登場人物紹介
上山 匠(かみやま たくみ)
当物語の主人公。20歳。アーサーをきっかけに競馬を知る
上山 善男(かみやま よしお)
匠の父。53歳。上山写真館2代目当主。競馬歴33年
三条 結衣(さんじょう ゆい)
匠の憧れ。年齢不詳。佐賀競馬場でアーサーと出会う
福山 奏(ふくやま かなで)
匠の幼馴染。18歳。近所の名店「ブラン」の一人娘
前回までのあらすじ
駅前の喫茶店で二人きり、匠のことを話す奏と結衣。
互いの気持ちを知って改めて、自分の気持ちを確認しますが…
目次
競馬小説「アーサーの奇跡」第72話
第72話 愛してる?
「おれは結衣さんと、どうなりたいんだ…」
先週まっくら祭りのあと、結衣を送らずに帰った匠は、言えずに終わった気持ちを一人で、確かめるように家路を歩いた。
「お帰り。早かったな」
善男から、意外そうな声が居間からしたが
「うん、ただいま」
とだけ返事をすると、洗面所の扉を開いていた。
「(「好きです」じゃ…なんか物足りないな。でも「大好き」とかも違う気がする。「愛してる…?」ううん、なんかクサいな。どう言えばいいのか分からなかった…)」
匠は手を洗い顔を上げ、鏡でその顔を確認すると、青葉賞の際トイレで一発、パンとはたいたことを思い出した。
「(ああして気合いを入れたのもあれは…。しっかりしたいと思ったから。でもなんだか焦りっぱなしで、今日だってやっぱ焦ってたよなあ…?)」
匠は意図的でないにせよ、結衣を抱きしめたのを思い出した。
「(結衣さん本当に、可愛かったな…。胸が張り裂けるかと思った…)」
匠はそのことを思い出し、その日遅くに眠りについていた。
「―なあ奏、たこ焼きパンないのか?」
その翌週、昼食を買いに来た匠が奏に一声かけると
「ついさっき、全部売り切れちゃった!」
弾む声で奏が返した。
「(奏相手なら別段何とも、緊張することなんてないのにな…)」
匠がじっと奏を見ると
「匠ちゃん…どうかした?なんとなく、疲れてるような顔に見えるけど…」
奏が不意に問いかけていた。
「ああ、いいや…。ここんとこ寝不足で。そうか残念。なんだかんだ言って、あれ結構、気に入ってるんだよな…」
そうつぶやいた匠に向かい
「ありがとね!おかげさまで好評、定番にするってお父さんもさ!」
匠の感想にはにかんで、張りのある声で奏が答えた。
たこ焼きパンは奏が就職後、初めて開発したパンだったが、匠の感想を採り入れながら、急激に売り上げを伸ばしていた。
「人気が出たのは良かったけどさあ、まさか買えないほど人気とはなあ…」
つぶやくように言った匠に
「言ってくれればちゃんと取っておくよ?匠ちゃんには感謝してるからさ…」
袋にあんぱんを詰めながら、嬉しそうに奏が答えた。
「うん、いいよ。さすがに悪いからさ。忙しいのに邪魔しちゃなんだから…。それよりまた別の日に来るさ」
匠は最近は平日も学校帰りにブランに寄るなど、時々自分の間食用にも、たこ焼きパンを買って帰っていた。
「匠ちゃんがこんなにリピートして、買ってくれるなんて驚いちゃった。それに匠ちゃんの言ってた通り、マヨネーズもたっぷりがいいみたい」
匠は奏にたった一度だけ、新商品の感想を言ったが、マヨネーズの分量の精度など、奏は早速実現していた。
「ああそれな。すぐやって偉いよな。しかも実際に美味くなってるし。最初に一回言っただけなのに、こんなに変わるんだから凄いよな…」
「え?いや、うん…。その、ほんとありがとね」
匠が財布を取り出しつつ、奏の言葉に頷いていると、奏はいつもより静かな声で、視線を伏せ、答えを返していた。
