登場人物紹介
上山 匠(かみやま たくみ)
当物語の主人公。20歳。アーサーをきっかけに競馬を知る
上山 善男(かみやま よしお)
匠の父。53歳。上山写真館2代目当主。競馬歴33年
三条 結衣(さんじょう ゆい)
匠の憧れ。年齢不詳。佐賀競馬場でアーサーと出会う
福山 奏(ふくやま かなで)
匠の幼馴染。18歳。近所の名店「ブラン」の一人娘
前回までのあらすじ
パドックに詳しそうな男から、縦と横について覚えた匠。
アーサーの仕上がりからは前走・川崎を凌ぐと感じましたが…
目次
競馬小説「アーサーの奇跡」第39話
第39話 人気の差
パドックからスタンドを通り抜け、返し馬へ歩を進めた匠は、いつもとは違う風景のなかで改めてその「差」を意識していた。
「(これはかなり、すごい人混みだな…)」
ビッグツリーが出走することを待ち詫びているファンのファッションには、騎手の滝沢と同じ柄色の、レプリカを着る人も見つけられた。
「(これほどの人気馬が出てくるのを、何も知らずにおれは見に来たのか…)」
アーサーが地方の所属馬で認知度が低いとは知っていたが、匠にとってはいつも通り、アーサーを撮りに来ただけであった。
それが中央の舞台に移って人気馬と対戦する状況は、アーサーにとってアウェーなのを、意識せずにはいられないのだった。
―さあいまビッグツリーが滝沢と、いよいよ本馬場に現れました!世代の王者の力を発揮し、無敗の4連勝なるでしょうかー!―
実況がアナウンスをするとターフビジョンにも大映しになり、それを見ていたファンから一斉に
「ワアアアアッ!」
と歓声が上がった。
「(なんてすごい、ファンの数なんだろう…)」
ビッグツリーは馬場入りしてくるとファンの目の前を悠然と歩き、乱れる素振りなども見せないまま、ただただ平然と闊歩(かっぽ)していた。
そのあとに続いてくる馬たちは乱れた歩様の馬も見られたが、ビッグツリーと滝沢の姿に、何の不安も感じられなかった。
「(なんかすごい、大きく見えてきたな…)」
匠はただ落ち着き払っているビッグツリーと滝沢を見つめて、鮫浜や村口の顔がまるで緩まなかったのが分かる気がした。
「頼むぜ駿、今日も稼がせてくれー!」
「まあ楽勝だろうけど、頑張れよー!」
応援するファンもどこか安堵の、信頼した声で出迎えている。
そこに
―さあ挑戦者の登場だ!ダート王・アーサーの出陣です!佐賀所属のまま中央勢から金星を挙げることができるのかー!―
実況の声が聞こえてきた。
「(…アーサーはいま「挑戦者」なんだな…)」
匠は不思議な気がしていた。
「(確かにアーサーは地方所属で中央のレースは二回目だけど、前にも芝を勝っている馬だし、ダートでは2歳の王者じゃないか。金星を挙げるなんていうことは格の違いがあればこそだろうし、王者に対してそういうセリフは失礼にあたる言葉じゃないのか…)」
匠は初めて人気の差に、悔しい思いを感じ取っていた。
「おい、鮫浜―!聞こえているんだろー!?2着はお前を買っているからなー!ビッグツリーの入線の後なら、十分先頭で入れるからなー!」
近くで大きな声が聞こえ、その声に匠は顔を向けると、そこにはパドック論を打っていたカップルの男の姿があった。
「さすがに勝つまでは厳しいがなー!お前だってかなりの好馬体だー!馬の耳に念仏ったって、こんだけ声でかきゃ聞こえてるだろー!おいアーサー!聞こえているんならヒヒーンとか言って返事くらいしろ~!」
応援なのか罵声なのかも匠は分からず目を丸くしたが
「わははっ」
と周囲が沸き立ったので、匠は唇を噛みしめていた。
「(…アーサーがまるでもう負けるような、あんな言い方もないもんじゃないか。どんな馬だって一生懸命、1着を目指して走ってるのに…)」
気がつくと睨むような顔で、匠は男をじいっと見ていた。
「もうケイちゃん、ちょっとやめてってばあ!みんながこっちを見ちゃってるじゃない!品の無い男なんて大嫌い!」
彼女の諭す声も大きい。
「ええ!嫌いなのか?このイケメンが?こんないい男、捉まえといて?」
周囲から笑いが漏れていた。
「あーもう、ほんと何を言ってるのよ!ほんとバカ、もう早くこっちに来て!」
彼女が顔を真っ赤にさせながら、腕を取ってどこかへと連れて行く。
「いてててて!力が強すぎる!マッチョかおい、優しくしてくれよお…!」
男の声もまたどこかへ消えた。
匠はそれに溜め息を漏らすと、改めて馬場を見返してみたが、アーサーは坂下へ走っていて、いつの間にか馬体も隠れていた。
「(どうも雰囲気がいつもと違うな…。アーサーが無事、勝てますように…)」
祈っている匠のそばでは周囲のファンの声が聞こえてきて、ビッグツリーのこれまでの強さや、今後の展望が語られていた。
「絶対ビッグツリーが優勝さ。ホープフルステークスのときだって2歳レコードで走ってるもんな」
「ああ、上(あが)り最速の脚だったな。あれを2番手から繰り出せるうえ、デビューから三連勝してるしな。それに飛ぶように走っているから、三冠だって有り得るんじゃないか」
周囲のそんな声が耳に入り、匠は一瞬不安になったが
「(それでも今おれがやるべきことは…)」
匠はカメラを構えていた。
発走が近づいてきて匠は、芝コースにレンズを振り向けると、段々と高まる胸の鼓動で周囲が静まったような気がした。
カメラを握った右手ががっちり、いつも通り固まって動かない。
風が鳴り、急坂を吹き上がると、スターターが旗をなびかせていた―
次回予告
匠の代役に入った結衣が、休憩時間に訪れたブラン。
本心で話す奏の言葉に、結衣の心は揺れ動くのでした…
はじまりは:競馬小説「アーサーの奇跡」第1話 夏のひかり