登場人物紹介
上山 匠(かみやま たくみ)
当物語の主人公。20歳。アーサーをきっかけに競馬を知る
三条 結衣(さんじょう ゆい)
匠の憧れ。年齢不詳。佐賀競馬場でアーサーと出会う
福山 奏(ふくやま かなで)
匠の幼馴染。18歳。近所の名店「ブラン」の一人娘
前回までのあらすじ
急接近する匠との距離に、想いを告げる決心をする結衣。
そこに現れた奏の姿に、匠との距離を取った結衣ですが…
目次
競馬小説「アーサーの奇跡」第71話
第71話 正々堂々
「初恋~!?」
奏の驚く声が、喫茶店の中にこだましていた。
「あ、いやその…」
周囲の視線を受け、結衣に体を寄せながら奏は
「信じらんない…。こんな美人なのに、誰とも付き合ったことないなんて…」
カウンター席に座る結衣に、トーンを落として話しかけていた。
「本当です。奏さん、ありますか…?」
結衣の真っすぐな声を聞いて
「ないわね…」
と言った奏はそのまま、自分の気持ちを話しかけていた。
「女友達の方が楽しいし、恋愛なんて興味なかったから…。でも結衣さんに会って段々、匠ちゃんが気になってきちゃったの。考えてみればそのせいかなって、ちょっと思ったりしてるんだけどね…」
窓の外を見つめて奏は、頬杖をつきながら答えていた。
「そうですか…。あの前に奏さん、正々堂々勝負したいって…言ってくれたの、覚えてますか?」
結衣の質問を受け奏は
「もちろん。でも牽制しようだとか、そういうつもりで言ったんじゃないの。どっちが先とかくだらないことは、言いっこなしかなって思ったから…」
結衣を真っすぐに見て答えた。
「わたしには…くだらなくありません。だって奏さんはずっとこれまで、匠さんと育ってきたんですし…。匠さんの一部のはずです。匠さんも奏さんが大事で、それは匠さんからも感じます…」
結衣がうつむきながら答えた。
「まあそうね、幼馴染だからね…。そういえば結衣さんはバイトで、匠ちゃんを見てから気になったの?匠ちゃんて、仕事中かっこいい?」
そう問いかける奏に結衣は
「はい、とっても…!いつも優しいですし、色々丁寧に教えてくれて…。ブロアーでほこり吹くときだけ、よく変な音、鳴らしちゃいますけど…」
嬉しそうに奏に答えた。
「ああそういう、抜けたところあるよね。小学校に通っていたときも、雨の日にトラックが近くに来て、匠ちゃんが危ないっていうから、避けたら自分はドブに落ちてたり。地域の消防訓練のときも、派手に消火器まき散らしてたっけ…」
奏の思い出話にふと
「ふふっ」
「ははっ」
二人は笑い合うと、結衣がふっとうつむいてつぶやいた。
「あの、それから…匠さんに会ったの、実は10年前の今日なんです」
「え…?」
結衣の言葉に目を丸くしながら、奏は結衣をじっと見つめていた。
「10年前…。お母さんと一緒に、まっくら祭りを見に来たんですが、わたしそこで迷子になったんです…。一人ですごく怖かったんですが、匠さんが手を差し伸べてくれて…。どうしてもお礼が言いたくて、さっきも結局、それが言えなくて…」
「わたしがそこに来ちゃったんだあ…!ごめんなさい」
奏が目を瞑った。
「―奏さんは何も悪くないです。本当はそれが言いたかったのに、いつも匠さんに言い出せなくて…。結局何度言おうとしても、どうしても勇気が湧いてこなくて…」
結衣がうつむいたまま答えた。
「そうだったの…。でも、よく分かったよね。あの写真館の息子だってこと」
「それはその…。助けてもらったとき、大人の人たちの話を聞いて、この町の写真屋さんで働く、お父さんを持つ人だと分かって…」
奏は結衣の返す言葉に、静かにその耳を傾けていた。
「奏さんが正々堂々って、はっきり言えるのが素敵だなって。わたしは匠さんにまだ全然、本当のことが言えていないから…」
「どうなんだろ。匠ちゃんならきっと、悪いようには思わなそうだけど…」
結衣の真剣なその声音に、奏は首を傾げてつぶやいた。
「重いって、思われるくらいなら…。嫌われる前に、消えちゃいたいって…」
「え?」
奏は結衣の思いつめた声に、心配そうな表情で見つめた。
「ごめんなさい。前にお会いした時、奏さん本心を言ってくれて…。だからわたしも奏さんには、話しておきたいと思ったんです。誰にも話したことなかったから、上手く言えたのか分からないですが…」
「伝わったよ。それにわたしだってさ、まだ告白したわけじゃないんだし…。結衣さんには話しているけど、匠ちゃんなんか気づいてなさそう。あと「重い」?っていう言葉自体さ、言う方が「軽い男」なんじゃない?」