「ん、なんだ?それで今日はいくらだ?」
いつも通りそう続ける匠に
「うん…。えっと、400円ちょうどね。前はいつもこの値段だったよね…」
奏が金額を見て言った。
「そうだったな。なんだかここのところ、たこ焼きパンばっかりだったからな…。焼きそばパンかたこ焼きパンで、値段が違うのも面白いよな…」
「たこ焼きパン200円だから、焼きそばパンより20円安い…。気に入ってくれて嬉しいけど、焼きそばパンの方が儲かるなあ…」
奏はじっとレジを見ながら、首を傾げて、ポツリとつぶやいた。
「まあそういう部分もあるけどさあ…。いいじゃん、好きで選んでるんだから…」
匠が苦笑いして言うと
「好きで選んでるんだから…好きで…」
奏が匠を見つめていた。
「ん?どうした。ほら、手が止まってるぞ…?」
匠が奏にそう返すと
「ああうん、はい…。400円ちょうどね。あとこれ、ビスケットも入れておくね…」
奏が慌ててレジを打った。
「お、サンキュー。あとこの前だけどさ、結衣さんと何の話をしたんだ?」
唐突に問いかけた匠に
「え?結衣さん?そうねえ…。大学とか、結構色々大変みたいよ。こっちも仕事の話したりねえ…」
目を逸らして奏が答えた。
「結構色々大変なんだな?男関係の話じゃないよな?」
匠が真剣な眼差しで、奏にたたみかけるように訊くと
「…もうここまで。ほらほらお客さんが、匠ちゃんの方、ちらちら見てるよ?レジが混んじゃうからさっさと行って…!」
奏は憮然とした態度で、袋を突き付けて匠に言った。
「な、なんだよもう、まだ来てないじゃん…」
とっさにそう返した匠に
「もうすぐ来る!ほら、いらっしゃいませ~!」
奏が手で避けながらそう言った。
「なんだよ、もう…」
ぶつぶつ言いながらも、店の外に出ようとする匠に
「ありがとうございましたー!」
と強く、奏が言った声が響いていた。
「(なんなんだよまったく、奏のやつ…)」
匠が店外へ踏み出すと、ちょうど休憩でパンを買いに来た、結衣の姿が目に飛び込んできた。
「あ、結衣さん!休憩入れました?すみません、先に取らせてもらって…」
匠がそう結衣に謝ると
「いいえ全然。それよりパン屋さん、今日もやっぱり混んでるんでしょうか…」
結衣が匠に問いかけていた。
「まあまあです…。たこ焼きパンがなくて、食べてもらえなくて残念ですが…。それはそうとなんだか奏が、ちょっと機嫌、悪いみたいでしたよ」
「え…?」
結衣はそう聞いて目を丸くすると
「どうしたんでしょう…」
首を傾げた。
「いやその、なんだか分からないですが…。でも結衣さんなら平気かなあ…」
匠の言葉に頷きつつ
「それじゃわたしもパン、買ってきますね…!」
店内へ一人、消えていった。
それから匠はガラス越しに見る結衣の姿をじっと見つめながら、向かいの公園のベンチで一人、焼きそばパンへと手を伸ばしていた。
「(結衣さん大学大変なんだな。男関係じゃないといいけれど…)」
そう心配する匠の目に、レジへ向かう結衣の笑顔が見えた。
「(あれ?なんだかまた、笑い合ってるな…)」
先程とは違って奏も、和やかに結衣と談笑しており、匠は焼きそばパンを食べながら、その空気を一人で見つめていた。
「(奏のやつも最近、分からんな…)」
結衣が袋にパンを詰め込む、奏と楽しそうに話している。
匠は味もよく分からないまま、焼きそばパンを食べ尽くすのだった。
次回予告
噛み合わない気持ちに焦りながら、結衣に付き添わず、見送った匠。
善男の言葉に家を飛び出すと、思わぬ事態に出くわすのでした…
はじまりは:競馬小説「アーサーの奇跡」第1話 夏のひかり