競馬小説「アーサーの奇跡」第38話 縦と横

登場人物紹介

上山 匠(かみやま たくみ)

当物語の主人公。20歳。アーサーをきっかけに競馬を知る

上山 善男(かみやま よしお)

匠の父。53歳。上山写真館2代目当主。競馬歴33年

三条 結衣(さんじょう ゆい)

匠の憧れ。年齢不詳。佐賀競馬場でアーサーと出会う

福山 奏(ふくやま かなで)

匠の幼馴染。18歳。近所の名店「ブラン」の一人娘

競馬小説「アーサーの奇跡」登場人物紹介

前回までのあらすじ

 

結衣のフォローでアーサーを撮るため、弥生賞の観戦に来た匠。

そこで小倉競馬場で出会った、中年男に見つかるのでした…

競馬小説「アーサーの奇跡」第37話 弥生賞

競馬小説「アーサーの奇跡」第38話

第38話 縦と横

 

「(あれが、ビッグツリーか…)」

弥生賞のパドックが始まって、匠はしっかりカメラを構えた。

1枠1番を先頭にして、一頭ずつ馬が顔を現す。

その先陣を切って出たのが、善男の言うビッグツリーであった。

 

「見ろよあの馬。トモが違うぜ」

匠の隣にいる男が連れ合いの女性にそう言っている。

男は新聞を丸めつつ、臀部の辺りを指してつぶやいた。

 

「(トモが違うって、なんなんだろう…?)」

臀部がかなり大きいことは匠の目にも明らかであったが、おそらくそれを指した言葉となんとなく匠は受け取っていた。

 

「本当、お尻が大っきいねー!」

女性がそう声を上げている。

 

男は

「あれが大事なんだよ…。スポーツ選手もそうだからな。お前も尻は鍛えておけよ?」

彼女に冗談を言っていた。

 

「もうほんと、ケイちゃんて最低。人前でセクハラをしないで」

呆れた口調が返ってくる。

 

「(おれも結衣さんと会話したいな…)」

ふと匠が想った束の間

「ブルルルッ」

とハナを鳴らしながら、アーサーが目の前に差しかかった。

 

「(いけない、アーサーを撮らなくっちゃ)」

アーサーに注意を促され匠はきっちり脇を固めると、いつものようにレンズを向けて、パシャパシャと写真を収めていった。

 

「へえ、あれが2歳ダート王か」

男の声がそばで聞こえる。

 

「それ強いの?」

と彼女が尋ねて、アーサーを見た男が切り出した。

 

「強いね。あれかなり良い馬だし、普通なら勝っておかしくないはず。締まりもあるし胴も長いから、相当スタミナがあるんだろうな。特段マイナスはないけどな、残念ながら横の比較でビッグツリーには勝てないだろうな」

「へえー、ケイちゃん。なんかプロみたいね」

そう言って腕を組む彼女と男がパドックを離れていくと、空いた片目でそれを見送り

「(そうなんだ…)」

と匠は頷いた。

 

「(でも、その予想が正しいかは、ゴールを過ぎるまでは分からないし…。とにかくこのレースも何とか、アーサーに頑張ってもらわなくちゃ)」

匠は結衣がアシスタントを引き受けた経緯を思い浮かべて、良い写真を収めて勝ったら結衣に報告をしたいと思った。

 

「…馬鹿のひとつ覚え、か…」

急に馬券を取り上げた男の声が匠の脳裏に蘇る。

それでも匠はただ無心で、アーサーにレンズを振り向けていた。

 

「(どう言われても、今できるのはアーサーを信じる以外にはない…。勝つことだけを願わなくっちゃ…)」

周回が終わり騎手が乗ると匠は鮫浜にピントを合わせ、勝負気配を窺うためにその表情に注目をしていた。

 

「(鮫浜さんなら乗ったときに、好調かどうか顔に出るはずだ…)」

しかし鮫浜は跨っても、一向に緩む気配がなかった。

 

「(…鮫浜さん、緊張している…?)」

大ベテランの強張る顔を匠はファインダーから見ていたが、よくよく視線に注意すると何かを目で追っているようだった。

 

「(ビッグツリーを、じっと見ている…)」

視線の先に見据えたものはビッグツリーと騎手・滝沢だった。

天才騎手を背に人気馬が地下馬道へとゆっくり消えていく。

アーサーを引いた村口にも、強張った表情が浮かんでいた。

 

「(アーサーは毛ヅヤもきれいだし、お腹もすっきり絞り切れていた。馬体重も増減はないし、父さんが「要注意」と言った輸送も無事にクリアしたみたいだ。この前川崎で見たときを超えるくらいの感じに見えたけど…)」

匠は自分の見立て自体、これまで気にしたことがなかったが、アーサーだけを見てきたために、それなりに見られた自信はあった。

 

「(でもおれは結衣さんと違うし、はっきりとは言い切れないけど…。父さんのようにデータとかも全然何も分かってないからな…)」

一人でアーサーを信じるに足りる要素がないことに気づいて、匠は掲示板のオッズにただ一人不安が過(よぎ)るのだった。

 

「(ビッグツリーが1,3で、アーサーは今10倍ちょうど…。これまでこんなに離れているオッズは見たことがなかったけれど…。それくらい差があるんだろうか…)」

匠はじっとそれを見つめてふと先程のことを思い出した。

 

「(そう言えばさっき隣の人「横の比較」とか言っていたような…。同じレースに出る馬同士、比べてみることもなかったな…。おれが今までやってきたのはアーサーの差を感じることだけで、過去と今を比べる見方は「縦の比較」ってことになるわけか…)」

そんなことを思い返しつつ、返し馬を見に馬場へと向かった。

 

次回予告

 

ビッグツリーが滝沢を背に、本馬場へと姿を現す。

その歓声にいつもと違う空気を感じ取る匠でしたが…

 

次回:競馬小説「アーサーの奇跡」第39話 人気の差

前回は:競馬小説「アーサーの奇跡」第37話 弥生賞

はじまりは:競馬小説「アーサーの奇跡」第1話 夏のひかり

 

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