前回までのあらすじ
結衣との再会を果たし、はっきりと自分の気持ちに気づいた匠。
その気持ちと折り合いを付けながら二人で初観戦となりますが…。
目次
競馬小説「アーサーの奇跡」第22話
第22話 パドックにて
匠と結衣が再会を果たしてパドックの最前列に並ぶと
段々と人だかりができてきて、パドックにも活気があふれてきた。
「それで、結衣さんはどうして今度も川崎競馬場に来たんですか?」
匠が気負わずに話しかけると
「実はすごく気になる馬がいて…」
パドックビジョンを見ながら答えた。
「それならおれも同じなんですけど、あの、それってアーサーじゃないですか?」
匠は佐賀競馬場から結衣がパドックに居たことを知っていたが、それには触れず、ただ気になっている馬という感じで答えを待った。
「匠さんも、アーサーを追いかけて?」
結衣が匠の目を真っすぐに見る。
「はい。実は佐賀で出会ったんですが、その時から何かを感じていて…」
結衣が佐賀競馬場にいたことを自身の口から告げるのかどうか、匠が気になって見つめていると
「そうでしたか、競馬、好きなんですね…」
少し寂しそうにつぶやいた。
その表情の意味を尋ねたいとすぐさま思った匠であったが、何か触れてはいけない気を感じ、言葉を重ねずに口を閉ざした。
「…。」
そうして匠と結衣の間には少しだけ沈黙が訪れたが、それも束の間後ろから匠の肩を叩いて声が聞こえてきた。
「やあ君!今日も来てくれたんだね。カメラの調子はどんな具合だい?」
快活な口調で笑顔を見せる紳士にはっと気がついた匠は
「た…武内さん…ですよね?この前はその…ありがとうございました!」
「しー!声がちょっと大きすぎるよ、わたしのことはオジサンで良いから!」
武内が忍ぶようにそう言った。
「あ…す…すみません。突然でつい…」
匠が武内の立場を察し、声量を落としながらつぶやくと
「いやいや、気を遣わせて悪いねえ。そういうつもりではなかったんだが」
武内が笑顔で頷いた。
「ところで今日は随分べっぴんな、ガールフレンドを連れてるじゃないか」
武内が気づいて隣を見ると
「あのその、なんていうかこの女性は…」
匠は慌てて隣を見た。
「初めまして、三条結衣です」
結衣が落ち着いて自己紹介する。
「これはこれは。素敵なお嬢さんだ。わたしは武内昇(のぼる)と言います。名乗らせてしまいすみませんでした。何ね、この青年が先日のレースで熱心にわたしの馬を、それはもう食い入るようにカメラで撮っていたのがとても嬉しくてね。つい声をかけたというわけでして」
今度は武内がそう告げた。
「そうでしたか」
結衣が笑顔を見せ、匠がそのやりとりを見ていると
「お、ほら君、アーサーが出てきたぞ」
武内が匠にすぐに伝えた。
そこには少しふっくらとしている、金色の毛の馬が歩いていた。
「どうだい、今日のアーサーの仕上げは」
武内が匠に向かって聞くと
「なんかいつもよりふっくらしていて…毛ヅヤもふわふわってしていますね」
匠が思ったままに述べた。
「そうだね。今日はこの前と比べて、10kgも馬体が増えているしな。それでお嬢さんはどう見えたかな」
武内が結衣にも質問すると
「すごくきれいで元気も一杯で…。この前よりももっと良く見えます」
はっきりとした口調で言った。
「ほう。お嬢さんはこの青年より、何だかはっきり見えているようだ。こうなると他の馬の仕上がりも、ちょっと聞きたくなるんだが良いかな?」
武内が目を輝かせると
「はい。アーサーは凄くきれいですが、あのノースペガサスも気になります。それから5番のホワイトタイガー、11番のビクトリーロードも。4頭とも順調そうに見えて、順番的にもそうなるのですが…」
あまりためらうことなく次々と馬の名を上げていく結衣を見ると
「うん。確かに4頭とも良いよね。わたしもライバルはその3頭だ。さすがに順番まで分からないが、アーサーに勝ってほしいと思うよ」
武内がそう願いを口にした。
「ところで君、競馬は初めてかい?」
武内が結衣の核心に迫る。
匠はどう言うのか気になったが
「この前たまたまアーサーを知って。競馬は全然詳しくないです」
とだけ武内に答えていた。
「そうかい。それにしてはなんというか、はっきりとした意思を感じるねえ。その目で選ばれた青年ならば、これは相当に見込みがあるかな?」
武内が匠に微笑んだ。
そして
「おおそうだ。この青年は写真を撮らねばならないんだった。今度君たちを見つけたときには、ぜひその写真を拝ませてくれよ。わたしはそろそろ行くことにしよう。お邪魔をしては申し訳ないしね」
にこやかに二人を見て言った。
そこにちょうどアーサーを連れていた厩務員の村口と目が合うと、武内は軽く頷いて見せて、村口もまた軽く会釈をした。
「それじゃ、楽しもう」
一言告げて、武内は人混みへ消えて行った。
匠と結衣も会釈してそれから、お互い不意に顔を見合わせると
「写真、撮りますね」
と匠が言って、結衣がコクンと頷いて答えた。
デジタルカメラのシャッターの音が乾いた空気に拡散していく。
パシャ、パシャパシャ、パシャ。
そしてアーサーは馬場へと消えて行った。
次回予告
自分の気持ちを持て余しながら結衣と二人で馬場へ向かう匠。
結衣の意外な一面を覗いて、その胸は更に高鳴るのでした…
はじまりは:競馬小説「アーサーの奇跡」第1話 夏のひかり