競馬小説「アーサーの奇跡」第99話 泥試合

登場人物紹介

上山 匠(かみやま たくみ)

当物語の主人公。20歳。アーサーをきっかけに競馬を知る

三条 結衣(さんじょう ゆい)

匠の憧れ。年齢不詳。佐賀競馬場でアーサーと出会う

小川(おがわ)

謎の男。小倉で登場。匠の前に突然現れる

荒尾 真凛(あらお まりん)

女性騎手。22歳。アーサーの主戦を務める

滝沢 駿(たきざわ しゅん)

男性騎手。35歳。数多の名馬を知る天才

十勝 嵐太郎(とかち らんたろう)

男性騎手。40歳。テンペスターの主戦騎手

競馬小説「アーサーの奇跡」登場人物紹介

前回までのあらすじ

 

前走青葉賞での乗り方を、反省しながら騎乗する真凛。

アーサーは先頭から離されて、反撃の時を窺うのでした…

競馬小説「アーサーの奇跡」第98話 信じなきゃ…

競馬小説「アーサーの奇跡」第99話

第99話 泥試合

 

「さあ行こう…」

父・光彦の声に、駿は何も言わず、従っていた。

 

火葬場に立ち上る白い煙。

それが弥生だとは思えなかった。

 

「(おれのせい…)」

駿は何も喋らずに、親戚の前でもうつむいていた。

 

「あいつ平気かな…」

「そっとしておこう…」

様々な大人たちの声がした。

 

「あいつ暗いな…」

「ほんと無口だよ…」

寡黙な学生時代を過ごして、駿は大人になってもざわめきを、逃れて生きることはできなかった。

 

「金返せ~!」

「さっきはミスったろ~!もっと鞭打てよ!やる気あんのかあ~!?」

野次を投げつけられたかと思えば

「出遅れかい…まあ君のせいだよね。次はないからもう他あたってね。まったく鞭も殆んど打たないで…。何か言うことすらないのかい…」

馬主に言われることもあった。

 

「あ、滝沢…」

「あれが滝沢駿か…。鞭を打たないって有名な…。この前のレースの勝利後も、殆んどコメント出してなかったな…」

何も言わず、反論せずとも、周囲のざわめきは止まらなかった。

 

そんなとき駿は決まって亡き母・弥生の言葉を思い出していた。

 

「―ぶって、食べられるわけじゃないでしょう?―」

それは弥生がまだ生きていた日々。

 

駿が小学生だったあの頃。

夕飯の食卓風景だった。

 

「―今日はシチュー!駿、これが好きでしょう?野菜入れるからしっかり食べてね!―」

駿の好物のルウを手に取って、弥生はにっこり笑いかけていた。

 

「野菜嫌いだよ!肉多く入れて!せっかく給食じゃないんだからさ!」

「まったくもう、好き嫌いばっかして!」

弥生と駿は互いにぶつかって、喧嘩も日常茶飯事だったが、何があっても弥生は駿を見て、絶対に手を挙げたりしなかった。

 

「食べないんなら、もう作んないから!」

「食べる、食べるよ!腹減ってんだから!」

不機嫌な顔で言い放ちながら、駿にシチューをよそう弥生を見て

「…なんで母さんは、ぶったりしないの?」

駿が唐突に尋ねかけていた。

 

「ぶって、食べられるわけじゃないでしょう?」

呆れた顔で振り返る弥生に

「ふうん…。じゃ、ほんとはぶちたいんだ?」

駿がニヤけた表情で答えた。

 

「馬鹿言わない!ほら早く食べなさい!」

苛立っている弥生の表情に、駿はふふんと笑って頷くと、シチューに向かって手を伸ばしていた。

 

「―もっと追え!なぜ鞭を打たなかった!」

鞭を使わず敗れたレース後に、駿が押し黙る時には決まって、弥生の言葉を思い出していた。

 

「―ぶって、食べられるわけじゃないでしょう?」

依頼が来なくなることもあったが、駿は決して騎乗のスタイルを変更しようとは思わなかった。

 

「(ぶって勝てるってわけじゃないけれど…。時々必要になるんだよ。母さん…おれまだまだ全然だよ。鞭を使わずに頑張らせること…。おれなんかが天才だったら、母さんこそがその天才だった…)」

