登場人物紹介
上山 匠(かみやま たくみ)
当物語の主人公。20歳。アーサーをきっかけに競馬を知る
上山 善男(かみやま よしお)
匠の父。53歳。上山写真館2代目当主。競馬歴33年
上山 真弓(かみやま まゆみ)
匠の母。47歳。上山家を支えるベテラン主婦
三条 結衣(さんじょう ゆい)
匠の憧れ。年齢不詳。佐賀競馬場でアーサーと出会う
前回までのあらすじ
青葉賞が終わった帰り道で、握った手に慌てふためく匠。
一人駅に向かうと告げる結衣を、ただ見送るしかない匠でした…
目次
競馬小説「アーサーの奇跡」第62話
第62話 真価
青葉賞翌日。
日曜日もまた忙しかったが、匠は善男の指示を受けながら、しっかりとアシスタントをこなした。
ただいつもと違い、結衣の姿が見られない日曜となっていたが、匠の母・真弓が受付から、スタジオへ客を案内していた。
「―12時ご予約の吉田様です」
言葉こそ結衣と同じ台詞(せりふ)だが、慣れた声で案内する真弓に
「(慣れてるな…)」
匠も感心して、その違いを一人味わっていた。
「昼にしよう」
撮影が終了し、善男が階段を下っていくと
「うん」
と言って匠も忙しく、善男に続き降りていくのだった。
居間では善男が椅子に腰掛けて
「そうだ」
と競スポをその手に取ると
「昨日のアーサーの記事が凄いぞ…?」
ニヤリと笑って匠を見つめた。
「どれどれ…?」
匠が椅子に掛けつつ、善男の差し出す記事を見つめると、そこには「アーサー王の抜刀」と記された見出しの文字が出ていた。
「青葉賞で見せた上りタイムは31秒3の猛時計…。ビッグツリーの一刀両断へアーサー王が真価を発揮する…」
新聞ではダービーへ向けて期待できる内容であることや、無敗の二冠馬ビッグツリーにも、対抗し得ることが書かれていた。
「いや、昨日も言ったことなんだがな」
記事を読み終えるタイミングをみて、善男が匠に一声かけると
「昨日のアーサーはほんとに凄い、末脚を繰り出したもんだからな。これでもう日本ダービーですら、夢物語なんかじゃなくなった」
匠を見つめてそう続けた。
「なんたって上り最速を出して、ロングフライトを差し切ったからな。ラスト3ハロン31秒3というのは相当の時計だ。他の馬がバテるなかで最後の600m最速で走り、それも最後の1ハロンタイムは10秒3の時計を記録した。1ハロンは200mだから、大体時速70kmというスピードで最後駆け抜けたわけだ。馬としては殆んど限界だし、それにトップスピードの確かさと、何よりそれを生み出せるスタミナ、この両方を備えていることが、はっきりと示されたタイムだった」
興奮気味に善男が言うと
「そうなんだ…」
それを聞いた匠が、なんとも言えない表情で言った。
「どうした?」
その声を聞き善男が、意外そうに匠に問いかけると
「…うん。おれさ、昨日この目で見たし、凄かったことは分かるんだけどさ…」
嬉しさ半分、という顔の匠に善男が続けて尋ねた。
「分かるんだけど?」
「…うん。あのおれ、途中でもうほんとにだめかと思って。届くわけないし、2着も獲れるか怪しい感じだなって思ったり…。ぼうっと見てたら結衣さんがさ、カメラを構えるよう言ってくれて…」
匠はレース中あきらめて、ぼうっとしたことを恥じてはいたが、結衣の声で我に返ったことを、ごまかさずに善男に伝えていた。
「はっはっは!結衣ちゃんは偉いなあ…。あのレースじゃ匠のが普通だな。アーサーがあんな脚を使うとは、誰だって信じられなかったろう。ロングフライトの伊達もゴール前、驚いた感じ出してたもんなあ…。そうかそうか、本当に偉いなあ…。結衣ちゃんはいつも凛としてるけど、競馬を見るときまでそうとはなあ…」
「いやそれ、笑いごとじゃないんだよね…。なんだかおれが情けなくって…。父さんに言うのもなんだけど…」
「いいじゃんか、お前はお前だろ?」
「良くないよ、釣り合い取れないし…って」
「?」
何かを思い出したような顔で、匠ははっとし、顔を伏せていた。
「(そういえばいまの言葉をどこかで…。…そうだ、確か川崎のときだった。初めて結衣さんと帰ったときに「それが匠さんなんじゃないか」って…。つぶやいたときに言ってたよな…)」
それから匠は顔を上げて、黙ったまま善男を見つめていた。
「―忙しいヤツだ、今度はなんだい」
善男が苦笑いして尋ねると
「ねえ父さん、「それがお前」ってやつ、どんな気持ちで言ってる言葉なの…?」
真面目な声で匠が訊いた。
「まあ別に、深い意味はないけどな。無理するなんてバカバカしいだろう?お前は素直に育ってくれたし、それは人として大切なことだ。それに無理にかっこつけたところで、分かる人には直ぐに分かるもんさ。特に女性は見抜くのが上手いし、初めから無理すべきじゃないだろう?」
「…」
「まあ相手が誰かにもよるけどな、結衣ちゃんには意味が無さそうだよな。でもまあ結衣ちゃん自身は色々、抱え込んじゃうタイプみたいだがな…」
「え?」
善男の何気なく言った言葉に、匠は不意に声を漏らしていた。
「なんで?なんで父さんそう思うの?」
驚いた顔で尋ねる匠に
「だってなあ…。時々ぼうっとしたり、よく「大丈夫です」って言うだろう…?あれって本当に大丈夫なら、敢えて言うことでもない気がするし…。心にしまってるんだろうな。まあ本当に平気なときも、使って不思議ない言葉だけどな…」
善男がさらりとそう返すと
「父さんてほんと、なんだかいきなり、父さんらしい父さんになるよね…」
きょとんと匠が見つめていた。
「まあな」
太い声をわざと出して、今度は決め顔で言った善男に
「…そういうのが、かっこつけなんじゃない…?」
呆れた口調で匠が答えた。
ちょうどそこに受付を閉めてきた真弓が
「お昼お昼~」
と顔を出すと、匠と善男を一瞥しながら、忙しく台所に立っていた。
「すまんな」
善男がひとこと言うと
「いいえ」
真弓もひとこと返して、そのまま冷蔵庫から忙しく、あれこれ取り出してレンジにかけた。
「そういえば母さんが居る日曜、ほんとに久しぶりな気がするねえ…」
せわしない真弓の背中を見つめ、匠がひと言つぶやいていると
「ほんとにねえ…。でも匠にとっては、そうじゃない方が良かったかもねえ…?」
チラと匠に目配せをしながら、ウインクをしつつ、真弓が答えた。
「…」
そんな真弓を見つめ、匠は善男に視線を戻すと
「(父さん色々、話しているなあ…?)」
善男の顔をじっと見つめていた。
そんな匠の視線に気がついて、善男はパチクリまばたきをすると、目を伏せて新聞を開きながら、ぴゅ~っと口笛を響かせていた。
次回予告
結衣の事を尋ねる真弓の目に、たじろぎつつ答えを返す匠。
普段見ない真弓の態度につい、匠は本音をつぶやくのでした…
はじまりは:競馬小説「アーサーの奇跡」第1話 夏のひかり