登場人物紹介
上山 匠(かみやま たくみ)
当物語の主人公。20歳。アーサーをきっかけに競馬を知る
上山 善男(かみやま よしお)
匠の父。53歳。上山写真館2代目当主。競馬歴33年
三条 結衣(さんじょう ゆい)
匠の憧れ。年齢不詳。佐賀競馬場でアーサーと出会う
福山 奏(ふくやま かなで)
匠の幼馴染。18歳。近所の名店「ブラン」の一人娘
前回までのあらすじ
迎えに来た結衣と会話しながら、東京競馬場へ着いた匠。
善男からもらった入場券を、早速結衣に手渡したのでした…
目次
競馬小説「アーサーの奇跡」第50話
第50話 お知り合いですか?
場内へ入ると匠はすぐに、パドックの人混みを確かめたが、スタンドへ人が流れるのを見て、レースが近いことを感じていた。
「まずはスタンドでレースを見ましょう」
振り返って結衣に言った匠に
「はい」
結衣も嬉しそうに笑うと、連れ立ってスタンドへ歩いていた。
「それにしても、ほんとに素敵ですね。こんなに大きいのに綺麗ですし…」
結衣が感心している声に、匠は
「本当に…」
とつぶやいた。
巨大なビルの中は発券機や、マークシートを置いたテーブルなど、どれもピカピカに光って設備の充実した雰囲気に満ちている。
「やっぱり東京はきれいなんだな…」
改めてそう言った匠に
「でもそれぞれ、良さがあるんですよね…」
結衣が何気なくそう答えた。
「ふふ、結衣さん。競馬のことになると、何でも嬉しそうに話しますね…」
匠がすかさず結衣を見ると、結衣も匠を見て苦笑いした。
「すみません、なぜか分からないですが…」
困ったような結衣に匠は
「全然、何も問題ないですよ。それより1レースから買いますか?締め切りが近いようですけど…」
聞こえた場内アナウンスの、内容をそのままに伝えていた。
「いいえ…まだ何も見ていませんから」
結衣が匠の声にそう返すと
「じゃあ、アーサーの単勝馬券だけ、先に買っておいてもいいでしょうか?父さんにも頼まれているし…」
匠が改めて問いかけた。
「…そういえば川崎で会ったときも、匠さん、先に買っていましたね…」
微笑みながら返した結衣に
「そうでしたね。あのときは結衣さんが、おれに声をかけてくれたんでした。もしかしたら結衣さんもアーサーを見に来てるかなって思ったりして…」
匠がその声につぶやいた。
「…なんだかもう、懐かしく感じます…」
結衣はそう言うとふと黙って、少し寂しそうにうつむいていた。
「…」
そんな結衣を見つめて、匠も言葉を失っていると
「あ、そうだ…。わたしも100円だけ、アーサーの馬券、買っておきますね」
周りを見渡しながら結衣が、記入台の方に歩いて行った。
匠はそれにコクリと頷くと、時折結衣を確認していたが、再び視線を交わすと今度は、並んで発券機へ向かっていた。
―お金を先に入れてください…!―
匠の発券機が声を上げる。
「あちゃ、そうだ…。お金を入れなくっちゃ…。マークシート先入れちゃったよ…」
ぶつぶつ言う匠の隣で
「くすっ」
と結衣が笑う声がすると、匠も
「はは…」
と苦笑いをした。
「―それじゃあ早速、外に行きましょう!」
馬券を買ってスタンドを抜けると、広い観覧席が並んでいて
「わあやっぱり、すっごく広いですね…!」
結衣も感嘆の声を上げていた。
「…取り敢えず、あの辺りにしましょうか。周りもまだ空いてる感じですし…」
匠はそう言うと促して、端をひとつ開けて、腰を下ろした。
「あの今日はお隣、失礼します…」
少し頬を赤らめた結衣が、端の座席にそっと腰掛けると
「(はあ、どうしよう…凄くいい匂いが…)」
意識を取られる匠だった。
「―匠さん、ちょうど始まりそうです!」
結衣の声に匠ははっとすると
