登場人物紹介
上山 匠(かみやま たくみ)
当物語の主人公。20歳。アーサーをきっかけに競馬を知る
上山 善男(かみやま よしお)
匠の父。53歳。上山写真館2代目当主。競馬歴33年
三条 結衣(さんじょう ゆい)
匠の憧れ。年齢不詳。佐賀競馬場でアーサーと出会う
福山 奏(ふくやま かなで)
匠の幼馴染。18歳。近所の名店「ブラン」の一人娘
前回までのあらすじ
奏からの伝言を頼まれて、ブランから家へと帰った匠。
結衣は匠からそれを受け取って、その背中に目を細めるのでした。
目次
競馬小説「アーサーの奇跡」第36話
第36話 晴れの日
「それじゃあ撮るぞ。そのまま動くなよ~。動くのは鼻の穴だけだぞ~」
「何言ってんだよ、まったくもう…。結衣さんも見てるっていうのに…」
休憩時間が過ぎた後は飛ぶように時間が流れて行って、終業後のスタジオの中は三人の時間が訪れていた。
「ほらほらちゃんとレンズを見てな。シャッターは待ってはくれないぞ?このフィルムにお前の魂、しかと焼き付けるから安心しろ?」
七五三のときとは違って善男が結衣を呼び止めていたので、終業後も解散はせずに匠の記念撮影に入った。
「むしろ不安になるよそれじゃあ…。幕末の志士じゃないんだから…」
昨年成人した匠はこの日が成人式でもあったが、撮影の手伝いで一日、善男と過ごすことが決まっていた。
同世代が集まる式には出席することができなかったが、それでも店を手伝いたいと、匠は快く引き受けていた。
「くすっ」
結衣も笑顔を見せ、二人のやり取りをそばで見ている。
紋付き袴の匠を見て、嬉しそうにその目を細めていた。
「そうそう、そのまま前を見ていろ?サムライが威嚇する表情!」
匠を撮影する善男も、どこかリラックスしたムードだった。
善男の声に結衣が小さく
「ふふっ」
とその肩を揺らしていると
「(絶対、そんな顔はしていない…)」
匠がじっと睨むのだった。
「よしいいぞ。いいものが撮れたな」
善男がオーケーと手を振ると
「匠さん、サムライなんですね…」
善男に結衣が問いかけていた。
「おお、結衣ちゃんは知らなかったのか。時々「ござる」って言うからね」
善男の冗談を聞き取って、結衣が真剣な表情になると
「分かりました」
と返事をしたので
「分かりましたってあの、結衣さんまで…」
匠がまぶたを閉じて言った。
「ところで頼みがあるんだけど、最後はおれと匠二人の写真も残しておきたいんだよね。それで結衣ちゃんには悪いけどさ、シャッターをお願いしたいんだ」
善男が右手を立てて結衣に「お願い」というポーズを突き出すと
「はい、お父様がおっしゃるなら…。シャッターを押せばいいんですね」
結衣が二つ返事で答えた。
「ありがとう!ほんとに助かるよ。それじゃあちょっとこっち来てくれる?」
善男が了承を得てすぐに促すように手招きを見せると、結衣もすぐにそれに従って、撮影者の位置へと歩み寄った。
「それじゃあちょっと、布掛けるからね」
ファインダーに被された布を善男が持ち上げて結衣に掛けると、旧式のカメラの扱いを善男が結衣にあれこれと伝えた。
「わあ…反対に見えるんですね…」
結衣が興味深げにつぶやく。
一通り説明が終わると
「はい」
と結衣がはっきり答えた。
「それじゃあ匠、お前はこの椅子に」
善男が今度は椅子を出すと
「顔だけはレンズに向けておけ」
そう言って匠を座らせた。
そうして今度は背広を着て、背もたれの上にその手を掛けると、善男は一瞬目を細めて、匠を見てカメラに向き直った。
「結衣ちゃんどう?違和感はないかな?」
善男が結衣に確認すると
「お父様、少しだけ左に…あ、違う。右向いてください」
「こうかい?」
「はい、とってもいいです。匠さんはちょっとアゴ引いて…」
「こうです?」
「はい、ちょうどいいですよ」
結衣の指示で二人が動いた。
「これはいいお嫁さんになるな…。匠、お前離すんじゃないぞ…」
「え…?」
善男のひと言にカメラを向いて目を丸くしていた匠だったが
「はい撮ります!」
という結衣の言葉で「カシャッ」とシャッターがすぐに切られた。
「うん、良かったよ!さすが結衣ちゃん」
善男がそう結衣を労うと
「もう一枚撮っておきますか?」
善男に結衣が問いかけていた。
「いや大丈夫。目は開(ひら)いてたし、きっと匠らしく撮れてるから…」
そう言う善男は満足気に、結衣を見て小さく頷いていた。
「(おれらしくって、どんなんだろう)」
そう思った匠の瞳に
「プリントすればきっと分かるさ…」
善男が視線を馳せて言った。
初めての経験に笑顔の結衣と目を細める善男を見つめ、匠は二十歳になったことを、少しだけ実感できた気がした。
スタジオの外は暗くなって、気がつけば白い雪が舞っている。
匠は二人の笑顔を見て
「(今日を忘れない)」
と思うのだった。
次回予告
弥生賞に出るアーサーを追って、中山競馬場に着いた匠。
善男の言葉に不安を募らせ、馬券を確かめる匠でしたが…
はじまりは:競馬小説「アーサーの奇跡」第1話 夏のひかり