登場人物紹介
上山 匠(かみやま たくみ)
当物語の主人公。20歳。アーサーをきっかけに競馬を知る
上山 善男(かみやま よしお)
匠の父。53歳。上山写真館2代目当主。競馬歴33年
上山 真弓(かみやま まゆみ)
匠の母。47歳。上山家を支えるベテラン主婦
三条 結衣(さんじょう ゆい)
匠の憧れ。年齢不詳。佐賀競馬場でアーサーと出会う
福山 奏(ふくやま かなで)
匠の幼馴染。18歳。近所の名店「ブラン」の一人娘
前回までのあらすじ
青葉賞でのアーサーの勝利を大々的に取り上げる競スポ。
数字からは日本ダービーでも、勝負になると善男が言いますが…
目次
競馬小説「アーサーの奇跡」第63話
第63話 母・真弓
匠の母・真弓は平日には、写真館で受付の仕事をし、時間を見ては家事をこなしながら、祖母の静香(しずか)の送迎をしていた。
静香は認知症になっていたが、平日は施設に通院をして、写真館にほど近いマンションの一室で生活を送っていた。
「今日は叔母さんが来てくれるんでしょ?おばあちゃん、どんな感じで居るかな…」
昼食のパスタを食べながら、匠が真弓に向かって尋ねた。
「さあねえ…。姉さんも久々だから…」
真弓はひと言だけ返した。
「しかし母さんが居る日曜日は、やっぱり中々良いもんだよなあ…」
善男が辛味酢(からみす)をかけながら、何気なく真弓を見てつぶやくと
「あら、あなた。本当は結衣ちゃんが来てくれた方が良かったんじゃない?」
真弓が善男の言葉にひとこと、つぶやくようにそう声を返した。
「うんそうそう…って言うわけないだろう。それはおれじゃなくて匠の台詞…」
チラと匠に目配せをした、善男が苦笑いしてつぶやいた。
「(父さん、どこまで話してるんだろ…)」
匠は普段、真弓に結衣の話題を表に出していないため、結衣のことをどう話せば良いのか、思考が整頓できていなかった。
「(結衣さんとは付き合ってもいないし、バイト以外じゃ滅多に会わないし…。競馬もあんまり大っぴらに、やってるって話していないからな…)」
匠は九州旅行の際、競馬場を巡っていた事すら、真弓には言わず、その他の事実や感想だけ話すようにしていた。
「(本当は母さんに話せるなら、聞いてみたいこともあるんだけどな…)」
匠は結衣が泣き出したこと、送ると言っても帰ったことなど、女性がどういう思考をするのか、真弓から聞きたいと思っていた。
「―それで匠、どうなのよ結衣ちゃんは?」
真弓が真剣な眼差しで、唐突に結衣のことを尋ねると
「…え?う、うん。変わらず、良い人だよ…。しっかり仕事も、してくれるし…」
なるべく無難に答えていた。
「良かったね…」
真弓がそう返して、食事の音だけが居間に響くと
「ああ~食った~!美味かったよ、母さん!」
椅子から善男が立ち上がっていた。
「良かったわ」
真弓がそう返すと
「ちょっとトイレ…。あと準備があるから、先にスタジオで待ってるぞ、匠…!」
善男は風のように立ち去り、その背中を真弓が見つめていた。
善男がパタンと居間のドアを閉め、束の間の静寂が広がったが
「…で、どうなの?」
と訊く真弓の声に、匠は食べる手をピタッと止めた。
「…へ?」
裏返ったその声を聞いて
「何が「へ?」よ。まったくいい歳して。あなた、これまでちっとも母さんに結衣ちゃんの話、していないじゃない。好きなんでしょ?隠しても無駄よ無駄。父さんからもう聞いてるんだから」
真弓がはっきりと切り出すと
「ずるいじゃない。こんな楽しい話、父さんとだけ話しているなんて…。母さんだけ除(の)け者だなんて、そんな子に育てたつもりはないわ…!」