「えっ…?はい、そうですね。最初のレース…。なんだかほんと、楽しみですね…。走っていくのが楽しみです!」
どことなく変な匠を見て、結衣はまたくすっと微笑んでいた。
「(うん…これはおれがシャキッとしないと、どうしようもないことになりそうだ…。隣に結衣さんが座ること、休憩時間でも無かったからな…)」
結衣がバイトに入るときでも隣同士で座るようなことは、休憩時間の最中としても、匠の記憶の中にはなかった。
「(向かい合って座ることはあっても、隣に座るのって確かこれは…。川崎で会ったとき以来か…)」
匠は記憶を辿っていた。
「(ああ、やっぱり…。こんな素敵な人がおれの隣に座るなんてことは、あったとしても半年ぶりだよな…。やっぱり競馬で繋がれなきゃ、こんな奇跡なんてあるわけないよ…。彼氏だったらきっと毎日…)」
1レースのファンファーレが鳴る。
「(…やっぱり半年って言ったらさあ、彼氏だったらまず、有り得ないよな…。どう考えても今のおれは、良くて競馬友達に過ぎないし…。でも結衣さんに限ってそんな、彼が居ておれと来たりするかなあ…?)」
匠は不意に不安になって、うつむいたまま黙りこくっていた。
「―ワアアアアッ!」
そんな匠をよそに、ゴール前から歓声が上がると
「匠さん?」
顔を覗き込むように、匠の目をじっと結衣が見ていた。
「はわっ!あの、結衣さん。どうかしましたか…?」
慌ててそう返した匠に
「…もう、ちゃんとレース見ていたんですか?すっごくきれいに走っていたのに…」
じっと見つめて匠に言った。
「いやその、はい…ちゃんと見ていましたよ?」
「それじゃあ、何番が1着でした?」
匠の声に結衣が返すと
「(う…まずい、何番が勝ったんだろ…)」
不意に目を逸らしたその先で
「よしっ…!」
と目の前の椅子に座った、男が馬券を手に声を上げた。
「(あ…あの人、きっと当たったんだな…。5番の単勝を握ってる…。そうかじゃあこのレースはきっと…)」
「5番です!」
匠がそう告げた。
「…」
結衣は匠の声に押し黙って、匠はそれに冷や汗をかいたが
「…当たりです。ちゃんと見ていたんですね。ごめんなさい、わたし意地悪をして…」
結衣がうつむきながら答えた。
「いや全然…はは、お気になさらずに…。おれ何も気にしてませんから…」
ひきつった顔で言う匠に
「良かったです…」
結衣がうつむきながら、小さく胸に手をあてて答えた。
「(助かった…。前の人、ありがとう…)」
匠がほっと一息つくと、前の座席の男が立ち上がり、振り返りざまにニヤリと笑って、スタンドの方へと歩いて行った。
「え…?」
その一瞬の表情を目にして、匠にはそれが誰かが分かると、すぐにその背中を振り返ったが、何も言えずにただ見送っていた。
「…匠さん?」
結衣の声に気がつくと
「いや、その何でもなく…」
と答えたが
「…わたしと一緒に居るの、嫌ですか…?」
結衣はじっと匠を見つめて、目を潤ませながら問いかけていた。
「はわ、いや全然嫌じゃないですよ!あのその、ちょっと知り合いを見つけて…」
振り返って答えた匠に
「お知り合いですか?それじゃ挨拶を…」
結衣が真剣な顔で言った。
「いや、その知り合いと言ってもそれは…。あのあんまりよく知らなくって…」
「…本当に匠さん、変です…」
匠は言葉をなくしていた。
「(だってさっきの人ったらこれまで、色々あったあのオヤジだったし…。話すのも長くなりそうだし…)」
結衣はじっと匠を見ていた。
次回予告
結衣の追及にたじろぎながらも、別の提案を持ち出した匠。
兼ねてからやってみたかったことを、実現しようと歩き出しますが…
はじまりは:競馬小説「アーサーの奇跡」第1話 夏のひかり