前回までのあらすじ
結衣の声援を一身に受けて2歳チャンピオンを目指すアーサー。
その声に胸がいっぱいになって、ただ立ち尽くしている匠でした…
目次
競馬小説「アーサーの奇跡」第26話
第26話 無言の会話
匠は雷に打たれたように、体が痺れて立ち尽くしていた。
鎌倉記念のときと同様に、カメラを向けられず見送っていた。
大歓声のなかでまるで耳が、聞こえないように静かな気がした。
「匠さん…?」
静寂を破ったのは柔らかい、甘い香りと結衣の言葉だった。
結衣は少し心配そうな顔で匠の瞳をのぞき込んでいた。
「…はい?」
匠は呆然としつつ何とか結衣の目を見つめ返すようにして、ゴールが過ぎ去ったことをはっきり受け止めるように意識を集めた。
「匠さん、ゴールは分かりましたか?」
結衣の言葉を聞き取った匠は
「…はい。一体誰が勝っているか、さっぱり分からなかったんですけど…」
見たままにそう声を返した。
「そうですよね、わたしも同じでした…」
結衣も等しくそう頷いている。
そんなふうにただビジョンを見ながら呆然と立ち尽くす二人の目に、ほどなくゴールの瞬間を撮った映像が映し出されるのだった。
―さあさあ、ゴール前は大激戦!全く4頭が横並びです、写真判定も厳しいくらいの大接戦の結末になったぞ!まさに2歳王者の決定戦、それに相応しいものとなりましたー!―
「おいおい、こんな横並びの競馬、おれは今までに見たことがないぜ」
「これは沖が差し切ったんじゃないかー?」
「ホワイトタイガー、持たせていてくれ~!」
様々な声が色んな場所から口々に飛んでくるのを聞きつつ、フワフワと酔ったような感覚で匠は結衣の方に目を移した。
すると結衣もただ言葉を発せず、同じように匠と目を合わせた。
なぜだか匠はそんな結衣を見て何も言わなくて良いように感じ、結衣もただ視線を重ねたあとで、ゆっくりビジョンへ視線を戻した。
そしてまた言葉の出ない時間が二人の間を流れていったが
「写真判定…」
とつぶやく匠に
「はい…」
と結衣が言ってそれも過ぎた。
そして今度は結衣が匠を見て
「そういえば!」
と言葉を続けた。
「匠さん、お腹減っていませんか?」
唐突な結衣の言葉を聞き取り
「そういえば、そんな気がしてきました…。夕飯、まだ食べてなかったんです…」
匠が腹を押さえて言った。
「写真判定は長そうですから、今のうちに何か買ってきますね」
「え?」
と言う匠に笑みを見せて、結衣はどこかへふわりと消えていた。
残された匠はただその場所で繰り返しゴールシーンを見ながら、やはり一体誰が勝っているか分からないと思うばかりであった。
「(この4頭はどこからどう見ても、並んでるようにしか見えないけど…)」
写真判定でも分かるかどうか、いぶかしむほどの横並びだった。
次回予告
長い写真判定になると見て、夕飯を買いに消えて行った結衣。
結果には場内が揺れるような地響きが響き渡ったのでした…
はじまりは:競馬小説「アーサーの奇跡」第1話 夏のひかり