登場人物紹介
上山 匠(かみやま たくみ)
当物語の主人公。20歳。アーサーをきっかけに競馬を知る
上山 善男(かみやま よしお)
匠の父。53歳。上山写真館2代目当主。競馬歴33年
三条 結衣(さんじょう ゆい)
匠の憧れ。年齢不詳。佐賀競馬場でアーサーと出会う
福山 奏(ふくやま かなで)
匠の幼馴染。18歳。近所の名店「ブラン」の一人娘
前回までのあらすじ
突然男に声を掛けられて、くじ引きをすることになった匠。
ベンチの上でがっかりしていると、思わぬ声を耳にするのでした…
目次
競馬小説「アーサーの奇跡」第55話
第55話 大事な人
「―…」
匠は結衣を見つめたままじっと、耳を赤くして腰を掛けていた。
「あの…。すみません、ごちそうになって。ただでさえ長く待たせちゃったのに…」
雛松(ひなまつ)という店に入った結衣はアーサーのぬいぐるみを手に、目を閉じて、嬉しそうにぎゅっとして、ゆっくりと椅子の上に置いていた。
「あのわたし…ついさっき知り合いの女の子に偶然そこで会って…。彼と一緒だったんですけど、しばらく一緒にパドックをやって。だから集中もできましたし、たまたま運よく当たりましたから…」
結衣は障害戦の馬券をパドックで選んで購入したが、オッズも気にせず最低人気の応援馬券を的中していた。
そのあと昼食代を払おうと匠が財布を取り出していると
「わたしが払います」
とそれを制し、結衣が二人分を支払っていた。
「しかし結衣さんは、障害戦でも関係なく的中するんですね。そんな結衣さんに教われるなんて、おれは本当に幸せ者です…」
感心した匠の様子に、結衣は頬を真っ赤にして答えた。
「偶然です…。匠さんをびっくりさせたいなって思っただけなので…。そしたらほんとに当たっちゃって…」
まるでその熱を冷ますように、結衣は両手で顔を押さえていた。
「それにずっと匠さんにこれまで、ごちそうしていただいていましたし…。少しでもお礼したいなって…」
「そんな。おれの方こそバイトも何もかもお世話になりっぱなしで…。なんとお礼を言ったらいいか…」
そう言うと二人は沈黙し、お互いその場でうつむいていたが、定食から立ちのぼる湯気にふと
「…まあ取り敢えず、いただいちゃいますか…」
匠が顔を見上げて言った。
結衣はオムライスを頼んでいたが、嬉しそうに口に運んでいくと、匠も視線を伏せて忙しく、マーボーライスを平らげていった。
「…そう言えばその、ぬいぐるみなんですが…袋がないのでごめんなさい…。割かし大きいのに袋が、用意されてないのが笑えますね…」
困ったような顔で匠が、苦笑いしつつ結衣につぶやくと
「平気です。とっても可愛いですし…。わたしずっと持っていますから…」
そう返す結衣は目を細めて、愛し気にぬいぐるみを撫でていた。
匠は結衣が彼氏を連れてきて自分に紹介したがっていると、勘違いから帰ろうとしたのを、一人猛烈に反省していた。
「(こんなに大事に思っているのに、あんなにすぐに絶望したおれは…。ほんと情けないけどやっぱり大事だからこそ、そうなったわけで…。結衣さんの気持ちを知らないと、やっぱり大事にはできないんだな…)」
霞みがかったようにぼうっと、結衣を眺めていた匠に向かい
「匠さん?あの、どうかしたんですか…?」
結衣が首を傾げて尋ねた。
「あ…いいや…。そのぬいぐるみですが、持ち歩くのが大変かなあって…まだメインまで時間あるのに…。帰るまでおれが持ちますから…」
とっさに結衣に言った匠に
「平気です。わたし持ってたいんです。大切な思い出になりますから…」
そう言って結衣は目を細めて、匠は耳を赤くするのだった。
「(…それにしても、結衣さんの知り合いが「すっごく大事な人と来た」ってさ…。確かにそう言ってたんだよな…。それってつまり、そういうわけで…。でもバイト先の人だったら、取り敢えず大事だって気もするし…。デートっていう言葉にしても、他に言葉が無かったのかもなあ…)」
パドックで待つ結衣を見つけて、匠はすぐに駆け寄っていったが、そのまま勢い両手に抱えたぬいぐるみを結衣に手渡していた。
「わあ、アーサー!どうしたんですか?これ…」
尋ねる結衣に匠は不意に
「プレゼント…サプライズってやつで…」
引っ込みがつかずにそう言った。
「(いきなりこんなものを渡されたら…正直、迷惑かもしれない…。でも帰ろうとしていたなんて、口が裂けたって言えないからな…)」
真剣な表情の匠に
「嬉しいです…ずっと大事にします…」
結衣はぎゅっと抱きしめて言った。
「(「人間万事塞翁が馬」だな…。まさに競馬場にぴったりだ…あんな色々あっていきなり、こんな光景が待ってるなんてさ…。まったく、人生分からないよ…)」
匠はしみじみと食べ終えた定食の皿を見つめるのだった。
それから不意に視線に気が付いて
匠がはっと視線を見上げると
「ふふっ」
結衣が匠の目を見つめ、穏やかな視線で微笑んでいた。
「(あっ…)」
ドキンと胸が高鳴ったまま、匠は言葉を失っていたが、止まった時の中で不意に結衣が、小さく言う声で我に返った。
「匠さん、ここにネギがついてます…」
結衣は自分の唇を指し
「ここです…」
匠を見つめて言った。
「…!」
匠はすぐネギを拭き取ると、一瞬そのネギをじっと見つめて、パクッと口に放り込むとすぐに、ニヤリと結衣を見つめてつぶやいた。
「これはついさっきの、小川さんです…」
緑の丘のことに触れると
「ふふっ…!」
微笑む結衣の表情に、匠は胸を撫でおろすのだった。
次回予告
パドックに現れたアーサーから、相馬談義を繰り広げる二人。
アーサーの背で微笑んだ真凛に、匠は何かを感じるのでした…
次回:競馬小説「アーサーの奇跡」第56話 シャッターチャンス
前回は:競馬小説「アーサーの奇跡」第54話 バカじゃないの?
はじまりは:競馬小説「アーサーの奇跡」第1話 夏のひかり