詳しくなってきたんだな。そうだが種牡馬になれたとしたって、仔馬が活躍する補償はない。ユーサーもアーサーが出なかったら、成功したとは言えなかったしな…」
眉間に皺を寄せて頷き、どこか険しい表情で答えた。
「うん…。かなり厳しい世界なんだね…。だからこそアーサーはやっぱり…願いを背負って走ってるんだ…」
匠が善男にそう返した。
「そうなんだが…。このユーサーってのは、不思議な運命を背負った馬でな…。落雷が馬運車にあたって、死んでしまったという話でなあ…。牧場長には相当悲しい過去になってるんじゃないかと思う…」
そんな善男の話を聞いて、匠は武内のことを思った。
「(そうなんだ…。それで武内さんは、あんなにアーサーを大事に見てて…。おれに声を掛けてくれたのも、余程嬉しく思ったんだろうな…)」
匠は武内と会話した、川崎のことを思い出していた。
「だからアーサーは中央入りして、大きいところを目指しているけど、ユーサーは元々中央馬だし、活躍の下地はある馬だよな…」
善男は感慨に耽りつつ、思い出すようにそう答えていた。
「競馬はブラッドスポーツと言って、血統が予想ファクターになるが、ユーサーと言えば凄いスタミナと末脚を武器に持つ馬だったな。そういう意味ではアーサーはかなり、父親に似た馬だと思うがな…」
善男が続けるその言葉に
「お母さんはどういう馬だったの?」
匠がふと善男に尋ねかけた。
「イグレイン?中々の馬だったな。他に子どもを残しているけどな、やっぱりアーサーは特別だよな…」
善男が頷きながら言った。
「へえ、父さん。なんでも詳しいねえ…」
「はっはっは。お前もいずれなるさ。なんたって血統っていうやつは、人間にだって存在するんだ。実際この頃おれに似てきたし、いい男に生まれて光栄だろ?」
「父さんよく言えるね、そんなセリフ…。言ってて恥ずかしくないのかい…?」
呆れた声で返す匠に
「なにを!」
と善男が羽交い絞めにした。
「わあ!やめろー!」
ジタバタする匠を、すぐにぱっと離してから善男が
「はっはっは!元気が一番だな。そういやユーサーっていう馬はな、勝負根性が特に凄くてな。並ばれてからが異常に強くて、接戦で勝つことが多かったな。簡単に諦めないというのは、勝負事では大事なことなんだ…」
そう頷く善男にすかさず
「そうなんだ…。でもおれ信じるのは、正直ちょっと怖いときがあるよ。アーサーが中山で負けたときも、やっぱりすっごくガッカリしたしさ…」
「当然だ。なんで負けたときまで、笑っていられるやつがあるもんか。でも一度や二度負けたくらいでは、本当の意味で負けにはならない。それが一発勝負でない限り、諦めたやつから消えていくんだ」
坦々とそう返す善男に
「父さんも、負けたことがあるんだね…」
匠が何気なくつぶやいた。
「そりゃそうだ。負けることが嫌なら、初めから何も挑戦できない。でもせっかくこの世に生まれたんだ。挑戦するのは命の性(さが)だろ?」
善男は構わずそう返した。
「父さんて、父親らしい話を、なんだか時々いきなりするよね」
「当然だ。父親なんだからな。そういや今度アーサーに跨る荒尾真凛も父親に似てるな。諦めるような騎乗はしないし、なんとかしようとジタバタするしな。さっきのお前にも何か似てるな…」
「あれは父さんが絞めたからだ…!」
匠はふっと我に返った。
―そこは東京の最後の直線。
「ワアアアアッ!」
ぼうっと目の前を駆け抜けていく先頭の馬を見ながら匠は
「ロングフライト…」
ポツリつぶやくと、結衣がその声を振り切って言った。
「アーサー!」
匠は半ば諦めて、ぼうっとレース画面を見ていたが、そのあいだも結衣はただの一度も、弱音を吐かずにレースを見ていた。
「匠さん!カメラ構えて下さい…!アーサーが凄い勢いで来ます!見てください、一頭だけどんどん、前の馬を追いかけてきましたよ…!」
回想するほど呆けていた匠は目の前の出来事を見て、結衣の声と実況の声を聞き、一気に現実に引き戻された。
―さあさあ前は逃げ切り寸前だ!ロングフライトは坂を上がったぞ!脚色も殆んど衰えはない!ああ~っとしかし2番手のアーサー!馬場の中ほどを突き抜けてきます!15馬身ほど開いていますが、もの凄い勢いで迫ってきた~!―
そこには鬼気迫る勢いの、真凛とアーサーの姿があった。
「真凛さん!アーサー!諦めないで…!」
結衣の声がただ響いていた。
次回予告
呆然と見ていた匠の目にも、希望を灯すアーサーの末脚。
結衣と匠の声援を受け取り、真凛は先頭を目指すのでした…
はじまりは:競馬小説「アーサーの奇跡」第1話 夏のひかり