登場人物紹介
上山 匠(かみやま たくみ)
当物語の主人公。20歳。アーサーをきっかけに競馬を知る
上山 善男(かみやま よしお)
匠の父。53歳。上山写真館2代目当主。競馬歴33年
三条 結衣(さんじょう ゆい)
匠の憧れ。年齢不詳。佐賀競馬場でアーサーと出会う
福山 奏(ふくやま かなで)
匠の幼馴染。18歳。近所の名店「ブラン」の一人娘
前回までのあらすじ
青葉賞当日を迎えた朝、匠の写真館へ向かった結衣。
匠は結衣が来るまでの間に、善男から講義を受けるのでした…
目次
競馬小説「アーサーの奇跡」第49話
第49話 入場券
「…あの、結衣さん」
合流してからすぐ、競馬場へ向かう匠だったが
「はい」
と言う結衣の明るい声に、言葉が繋がらず、うつむいていた。
「(この前は何か落ち込んでいたし、メールでもずっと聞けなかったけど、やっぱり直接会ってもなんだか、なんと言っていいか分からないよな…)」
匠は先日バイトのあと、結衣を駅まで見送って行ったが、回り道をした神社で突然、泣き出した結衣を思い出していた。
「あの、今日はそのー、バイトじゃないのに、わざわざおれの家まで来てくれて…。本当、ありがとうございました」
「はい…!お邪魔にならないといいですが…。わたしの方こそ助かります。女性が一人で見に来ているより、二人の方が不自然じゃないので…」
匠を気にする素振りもなく、あくまでそう微笑んでいる結衣に
「そんな、邪魔だなんてことは全然…。こちらこそ頼もしいくらいですよ。今日は結衣さんの相馬眼(そうまがん)からも、学ばせてもらえるんだと思って…」
「そんな…。この前は偶然です。あれから随分経っちゃいましたし。同じように行くかなんて全然、自分でも全く分からないです。それになんだか緊張しちゃいます…」
「あ、え~っと…そのー、はは…すみません…」
困った顔をした結衣を見つめて、匠が慌てて頭を下げると
「…でも、匠さんのお役に立つなら、ひと肌脱ぐつもりで頑張ります…!」
そう言って笑う結衣の表情に、匠は思わず耳を赤くした。
「(うん…。結衣さん、なんだかこの前より、ずっと調子も良くなったみたいだ。結局なんにもできなかったけど、あまり気にしない方がいいだろう…)」
結衣を府中駅に送ったその日、匠は何も声をかけられずに、結衣の後ろ姿を見つめながら、改札口まで見送って行った。
改札前で結衣は立ち止まると「ごめんなさい…」とうつむいて言ったが、匠がただ黙って首を振ると、結衣は「それじゃ、また…」とホームへ消えた。
「(結局何で泣いていたのかとか、全く何も分からないんだけど…。女心は難しいなあ…)」
思い返す匠の隣で
「あ…」
と結衣がポツリとつぶやくと、顔を真っ赤にしてうつむいていた。
「あの、結衣さん?何かあったんですか?」
すぐに気づいた匠が尋ねると
「あの、わたし…いまちょっと変なこと、言っちゃったような気がするんですが…」
結衣の言葉を聞いて匠は
「?」
と結衣をじっと見つめていた。
「―…。」
それから結衣の問いかけの真意を、匠が考えようとしていると
「あの、それより…。今日はアーサーに乗る、荒尾真凛さんも楽しみですね…!」
遮るように結衣が尋ねた。
「…そうですね!ついさっき父さんに、聞いたばっかりの話なんですが、怪我から復帰してもう10勝もしている騎手だっていうことでした」
考えていたことも忘れて、結衣の問いかけに匠が返すと
「わたしも少し調べてきましたが、お父様を亡くされた後とかで…。色々大変だったとかで…」
結衣の言葉に匠はぎゅっと、心臓が締め付けられる気がした。
「(ああこれは、ひと事じゃないからな…。何て言ってあげればいいだろ…)」
結衣を見つめたままで黙って、軽く頷いている匠を見て
「…すみません、匠さん。わたしったら…つい余計なおしゃべりしてしまって…。あの前にお話しした通り、そんなに気にしなくていいですから…」
結衣は困った顔は見せても、変わらずに雰囲気は明るかった。
「あの、はい…。その、何て言ったらいいか…。おれって上手く話せなくって…。いつもフォローしてもらっちゃって、なんだか本当に、申し訳ない…」
匠も少し困った顔で、視線を下げながら結衣に答えた。
「そんな、あの…気にしないで下さい。それよりせっかくのお天気ですし、今日は良い思い出にしたいですね。あ、でも、撮影のお邪魔だったら、その時はすぐに教えて下さい」
「絶対邪魔になんかなりませんよ。それより結衣さんが馬を選ぶの、おれが邪魔しないようにしたいです」
「そうですか。それじゃあ匠さんは、ずっとわたしのそばに居てください。そうしたら周り気になりませんし、ずっと集中できると思います」
結衣が何気なく言ったひとことに、匠の耳はまた赤くなったが
「(いやいやいや、「ずっと」って特別な意味があって言ったわけじゃないだろ…?おれは何を期待してるんだ…)」
軽く目を閉じた匠にふと
「あとそれから、場所離れたいときは遠慮なくすぐに教えて下さい。写真撮るために場所取りするのは、禁止って聞いたことありますから…。わたしそこで待っていますから、安心して行ってきて下さいね」
変わらず結衣は微笑んでいた。
「大丈夫です。場所を離れるのは、トイレに行くときくらいでしょうから…。それさえちゃんと済ませていれば、ずっと離れないで居れるはずです」
匠も気負わずそう答えていた。
「…」
今度は匠を見る結衣の顔が、不意に赤くなったところだったが、正門の入口が目に入った匠はそのことに気づかなかった。
「着きました!今日は父さんからの、入場券の施(ほどこ)しがあります。この回数券、8枚つづりでちょっとお得になってるんですって。普通は1枚二百円だけど、これ8枚つづりで千円とか。もう半分、使っちゃってますけど…」
匠が握る回数券は枠番と同じ色で塗装され、匠はそれを切り取ると1枚、結衣に手渡して話を続けた。
「結衣さんに、1番を渡しますね。今日はちょうど白い服を着てるし。白枠の1番がぴったりです。おれはえっと髪が黒いですから、黒枠の2番がぴったりですね」
回数券を受け取りながら
「ありがとうございます」
と言う結衣が
「…あの匠さん。でも髪の色なら、わたしだって同じ黒枠ですよ?」
くすっと笑ってそう答えた。
「そうですね…。まったくその通りで…。おれってアドリブが利かなくて…」
右手を頭の後ろにして、すまなさそうに目を細める匠の、背中を嬉しそうに見つめながら、結衣もその先へと続くのだった。
次回予告
東京競馬場の広大さに、改めて感嘆を上げる二人。
匠は嬉しい現実の中に、不安な気持ちを感じ取りますが…
次回:競馬小説「アーサーの奇跡」第50話 お知り合いですか?
はじまりは:競馬小説「アーサーの奇跡」第1話 夏のひかり