競馬小説「アーサーの奇跡」第52話 アイスクリーム

登場人物紹介

上山 匠(かみやま たくみ)

当物語の主人公。20歳。アーサーをきっかけに競馬を知る

上山 善男(かみやま よしお)

匠の父。53歳。上山写真館2代目当主。競馬歴33年

三条 結衣(さんじょう ゆい)

匠の憧れ。年齢不詳。佐賀競馬場でアーサーと出会う

福山 奏(ふくやま かなで)

匠の幼馴染。18歳。近所の名店「ブラン」の一人娘

中年男(ちゅうねんおとこ)

謎の男。小倉で匠が取り忘れていたアーサーの単勝を換金する

競馬小説「アーサーの奇跡」登場人物紹介

前回までのあらすじ

 

「知り合い」の中年男を見つめ、黙った匠を追及する結衣。

場所を変えて緑の丘へ出ると、穏やかな気持ちになれるのでした…

競馬小説「アーサーの奇跡」第51話 緑の丘

競馬小説「アーサーの奇跡」第52話

第52話 アイスクリーム

 

「あれ…?うそ…。なんであのおじさんが…?」

匠がアイスクリームを手に結衣のいる緑の丘に戻ると、そこには中年男に深々、頭を下げる結衣が目に映った。

 

「ちょっと…!結衣さん、何があったんです…!」

匠が慌ててそこに駆け寄ると

「あ…匠さん…!」

顔を上げた結衣に、匠が構わず割り込んで言った。

 

「なんなんです…!結衣さんが何をした!」

睨みつけて叫んだ匠に

「…」

男は黙ったまま、ふうっとひと息、溜め息をついた。

 

「あの、匠さん…!勘違いしてます、この方はわたしを助けてくれて…」

結衣の手が背中に触れたため

「はい?」

と匠は驚いた声で、結衣の顔をきょとんと見つめていた。

 

「あの実は…。さっき知らない方が、突然横から話しかけてきて…。酔っぱらった様子でわたしに、遊びに行こうと手を伸ばしてきて…。そしたらこのおじ様がすぐに、後ろから追い払ってくださって…。だからお礼をしていたんです」

結衣の言葉に口を開いて、匠はただ、呆然と立っていた。

 

「ふう…」

そんな匠を見下ろして、中年男が溜め息をつくと

「…」

匠は振り返って、中年男を黙って見つめた。

 

「よお、兄(にい)ちゃん…。いつもそそっかしいな…」

中年男のそのセリフに

「…」

匠は言い返せず、耳を赤くし、口を噤(つぐ)んでいた。

 

「もしかして、お知り合いの方ですか…?」

後ろから尋ねかけた結衣に、匠は引きつった顔をしながら

「そう、さっきの…」

と小声で答えた。

 

その言葉を聞いた結衣は頷き、中年男を改めて見ると

「本当に、ありがとうございました…。あのわたし、三条…」

「言わんでいい」

深々とお辞儀をしながら結衣が、自分の名前を告げようとすると、中年男は黙らせるように、結衣に向かってひと言つぶやいた。

 

「おれが勝手に入ってきただけだ…。礼など全く必要ない。それに若い娘が名前なんて、そうそう気安く言うもんではない」

結衣はその言葉に頬を赤くし

「ありがとうございます…」

とまた言った。

 

「それにしても兄ちゃん…お前さんに貸しができたのは確かなようだな…」

男はじっと匠を見ると、手に持つアイスに視線を落とした。

 

「よお…そのアイス、もう溶けてきてるぞ。仕方ない…それで手を打ってやろう…」

中年男のその言葉に

「な…!これはあんたに買ったんじゃない…!」

匠も引かずに言い返した。

 

「ほう、なかなかいい度胸をしてるな…」

見下ろす中年男を見て

「匠さん、いいんです…」

結衣が言うと

「…」

匠は黙って見つめた。

 

「…兄ちゃんがいない間も彼女は、はっきり酔っ払いを拒んでいた。しっかりしたその彼女が言うんだ、それくらいよこしたっていいだろう…?」

ちょいちょいと人差し指を立て、アイスを促す中年男に、匠はしぶしぶそれを差し出すと、中年男はすぐにパクついた。

 

「―…。」

気にせずその場で食べ出す姿に、匠も結衣も閉口していたが、あっという間にそれを食べつくすと、中年男が結衣を見て言った。

 

「それからな…時々周りを見ろ…」

中年男が注意すると

「そうですね…。これから気をつけます。それであの…」

「小川だ」

「小川さん…。ありがとうございました…」

「だから別に礼など不要だ。それよりもう名乗っているからには、「あんた」と呼ぶのはこれまでにしろよ…」

小川は匠の方を見ると、うっすらと笑いながらつぶやいた。

 

「…」

匠は何も言えず押し黙って、小川の様子をうかがっていたが、突然はっと閃いた様子で、ポケットの馬券を取り出していた。

 

「匠さん?」

結衣がそれに気がつくと、首を傾げて匠を見ていたが、匠は手の中を一瞥すると、小川の目の前に差し出していた。

 

「…」

小川は匠を一瞥してから、手に持った馬券をじっと見やると、眉一本動かさずそれを見て、今度は結衣にひとことつぶやいた。

 

「それであんたは、何を買ってるんだ」

小川の質問にすかさず結衣は

「同じです…」

ポツリと返事をすると、黙ったまま小川が二人を見た。

 

「面白くなりそうだな…」

と小川は、うっすら笑みを浮かべてそう言うと、それ以上ひとことも言わないまま、背を向けて、どこかへと消えて行った。

 

「…」

その小川を見つめて、匠も結衣も沈黙していたが、丘の下から歓声が上がると、はっと我に返って目を合わせた。

 

「3レース目…もう、終わっちゃいますね。すみません、ゆっくり見られなくって…。それに心配、お掛けしました…」

結衣が匠にそう切り出すと

「いえ…全然。むしろおれ、すみません…。ずっと一緒に居るって言ったのに…」

肩の力が抜けた匠が、視線を伏せながら結衣に答えた。

 

「あのおじ様…。不思議な人でしたね。匠さんがさっき言っていたこと…。なんとなく分かる気がしました…」

「ああ知り合いかどうかってやつ…。ああいう不思議な人ですから…。でも今回もおれの馬券を、取り換えてはくれなかったみたいで…。アーサー、だめかもしれませんよ…」

匠の弱気な声を聞いて

「馬券を取り換えるってなんですか…?小川さんとは一体どこで…」

結衣の心配そうな声音に

「はい…。まあちょっと色々ありまして…。話せばちょっと長くなります…。会うのはこれで三度目ですが、勝つときには馬券、持っていくので…。でも前回中山のときは、おれの手元に戻していきました…。あの時アーサーは負けたから、今回はやっぱり望み薄かも…」

「そんな、パドックも見てないのに…。アーサーはきっと真凛さんと、先頭でゴールに来てくれますよ。信じましょう?きっと勝てるって…」

結衣の声に匠は黙って、コクリと頷いたままうつむいた。

 

「(でもあの人、只者じゃないからな…。1レース目も当たっていたし…)」

匠は「アーサー」と記された、単勝馬券をただ見つめていた。

 

次回予告

 

小川が去ったことに安心して、急に腹を下してしまう匠。

パドックで先に待つ結衣の元へ、駆けつけた匠の目に映るのは…

 

次回競馬小説「アーサーの奇跡」第53話 障害戦

前回は:競馬小説「アーサーの奇跡」第51話 緑の丘

はじまりは:競馬小説「アーサーの奇跡」第1話 夏のひかり

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