登場人物紹介
上山 匠(かみやま たくみ)
当物語の主人公。20歳。アーサーをきっかけに競馬を知る
上山 善男(かみやま よしお)
匠の父。53歳。上山写真館2代目当主。競馬歴33年
三条 結衣(さんじょう ゆい)
匠の憧れ。年齢不詳。佐賀競馬場でアーサーと出会う
前回までのあらすじ
いつもと違う匠の髪型に、思い切って理由を尋ねる結衣。
互いに同じ想いに揺れながら、一段と距離を縮めるのでした…
目次
競馬小説「アーサーの奇跡」第78話
第78話 思わぬ強敵
青空光る東京競馬場。
匠と結衣は入場後早速、ダービーの馬券だけ買い終えると、スタンドを出て、様子を見るために、二人連れ立ってゴールへ向かった。
「さっきは1レース目の歓声が、スタンドまで届いてきましたねえ…」
人混みでつぶやいた匠に
「はい…」
ひと言だけ結衣もつぶやくと、周囲の人混みを見渡していた。
「それにしても、すごい人混みですね…。ちゃんと写真、撮れるんでしょうか…」
ポツリとつぶやいている結衣に
「まあなんとか…なるような気がします…」
何気なく、匠もつぶやいた。
「匠さん…。なんだか今日はあまり、撮影モードじゃないみたいですね…」
いつもと違う匠に結衣は、不思議そうに言葉を返していた。
「(まずいまずい…。結衣さん、鋭いぞ…。おれ浮わついてるの、見透かされてる…?このあと一日過ごしてから、告白するかもしれないとなれば…)」
匠は反省を促して、次の言葉を考えるのだった。
「(なんにしても…。このままじゃまずいなあ…。何か違う話題にしなくっちゃあ…)」
匠がそう首を傾げると
「…あのおれ、最近思ったんですが、おれってアーサーを撮るだけだから、それまでは体力を温存して、のんびりするのが良いかと思って…。考えたらその分集中、維持できるんじゃないかなと思って…」
以前から思っていたことを、ふっと思い出し、話かけていた。
「そうですね…。この前は匠さん、お腹の調子も悪かったですし…。でも青葉賞のときの写真、凄く雰囲気が良く出ていました…」
匠は青葉賞の当日、中年男・小川に出会ったり、結衣に彼氏がいるのではないかと疑って、心労も溜まっていた。
しかし最後はパドックでしっかり、アーサーと真凛がきれいに撮れて、それを後日、結衣に見せたときには、その仕上がりを褒められたのだった。
「嬉しいです。そう言ってもらえると。しっかり見に行った甲斐があります。学校では静物を写したり、時にはモデルも写すんですけど、なんだかしっくりくることがなくて、丁度へこんでいたところですから…」
匠が結衣を見て頷くと
「良かったです。青葉賞のアーサー、本当にきれいに撮れてましたし…。真凛さんも優しい笑顔で、あの時のことを思い出しました…」
結衣も微笑んで答えていた。
匠はアーサーの撮影の際、結衣の持つぬいぐるみに気がついて、真凛が笑顔になった瞬間をしっかりそのカメラに収めていた。
「あれは結衣さんのおかげでしたから…。男が同じことをやっても、真凛さんも笑えないと思うし…」
匠がうつむいてつぶやくと
「でもそれは…。匠さんがわたしに、あの子をプレゼントしてくれたから…」
結衣が目を細めてうつむいた。
結衣が言う「あの子」とはとっさに、匠が渡したぬいぐるみであり、サプライズで受け取ってから結衣は、ずっと大切にしていたのだった。
「…ああそういえば。あの子どうしてます?」
匠が所在を確かめると
「はい…!いつもベットの隣に居ます。時々抱っこして寝てるんですが…」
「え…?」
匠はその言葉に固まりつつ
「(うらやましい…)」
とただ思うのだった。
「やだ、わたし…。あの、恥ずかしいですね…」
結衣がうつむきながら返すと
「いや…全然。むしろ嬉しいですよ。ちゃんと役に立ってくれているなら…」
匠は気にせず返していた。
「抱き心地がすっごく、ちょうど良くて…。こうやって胸に抱いて寝ると、横向いたときに気持ちいいんです…」
結衣は寝るときの抱え方を、身振りを交えて説明していた。
その瞬間、少しかがんだことで、結衣の胸元が不意にはだけると、匠は視線が釘付けになって、答えに声を詰まらせるのだった。
「そ…それは…。ほんとに、良かったです…。あの子も相当、幸せでしょうね…」
谷間に釘付けになったまま、ぬいぐるみと自分を重ねていた。
「(ああ、もしぬいぐるみが、おれだったら…。ああ死んじゃう…死んで悔いはない…)」
匠は遠くを見つめる目で
「(色即是空(しきそくぜくう)…)」
と心で唱えた。
「あ…ほらもうすぐ、始まりそうです…!」
そんな妄想を払うように、結衣の言葉が匠に聞こえると、高らかにファンファーレが鳴り響き、各馬が一斉に飛び出していた。
「…よし一丁、撮影してみますか!」
匠が意識を切り替えると
「頑張って…」
匠の肩にそっと、結衣が手を添えて、ポツリつぶやいた。
「(ああ結衣さん…。そんな、ボディタッチを…)」
集中がし切れずに匠は
「(あああああ…)」
直線に迫り来る、馬たちを見切れずに撮影した。
「ワアアアアッ!」
2レース目のゴールに、いつもより大きな声が上がると
「…どうでした?」
匠の顔をひょいと、結衣が隣から覗き込んでいた。
「…あ…はい、その…。ちょっと待ってください。いまリプレイ画像を出しますから…」
匠が恐る恐る開くと
「楽しみです…」
隣から覗き込む、結衣の香りがふわっと広がった。
「(はあだめだ…。この甘い、いい匂い…)」
匠がぼうっとした瞬間
「―あれ?これは…。空を撮ったんですか?きれいな空、画面に出ていますが…」
結衣が不思議そうにつぶやいた。
「(え…?)」
匠が画像を確かめると
「(本当だ…!)」
そこには青い空と、白い雲がばっちり映っていた。
「…そうなんです…。ついきれいだったから、こっちを撮ろうと思ってしまって…。結衣さんも空、好きだろうなと…」
匠は空を見てつぶやいた。
「そうでしたか…。はい、空大好きです!でも無限だって思うとちょっぴり…。怖いなって思ったりします…」
同じように空を見た結衣に
「(父さん、おれ…。素直な息子じゃない…。ごめんよ今、適当なこと言った…)」
心のなかで懺悔しながら
「そうですね…。無限だと怖いかも…」
匠が遠い目でつぶやいた。
「良かったです…。「変」って言われなくて…」
目を細める結衣の表情に
「いやそんな…。思うわけないですよ…」
匠はポツリと返していた。
結衣がそんな匠の声を聞いて、頬を赤く染めながら振り向くと
「はい…!」
と言ってにっこり目を細め、瞳をきらきら輝かせていた。
「(大変だ…。アーサーの強敵が、ビッグツリーとロングフライトなら、おれの強敵は勝利の女神の、結衣さんこそがその強敵だった…)」
胸が灼けるように熱くなり、匠の心は震えるのだった。
次回予告
2レース目が終わったあとのんびり、緑の丘で過ごす匠と結衣。
レストラン・スターファイルで匠は、不意にその胸を突かれるのでした…
はじまりは:競馬小説「アーサーの奇跡」第1話 夏のひかり