競馬小説「アーサーの奇跡」第75話 負けたなら?

登場人物紹介

上山 匠(かみやま たくみ)

当物語の主人公。20歳。アーサーをきっかけに競馬を知る

上山 善男(かみやま よしお)

匠の父。53歳。上山写真館2代目当主。競馬歴33年

三条 結衣(さんじょう ゆい)

匠の憧れ。年齢不詳。佐賀競馬場でアーサーと出会う

競馬小説「アーサーの奇跡」登場人物紹介

前回までのあらすじ

 

日本ダービーまでの2週間、自分の気持ちを確かめる匠。

善男の声と結衣への想いから、勝負することを決心しますが…

競馬小説「アーサーの奇跡」第74話 猛時計

競馬小説「アーサーの奇跡」第75話

第75話 負けたなら?

 

「おい匠!出たぞ、調教タイム…!」

帰宅した匠の足音に、善男が駆け寄り、競スポを出すと、匠は手を洗ったあとそのまま、洗面所でその記事を読んでいた。

 

「父さん、これ…。アーサーはどうだろう…?」

匠が善男にそう問いかけると

「そうなんだ…。どうなんだろう、これは…」

善男も頷いてつぶやいた。

 

「結局一週前も馬なりで、坂路54秒台だったし、今回も直前だっていうのに、馬なりで坂路53秒か…」

意外そうな善男の口調に、匠は不安になり、尋ねていた。

 

「やっぱり青葉賞でのダメージが、残ったままここに来ちゃったのかな…」

つぶやくように言った匠に

「確かにな…。青葉賞はレコード、それも2分22秒2だしな…。こんな超速時計のあとじゃ、身が入らないのも頷けるがな…」

善男も期待をさせないよう、慎重に言葉を選んで言った。

 

「でもそのビッグツリーも今週は、馬なりで51秒0って…。先週48秒から、随分調子を下げたようだけど…」

匠は最大のライバルの、ビッグツリーのタイムを見て言った。

 

「…いや匠。悪いがそうではない。それに関しては凄い状態だ」

善男はコクリ頷きながら、真剣な口調で匠に言った。

 

「どうして?3秒も落としてるじゃん…」

匠が首を傾げて尋ねると

「そもそも調教タイムというのは、出せればいいっていうもんではない。馬は追い出せば追うだけ走って、タイムを出す馬だっているからな。ビッグツリーなんかは典型だが、馬なりでこれは太鼓判だろう」

善男が匠を見て答えていた。

 

「それじゃあアーサーだって馬なりで53秒なら良いんじゃないの?」

「それが調教は一週前には仕上げて直前軽めが理想だ。アーサーは強く追っていないから、それ自体気になる要素なんだな…」

匠は善男の言葉を聞き

「大丈夫かなあ…」

と首を傾げた。

 

「でもまあアーサーは実戦派だし、とんでもない末脚があるからな。調教も加速ラップ踏んでるし、出来落ちはないと思っているがな…」

善男のその声を聞き取って、匠は踏み込んだことを尋ねた。

 

「加速ラップ?」

「そう、加速ラップだ。見て見ろこの4ハロンの数字を。53秒で36秒、そんでもってラストが10秒9。段々と加速しながら最後に一気に駆け抜けたってことになる。坂の勾配がきつい箇所でまだ、余力が充分有った証拠だな」

匠はそれにコクリと頷くと、善男に向かってすぐに問いかけた。

 

「そういや父さん、青葉賞後にも、上りタイムに驚いてたよねえ?」

「なにせ31秒3だしな。こんなタイムは滅多に拝めない。トップスピードの確かさにおいて、これほど信頼できるものはない」

善男が納得している口調に、匠も一安心して尋ねた。

 

「それじゃあやっぱり、大丈夫かなあ…」

「まあ、スタミナが凄い馬だからな。調教タイムも上りタイムでも、余力がなければ最後は伸びない。現代競馬はスピード重視も、この点はおろそかにできないんだ。父のユーサーも祖父が欧州で活躍していたスタミナ馬だしな。アーサーはこれを受け継いでいるな…」

善男は益々勢いづき、匠にあれこれ、語りかけていた。

 

「ロングフライトも出てくるんだよね」

「ああ。この馬もほんとにタフだなあ…あれだけ凄い逃げを見せたあとで、アーサーとコンマ2秒差だからな。調教も強めに追えているうえ、今週も馬なりで52秒…。この世代はほんと、粒ぞろいだな」

善男が唸りながら答えた。

 

「ところでさあ…。あのその、なんだけども…」

突然口ごもった匠に

「どうした?」

善男がそう問い返すと、溜め息をついて匠が答えた。

 

「あの、おれさ…。勝負をするのはさあ…、アーサーが勝ったらにしようかなと…」

匠がうつむいてつぶやいた。

 

「…」

善男が押し黙ると

「父さん?」

匠は善男を見上げて

「…負けたなら?もうしないってことか?」

善男が腕を組んで答えた。

 

「そりゃ、ないよ…」

匠はまたうつむき、他に考えがないように言うと

「はっはっは…!お前は変わらんなあ。アーサーが勝つと信じてるんだな。いやいい。そう、何も考えず行け。お前は本当、素直に育った!」

善男が満足そうに言った。

 

「え…そうかな…」

見上げた匠も見ず

「母さん、飯~!」

と善男が告げると、そのまま満足そうな表情で、居間の方へさっさと消えて行った。

 

「いいのかな…。こういう判断でも。でも負けたら…。確かに、どうなんだろ…」

胸の鼓動がトクンと鳴って、大きくなるのを匠は感じた。

 

次回予告

 

自分の胸の内を確かめつつ、匠の写真館へと向かう結衣。

一方匠は結衣を待つあいだ、善男に勝算をうかがいますが…

 

次回競馬小説「アーサーの奇跡」第76話 日本ダービーの朝

前回は:競馬小説「アーサーの奇跡」第74話 猛時計

はじまりは:競馬小説「アーサーの奇跡」第1話 夏のひかり

*読むと、競馬がしたくなる。読んで体験する競馬予想

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