登場人物紹介
上山 匠(かみやま たくみ)
当物語の主人公。20歳。アーサーをきっかけに競馬を知る
上山 善男(かみやま よしお)
匠の父。53歳。上山写真館2代目当主。競馬歴33年
三条 結衣(さんじょう ゆい)
匠の憧れ。年齢不詳。佐賀競馬場でアーサーと出会う
福山 奏(ふくやま かなで)
匠の幼馴染。18歳。近所の名店「ブラン」の一人娘
前回までのあらすじ
緑の丘に結衣を一人残し、アイスクリームを買いに行く匠。
匠が戻ると中年男に頭を下げる結衣を見つけますが…
目次
競馬小説「アーサーの奇跡」第53話
第53話 障害戦
第4レースの障害戦。
結衣を一人、パドックに向かわせて、匠はトイレへ駆け込んでいった。
「(ううう…情けない。本当におれは、かっこ悪いところばっかり見せて…)」
小川が去ったあとの匠は、ふっと気が抜けた状態だったが、突然腹部が鳴るのに気づくと、急いでトイレへと駆け込んでいた。
「(せっかくデート日和っていうのに、いきなりからこんなじゃもう、最悪…)」
我慢できなくなった匠は、レジャーシートを畳みながら結衣に、しかめっ面で頭を下げながら、後で合流すると約束した。
そんな匠を見て頷きながら
「…さっきは人の目も少なかったし、声掛けやすい場所だったんですね…。とっても素敵な場所ですから、もう少し居たかったところですが…。でもこういうのって繰り返し、そう何度もありはしないはずです…。だからきっと大丈夫ですよ」
結衣はそう言うと一人きりで、パドックへ向かって歩いていった。
「(ああしていつも結衣さんは一人で、納得してくれようとしちゃうから…。ああ…おれがほんと、情けなくて…)」
用を足した匠はトイレの手洗い場で鏡に向かい合うと
「(シャキッとしなくちゃ!)」
と頬を叩いて、外に響くくらいパンと鳴らした。
「よし!」
それから匠は結衣の待っているパドックへすぐに駆けつけていたが、そこには結衣と楽しそうに笑う、若い男が並んで立っていた。
「え…?」
匠は最初結衣が目に入って、すぐに後ろから駆け寄っていたが、若い男の背中に気がつくと、ピタッとその足を止めてしまった。
「(…)」
匠は笑い合う結衣を見つめて、体がそのまま固まってしまい、頭の中を真っ白にしながら、黙って二人の背中を見ていた。
「(―…)」
そんな匠をスタンドから歩く他の客がチラと眺めながらも、4レース目のパドックに向かって、段々とその輪をつくっていった。
「(もしかして…。あれは彼氏じゃないか…?)」
ざわつく胸を抑えきれずに、匠はその手でこぶしを作ると、そのまま一人で立ちすくんでいた。
「―結衣ちゃんは、どの馬が良く見えるの?」
ちゃん付けで呼ぶ声が聞こえてくる。
「そうですね…。あの9番でしょうか…」
結衣が微笑みながら答えた。
「(…終わりだな…。もう、なにもかも終わり…)」
愕然とする匠の胸に
「そこいくかい?そりゃ攻めすぎだよもう…!まったく魅力的ではあるけどさ…!」
男の声が更に刺さった。
結衣はその声に頬を赤らめて、照れた様子で
「はい…」
とうつむいたが、はた目にも仲睦まじい空気に、周囲の人たちも声を漏らした。
「いいねえ、若いってことはまったく…」
「最近はカップルも増えたよねえ…!」
匠は目に涙を浮かべながら、唇を噛んで、立ち尽くしていた。
「…さんは、どの馬にしたんですか?」
微笑みながら結衣が問いかけると
「おれはあれ、ほらあの1番だよ。結衣ちゃんも良かったら買ってごらん?」
男が慣れた様子でそう言った。
「どうしましょう…」
うつむいた横顔に、結衣の黒髪がふわりとなびくと
「本当にきれいな黒髪だよね…!」
「あ…その…ありがとうございます…」
二人の会話が流れてきた。
「(…もう帰ろう…)」
がっくりとうなだれて、匠が背を向けようとしていると
「止まーれー!」
という号令がかかり、匠は一瞬、体をすくめた。
「(…やっぱりね…。あんな素敵な人に、彼氏が居ないわけがないじゃないか…。おれは何を浮かれていたんだ…。今日は彼の紹介のために、わざわざ来てくれていたんだろうな…。おれを誤解させないようにと…)」
匠はこぶしを握りしめて、うつむいたまま、人の輪を離れた。
「(さようなら…)」
心でそう告げると、一人立ち去って行く匠だった。
次回予告
仲睦まじい二人の雰囲気に、パドックを一人立ち去った匠。
傷心のなか出口へと向かうと、赤いはっぴの男が現れて…?
はじまりは:競馬小説「アーサーの奇跡」第1話 夏のひかり