匠の方に身を乗り出すと、パスタを食べながら睨んで言った。
「え…えっと…どこまで知ってるわけ…?」
たじろぎながら言った匠に
「きゃー!どこまで?どこまでってどこまで?もうそんなことになっちゃってるわけ~?」
声を上げて真弓が見つめた。
「(こりゃ、父さんより大変そうだぞ…)」
匠が悟ったのも束の間
「でもだめよ、そんなにいきなりから!女の子はムードが大事だもの。ガツガツしている男は引けるし、体が目当てなの?とか思っちゃう…。でもそうね、匠は見た目(め)的にガツガツしてないから逆に有りか…?」
勝手に一人つぶやいていた。
「あの、母さん…。むしろ悪いんだけど、そんな何かあったわけじゃないから…。そもそもまだ付き合ってないし、手だってまだ…あ、手は…」
青葉賞の帰り道で匠は、不意に握ったことを思い出した。
「手は…?手は…?何なの?気になるわあ~!っていうか何、付き合っていないわけ?父さん確かお正月前から「彼女できたかも」とか言ってたわよ?何、それは結衣ちゃんとは違うわけ?やだ、女ったらしになっちゃうもう~…!」
真弓は一人で盛り上がると、匠の次の言葉を待っていた。
「(なんだこりゃ…。母さんて父さんと、こんなに似たところがあったんだあ…?しかも父さんより圧が激しい…)」
青葉賞のスタート時よりも、匠はプレッシャーを感じていた。
「何なのよ、二股はだめなのよ!女の敵、そんなの許さないわ!」
らんらんとする真弓の顔に、匠はその身をたじろがせつつも
「いや、あのおれ…。結衣さん一筋だよ…」
はっきりと匠はつぶやいた。
「いい匠…。いい子に育ったわね…。母さん、涙が出ちゃいそうよ…。良かった、チャラ男に育たなくて…」
先程とは一転、真弓はしみじみと匠に頷いていた。
「(めまぐるしい…。めまぐるしい、母さん…。いつもの冷静さはどこにいった…)」
じっとそれを見つめる匠に
「そう言えば!写真は撮ってないの?見たかった~。すっごい美人だって?このまえ福山さんに会った時、奏ちゃんがそう言ってたんだって!あの可愛い奏ちゃんが言うなら、そりゃもう絶対間違いないから!まあ一応履歴書の写真だけ、ちょっと見せてもらってはいるけどね…」
真弓の言う福山さんとは、奏の父・ブランの店主である。
「(奏の情報か)」
と思いつつ、はっとして匠は問いかけていた。
「え?結衣さんの履歴書持ってるの…?」
「そりゃ一応、雇ってるわけだから。でもダメよ。個人情報だもの。あなたはまだ経営者でもないし、見せてあげるわけにはいかないから」
釘を刺した真弓に匠は
「はいはい…。それでどうだった結衣さん」
すかさず感想を問いかけていた。
「可愛いわあ~!私も好きなタイプ。きれいだし、きれいなだけじゃないし。今度また母さんが居るときにも、アルバイトに入ってもらいたいわ」
静香の介護が始まる前、受付は全て真弓がしていた。
そのためバイトを雇う必要も、顔を合わせる状況もなかった。
「良かったよ…。母さんも結衣さんを見ればきっと気に入ってくれるから。写真がどんなふうか知らないけど、本当に素敵な人だからさ…」
思わずつぶやく匠を見て
「匠も大人になっていたのねえ…。子育ても思えば、あっという間ね…」
真弓は溜め息をつきながら、空いたパスタの皿を眺めていた。
「(なんか母さん、しんみりしちゃったな…。色々聞きたかったんだけど…)」
上下する真弓のテンションに、質問を呑み込んだ匠だった。
次回予告
どうしても結衣に一目会いたいと、時間をずらして家を出る真弓。
匠は撮影後の予定をふと、結衣に改めて確認しますが…
はじまりは:競馬小説「アーサーの奇跡」第1話 夏のひかり