前回までのあらすじ
ひまわり賞で8馬身差をつけ中央初勝利としたアーサー。
その配当は見知らぬ中年男の予想通りの結果でした。
目次
競馬小説「アーサーの奇跡」第10話
第10話 参戦・鎌倉記念
「行ってきます!」
段々と陽が短くなってきて、夜も長さを増してきた十月。
匠は善男にひと声かけると、夕方から玄関を飛び出した。
「(アーサー、今日も元気かな)」
福岡の小倉競馬場のあと神奈川の川崎競馬場へと
アーサーの戦いは匠の住む、家のすぐ近くまで迫っていた。
九州旅行から帰ったあとも匠はアーサーがどうしているか
気になって時々検索しては九州のことを思い出していた。
そのうちに
「九州産馬の雄・アーサー鎌倉記念参戦へ」
というタイトルを確認すると
早速その知らせを急ぎ足で居間に居る善男に伝えに行った。
「ねえ父さん、今度アーサーが鎌倉記念っていうレースに出るよ。なんだか夜みたいだけど川崎競馬場って夜までやってるの?」
「お、アーサー鎌倉記念出るか!そりゃ、応援に行かなくちゃならんな。そう川崎はな、ナイター施設があるから夜でも競馬をやるんだ。」
善男が待ってましたとばかりにアーサーの話題に身を乗り出すと
「いいねえ、こうなったら店休んで、親子二人で観戦といくかな!」
野球中継も途中で投げ出し、カレンダーの予定に目を移した。
「いいの?そんなことをしたときには、母さんに完全にバレちゃうけど?」
匠がそう善男に問い掛けると
「ふむ、でもアーサーが出る以上は、見に行かないわけにもいかんしなあ…」
そう言いかけた善男がじいっとカレンダーに目を近づけていると
「匠、すまんがその日は行けん。七五三の予約が入っててな。時間的にはぎりぎり片付けて行けないこともないところなんだが…」
と静かに口を結んだ。
「へえ、七五三って言えば確か、十一月にやるものじゃなかった?そんなに早くから撮影予約入ってることもあるものなんだね」
と匠がまた問い返した。
「みんなそれぞれ事情があるからな。そもそも当日は既に予約でいっぱいに埋まってるところだしな。それにしても父さんの腕を知る、ご近所さんたちはみな素晴らしい!」
さあ褒めろという善男の口調に
「父さん、自惚れはみっともないよ。ほんと、もういい大人なんだからさ」
と匠が呆れて応えた。
「まったく、お前はそうやっていつも…。父さんは競馬予想だけじゃなく、撮影技術も素晴らしいんだぞ?」
と匠に向き直る善男に
「はいはい、いつも感謝していますよ。おれ、そのおかげで育ったんだから。まあ父さんの撮影の技術が、どれほどのものかは分からないけど。」
一応感謝はしていると示す、匠の態度に軽く頷くと
「ほう。して、競馬予想の腕の方も認めたということでいいのか?」
と善男が更に続けた。
「それはもっとよく分からないけどさ…。ていうかほら、ドルフィンズ。ホームランで逆転したみたいよ?」
野球中継に意識を逸らすと
「おおやった、さすが主砲中村!今年もまたまたホームラン王だ!」
とすぐ向き直る善男だった。
「しかし父さんは競馬も野球も、何でも興奮ができるんだねえ」
匠が感心したように言うと
「そりゃ感動は多い方がいいさ。特に勝負事は良いもんだろう?負けるのは見てて悔しいもんだが、白黒はっきりするもんだからな。いいか?匠。勝つために人は頑張るわけだが、その単純な答えを出すために、沢山の試行錯誤が要るんだ。野球選手でも競走馬でもな、勝たないと稼げないのは変わらん。それはウチのような写真屋だって実際はその部分は変わらない。まあAIの向上によってはBIの世が来るかもしれないが、それだってまだまだ分からんからな…。感動できて考えやスキルを学べるなんて一石二鳥だろ?」
そう匠を見て答えを返した。
「そりゃまあ、そうなのかもしれないけど…。なんか旅行してからの父さん、よりしゃべるようになっちゃったよね…」
匠が呆れた顔でつぶやいた。
「こら、なっちゃったとはなんだ、なっちゃったとは。ありがたい話しをしているんだぞ?」
そう言いつつ腕を組んだ善男に
「ごめんごめん。ていうかさ、自分でありがたいとか言わないの、もう…。」
目を瞑りながら匠が答えた。
「ん、そうか?まあいい。とにかくその日は馬券をよろしくな。スマホでも馬券は買えるんだがな、お前も手に持った方がいいだろ。」
「別にそんなことは全然ないよ。むしろ落としちゃわないか不安だし。それに父さん大きく買うんでしょ、換金したお金、持ち歩くのは…」
不安そうな匠を見て善男が
「ほう、アーサーがもう勝つ気でいるな?やっぱりファンはそうでなくっちゃな!」
と見透かしたように笑った。
「そりゃ、それを観に行くわけだからさ…でも、やっぱり何か心配だなあ」
匠が複雑な顔を見せると
「なるほど。」
と善男がつぶやいた。
その言葉に匠がいぶかしげに善男の目を改めて見つめると
「いや、な。」
と善男は今度は言葉少なに匠にそう言った。
「なに?」
と気にする匠に善男が
「とりあえず、換金はしなくていい。外れればそれも記念になるしな。当たれば別の日に自分で行くし、馬券の有効期限は発券から60日間はあるからな。換金をしたら父さんもそこで、こっそり競馬を楽しんでくるさ。」
と真面目な顔でそう話すと
「ついでとか言って、そもそも初めからそれが目的だったんじゃないの?でも現金を持ち歩くよりかは、その方がいいのは確かだけどさ。」
と匠が本心で答えた。
「バレたか。」
そう善男が漏らすと
「バレバレでしょ。」
と匠が返して
二人の顔には鏡に写したような笑みが浮かび上がるのだった。
次回予告
アーサー参戦の情報を知り、川崎競馬場へ向かう匠。
これまでのようにアーサーに向けてカメラを振り向けるパドックですが…
はじまりは:競馬小説「アーサーの奇跡」第1話 夏のひかり