登場人物紹介
上山 匠(かみやま たくみ)
当物語の主人公。20歳。アーサーをきっかけに競馬を知る
上山 善男(かみやま よしお)
匠の父。53歳。上山写真館2代目当主。競馬歴33年
三条 結衣(さんじょう ゆい)
匠の憧れ。年齢不詳。佐賀競馬場でアーサーと出会う
福山 奏(ふくやま かなで)
匠の幼馴染。18歳。近所の名店「ブラン」の一人娘
前回までのあらすじ
喫茶店で混雑をやり過ごし、帰りの電車に乗る匠と結衣。
別れ際に振り返った匠を、結衣はいつまでも見送るのでした…
目次
競馬小説「アーサーの奇跡」第31話
第31話 初詣
元日。
大邦(おおくに)神社に初詣に来た多くの人たちの列に混じって、匠と善男は二人連れ立って、その景色の中に溶け込んでいた。
冬晴れに光る境内の中は様々な露店も現れていて、正月らしい景色の訪れを心地よく受け止める匠だった。
「…それにしても」
「なんだ?」
少しずつ動いていく列のなか、善男が夢中になって読んでいる、手の中の競馬新聞をじっと匠が何か言いたげに見つめた。
「新聞が…どうかしたか?」
黙って見ている匠に目を馳せ、とぼけたようにそう返す善男に
「列が長いのは分かっているけど、正月からそんなの読まなくても…」
匠が息を吐いて答えた。
「うん?これか?何を言っているんだ。この神聖な一年の始まり、神様の前で去年一年のお礼をきちんと思い返さねば」
善男がそう言って頷くと
「競馬新聞をここで読むことが、どうお礼に繋がっているんだよ…」
匠がまぶたを閉じて言った。
善男が競馬新聞を読むのは、匠も見慣れた景色になったが、初詣にまで持ってきたことは、さすがに驚きを隠せなかった。
「へえ~、ふんふん…」
善男は匠にはお構いなしで、再び夢中で新聞を見ると
「ほ~、これは凄い」
口を開いて、匠の方にふと視線を馳せた。
「…え、何?」
匠がいぶかしむと
「ちょうどいま“期待の地方馬特集”という記事を読んでいたんだが、やっぱり今年はアーサーについて、色々と取り上げられているんだ。そこに武内という馬主さんのインタビューが載っているんだけどな…」
「え、武内さん?」
匠は既に武内と二度ほど会話をした間柄であったが、そのことは敢えて善男には言わず、善男はそれを知る由もなかった。
「(結衣さんは自慢するような人は、好きじゃないっていう感じだったし…知り合いだなんて言えないけど…)」
匠は新聞で武内が、いったい何を語っているのかと、気になって視線が泳いでしまい、気がつくと新聞を眺めていた。
「上には上が…ねえ~…」
敢えて匠を掻き立てる様子で善男が口を開いてそう言うと
「な…何?」
しびれを切らしながら、匠が善男に向かって尋ねた。
「教えてほしいか~?え~?どうしよっかな~」
善男がそんな匠に目を馳せて、わざとじらすような口調で言うと
「いいから早く教えてよ父さん…いつまでそうしてるつもりなんだよ…」
匠は眉を下げて答えた。
そんな匠の様子を確かめて、善男がゆっくり視線を戻すと
「それじゃ~、そろそろ言っちゃおっかな~」
もったい振りながら話し始めた。
「…これはアーサーの全日本のとき、状態についてのインタビューだが、このレースのときの仕上げとしては、それなりに自信があったんだとさ…」
「(…そう言えばパドックのときにも、良いと思うって言っていたような…)」
武内の言葉を思い出し、匠は一人そう頷いていた。
「それで、そのときはたまたま近くに居た女性も馬を見てたらしいが、この人が見事着順通りに、4着まで言い当てていたんだと。ピタリと当てて驚いたんだって、武内さんが語っているな。上には上がいるって言うけれど、私もまだまだ頑張らねばって…。この人、謙虚な人なんだな。牧場長までやってるってのに…」
「(4着まで着順通りに…?あのとき見ていた女性と言ったら…)」
善男が読み上げた言葉から、匠にはそれが誰かが分かった。
「凄いなあ、馬を見られるってのは。父さんは馬場や展開とかから予想するのは割と得意だけど、相馬眼(そうまがん)に関してだけはあまり、自信がないってのが本音でなあ。女の人は勘が働くとか、感性が鋭いなんて聞くけど…。なんだろ、母さんにやらせたら、案外凄い馬券獲ったりして」
神妙な顔をしている匠に、一瞥もせずに善男が続ける。
そして最後に
「んなわけ、ないかあ!」
そう言って一人で笑うのだった。
「(…やっぱりこれ、結衣さんのことだよな。アーサーが勝って舞い上がっていて、パドックのことは忘れていたけど…。次々に選んでいた馬たちが、着順通りに入っていたんだ。全然おれ、気がつかなかったけど…)」
匠はただ黙って下を向くと、顎に手を当てて記憶を辿った。
「(…やっぱり結衣さんは最初からもう、アーサーを見極められていたんだ…)」
匠は偶然にアーサーを結衣が選んだのではないと感じ、結衣がアーサーに惹かれた理由を、改めて知りたいと思っていた。
「(ああおれは…本当に何もかも、知りたいなんて思ってるみたいで…)」
先日別れ際に見つめた、結衣の表情が脳裏をかすめる。
匠はそれを思い出しただけで、胸が切なくなったのを感じた。
横並びで待つ行列の中で段々と社殿が近づいてくる。
天に向かって何を祈るべきか、匠はその中で考えていた―
次回予告
参拝を済ませ、おみくじを引くと、無言でそれを見る匠と善男。
くじの内容を確かめていると、艶めく長い黒髪を見つけて…
はじまりは:競馬小説「アーサーの奇跡」第1話 夏のひかり