ビッグツリーの背に跨って、テンペスターに縋り付いた駿は、十勝の繰り出す「マッド・スペシャル」を左右に交わしながら進んでいた。

 

―おおっと十勝!後ろにつけているビッグツリーの前でふらつきます!息が切れたのか!?泥を跳ね上げる!テンペスター脚色が鈍ります~!―

 

「ワアアアアッ!」

大歓声に沸き立つスタンドで

「殺(や)る気か…」

小川がそうつぶやくと、匠はチラと小川を一瞥し、再びカメラを握り締めていた。

 

「(アーサーは…姿が見えないけど、きっと来る。絶対来るはずなんだ…。どんな絶望的なときでも、絶対に最後差してくれたから…)」

テンペスターとビッグツリーがレンズで捉えられるようになると、ファインダー越しに映る攻防に、匠はゴクリ、固唾を飲んでいた。

 

「くそったれ…!なぜ今は当たらねえ!さっきと全然違うじゃねえかよ…!」

十勝が跳ね上げていく塊を、駿は一瞬で交わし去っていた。

 

―ああっと!ビッグツリー、溜めています!テンペスターの後ろでマークする!滝沢駿、外を突く判断か、それとも再びインに入れるのか~!―

 

駿はギリギリ背後に詰め寄ると、追撃態勢を整えていた。

 

「うおおおお~っ!滝沢、すげえ騎乗!スレスレまで風避けにしてるぜ~!」

「これぞダービーを知り尽くしている、天才滝沢駿の神技だ~!」

歓声がゴール前に迫り来る、2頭の頭上に降り注いでいく。

 

「くそったれ!どうしてぶつからねえ!もう一発、お見舞いしてやるぜえ…!」

十勝がテンペスターの尻を打ち、泥を跳ね上げようとした瞬間、駿も真逆の方へと鞭を打ち、マッドスペシャルを交わし去っていた。

 

「貴様!」

十勝がそれに気がつくと、ビッグツリーは背後を抜け出して、泥を避けながら馬体を並べて、インから這い出すように取りついた。

 

「有り得ねえ…!」

横に縋り付いてきたビッグツリーに十勝が振り向くと、一瞬の内に交わし去っていく駿の姿に罵声を上げていた。

 

「このクソがあ…!テメエばっかそうそう、勝たせるわけには行かねえんだよお…!畜生が!大した苦労もねえ、親の七光りのボンボンがよお…!」

十勝は怒鳴って鞭を持ちながら、その手を高々と振り上げていた。

 

「ぶっ殺す!どこまで気に入らねえ…!テメエばっかダービー勝ちやがって…!畜生!冥土の土産になあ、最終兵器を見舞ってやるぜえ…!」

十勝の声も無心で前を見る駿の耳には全く届かない。

 

十勝はその場で歯を食いしばると、テンペスターごと体をぶつけた。

 

―ああっと今並んだビッグツリー!テンペスターの馬体が当たります!これは危険だ!デッドヒートになる、両者栄光へ意地の張り合いだ~!―

 

「ドオオオオオッ…!」

大柄なビッグツリーに対して、馬格的劣勢のテンペスター。

 

それでもまったく構うこともなく、十勝は体当たりを繰り返した。

 

「(なんて凄い…。なんて馬たちだろう…。こんな雨のなか、あんな競馬して…。これが皐月賞のワンツーを決めた馬たちの力だったのか…)」

震えるような歓声のなか、匠はカメラを握りしめていた。

 

そんな匠の隣で傘を差す小川が前の2頭を見つめると

「隣人殺し…」

ポツリつぶやいて、鋭い視線を送りつけていた。

 

次回予告

 

十勝の最後の技が繰り出され、騒然とする東京競馬場。

勝利を前に誰もが確信を抱いた瞬間に放たれたのは…

 

次回競馬小説「アーサーの奇跡」第100話 夢か幻か

前回は:競馬小説「アーサーの奇跡」第98話 信じなきゃ…

はじまりは:競馬小説「アーサーの奇跡」第1話 夏のひかり

*競馬も恋も感動も!学べる競馬純文学

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