結衣は奏の顔を見上げながら、何も言わずに、目を潤ませていた。
「もう、結衣さん…。わたしライバルだよね?一応っていう感じだけどさあ…」
奏は苦笑いを浮かべながら、結衣の表情にそう答えていた。
「はい、そうです…。すみません、本当に…」
結衣はうつむいて返事をした。
「でも美人でもさ、悩んだりしてて、楽勝っていうわけじゃないんだね。結衣さんくらい美人なら何でも、思い通りになるのかと思った。ちょっとわたし、失礼だったみたい」
「奏さんは本当、優しいです…。匠さんがお話するときにも、楽しそうに話しているんですよ?一生懸命パンをつくってて、刺激になるって話していました…」
結衣が嬉しそうに微笑んだ。
「それ、嫉妬するところなんじゃないの?なんでそんな楽しそうに話すの。本当に匠ちゃんが好きなのね…」
「…」
奏の言葉に結衣はうつむくと、頬を赤らめて黙ってしまった。
「あとそうだ…!結衣さんが匠ちゃん、好きだってことは分かったんだけど、これまで逆に他の男子からさ、告白されたこととかなかったの…?」
ふと思いついた声で結衣に、奏が質問を投げかけていた。
「それはその…。わたし昔男子に、「暗い女」って言われたりしてて。そこで一緒に笑っていた人に、後から好きだって言われたりして…。男の子って何がなんだか、全然信用ができないんです…」
「そういうの、好き避けってやつかなあ」
結衣は小学校卒業のあと、池に中学で告白されたが、傷つけられた過去が忘れられず、無言で首を横に振って逃げた。
「どうなんでしょう…。わたし、分からなくて…。それに外見ばかり見られて、時々怖いって思ったりして…」
「―ああ有るよね。制服着てるだけで、声かけられる率も上がるもんね…」
「わたし…。匠さんに出会ってから、いつか女性として見られたいって、自分なりにやってきたつもりです。でもそしたら、別の男の人に告白されるようにもなってきて…」
結衣の脳裏に蘇るのは、高校の頃の思い出であった。
「三条さん、一目惚れしたんです!おれと付き合ってもらえませんか…!」
告白したのはクラスも名前も、顔も見覚えのない男子だった。
「…えっと、その…ごめんなさい。わたしは、知らない人とは…付き合えないです…」
そんな結衣に男子はポツリと
「残念…」
とだけ言って去って行った。
「女性として見られるのはいいけど、好きでもない人に見られるのはね…。それに外見だけを見られて、勝手に期待されるっていうのは…」
奏の声に結衣はコクリと、頷きながらぽつりとつぶやいた。
「奏さん、すごく可愛いですから…。わたしのこと、褒めてくれましたけど…。ほんとはずっと、不安なんです…」
結衣がうつむきながら答えた。
「え?そうかな、ありがとう。嬉しいな。結衣さんに言ってもらえるなんてさ…。でも分かる。さっきのことだけどさ、匠ちゃんて、性格見てるもんね」
「はい…!それに匠さんはわたしから、好きになったから別にいいんです。本当は毎日会いたいですが、奏さん、ご近所でうらやましい…」
結衣はそう言うと奏を見て、奏はその声にはにかんでいた。
「それくらい、ハンデもらわなくっちゃね。あとそうだ、匠ちゃんは昔の印象とやっぱり違って見えた?」
「匠さんは…。昔と変わらなくて。ううん、むしろもっと素敵だなって…。奏さんと付き合ってるなら、諦めなくちゃと思ったんですが…」
結衣はそう言うとふっと黙って、寂しそうな声でうつむいていた。
「ああ…あの初詣のときのことね。ごめんなさい、わたし…試したりして」
「いいんです…。それでわたし自分が、簡単に諦められないなって…。それははっきり分かったんです…」
結衣が奏の声に答えて、奏はその声に頷いていた。
「ねえ結衣さん。またお店にも来てね。またビスケット、サービスするからさ…」
「嬉しいです。はい、またお邪魔します…」
二人はそれからパン屋のこと、大学の話題などを話したが、気づくと閉店時間をまわって、喫茶店の外で別れを告げた。
「(―はあ、やっぱり…嫌いになれないなあ…)」
奏は帰り道で顔を見上げ、複雑な心境を抱えたまま
「(わたし、負けてるな…)」
と思うのだった。
一方結衣は
「(やっぱり奏さん…、すごく可愛いし、魅力的だなあ…)」
帰りの電車の椅子に腰掛けて、過ぎゆく景色をぼうっと見ていた。
次回予告
まっくら祭りが終わった翌週、昼食にパンを買いに行く匠。
結衣とどんな話をしていたのか、奏に何気なく問いかけますが…
はじまりは:競馬小説「アーサーの奇跡」第1話 夏のひかり