競馬小説「アーサーの奇跡」第47話 荒尾真凛

登場人物紹介

上山 匠(かみやま たくみ)

当物語の主人公。20歳。アーサーをきっかけに競馬を知る

上山 善男(かみやま よしお)

匠の父。53歳。上山写真館2代目当主。競馬歴33年

三条 結衣(さんじょう ゆい)

匠の憧れ。年齢不詳。佐賀競馬場でアーサーと出会う

福山 奏(ふくやま かなで)

匠の幼馴染。18歳。近所の名店「ブラン」の一人娘

競馬小説「アーサーの奇跡」登場人物紹介

前回までのあらすじ

 

街燈が照らし出す結衣の顔に、言葉をなくして立ち尽くす匠。

まわり道をした神社で突然、泣き出した結衣に戸惑うのでした。

競馬小説「アーサーの奇跡」第46話 何も言えずに

競馬小説「アーサーの奇跡」第47話

第47話 荒尾真凛

 

「お父さん、お父さん、ごめんなさい―」

病室のベッドで冷たくなった、父の手を取って泣き崩れていた。

荒尾真凛(あらおまりん)22歳の秋は、木枯らしが吹きすさぶ秋であった。

 

「大丈夫、真凛なら大丈夫さ…」

父の声を思い出していた。

 

中央競馬所属の女性騎手。

それが真凛の生きる道だったが、その父・栄一(えいいち)は大ベテランのいぶし銀と言われた騎手であった。

デビュー前、緊張をほぐすために栄一が何度も言った言葉が、真凛の耳の中に響いていて、何度となくそれが呼び返される。

 

「大丈夫、真凛なら大丈夫さ…」

そう栄一は微笑んでいた。

 

落馬事故は十一月末―

この日も肌寒い日であった。

当時のレースはこうであった。

 

―さあさあ、荒尾栄一騎乗のシリウスは後方の4番手だ!娘の真凛はじっくり見ながら先行2番手に位置しているぞ!先頭は伊達のベテルギウスだが、真凛とプロキオンぴったりマークー!―

この日の東京メインレース。

真凛は若手女性騎手でも、父親譲りのセンスが買われて、この日も一番人気を背負ったプロキオンの屋根を任されていた。

 

「おらおら姉ちゃん、出さんでいいのか!おれが後ろから抜いてっちまうぞ!」

真凛の後ろに付いた騎手の、突っかかるようなセリフも聞こえる。

 

「…」

こんなことは真凛も日常茶飯事という状況で、特段気にせず聞き流しながら騎乗馬プロキオンを抑えていた。

 

「(いま動かしたら、直線余力がなくなっちゃうから溜めていかなくちゃ…)」

長い東京芝の直線。

真凛は得意の先行策から抜け出しのタイミングを待っていた。

 

「(よし、今なら出しても粘れそうね…)」

コーナーで軽く押し上げつつ、逃げるベテルギウスを捕捉したが、瞬間、前に居たベテルギウスがバランスを崩して外へとよれた。

 

「(あ…!)」

真凛のプロキオンはその刹那(せつな)に、ベテルギウスが蹴った後ろ脚へ、ちょうど前脚が重なってしまい、弾かれるように馬体を崩した。

 

「(きゃあ!)」

真凛とプロキオンは転倒してそのまま外側に投げ出されたが、そこに後続馬群が殺到し、直線は大混乱をきたした。

 

「うおおー!あっぶねえー!」

「くっ…、と…止まれえ!」

騎手が慌ててそれを避けるなかで、真凛の父・栄一が騎乗した、シリウスが得意のまくりによって、外の死角から迫ってきていた。

 

「うわーっ!」

馬群を捌けなかった栄一はシリウスと共に馬群に突っ込み、前のめりに体を打ち付けると、ぐったりと地面に伏せてしまった。

真凛もまた地面に倒れ込むとそのまま脳震盪(のうしんとう)を起こしたが、それを見たスタンドからは悲鳴と悲痛な叫び声が上がっていた。

 

「きゃー!」

「真凛ちゃん!栄一さん!」

「大丈夫かー!」

転倒したプロキオンはそのまま、起き上がるとゴールへ向かっていき、シリウスはよたよたと起き上がると、栄一の方へ寄り添っていった。

起きない栄一が担架に乗って運ばれるのを見守るシリウスが、朦朧(もうろう)とした真凛の目に残る、人馬の最後の瞬間であった。

 

「―…。」

真凛は病室のベットで目覚め、手指の骨折も軽度で済んだが、栄一は手術の甲斐もむなしく、そのまま静かに息を引き取った。

 

「お父さん、お父さん、ごめんなさい―」

真凛は上手く乗れなかったことで、父を死なせてしまったとしばらく、誰とも口を聞くことができずに、ひたすら自分を責め続けていた。

真凛の母はその日動転して、騎手を辞めてくれと真凛に言った。

 

「―それでも君に、乗ってほしいんだよ」

面会でプロキオンの調教師、日比谷が真凛にそう告げていった。

絶望に沈んだ真凛の口は、一言も声を上げられなかった。

真凛の騎手生命の行く末は、多くの人の憂いとなっていた―

 

それから4か月。

 

「―それでも君に、乗ってほしいんだよ」

アーサーの転厩が決まった時、馬主の武内が真凛に言った。

 

「…」

真凛はまだ声さえ、満足に出すことができなかった。

それでも武内は続けて言った。

 

「君は栄一君が残していた、最後の奇跡だと僕には思う。アーサーの父であるユーサーには、君のお父さんが騎乗していた。鮫浜くんたち佐賀のチームから、君を推す声が僕に届いてね。そうだ、この馬には君しかいない。そう思ったから君に頼むんだ」

父を死なせてしまった自戒から、真凛は騎手を辞めようとしていた。

高齢だったプロキオンもその後、繁殖に上り引退していた。

だがそのプロキオンの引退まで、リハビリを続けた効果もあって、怪我は完治し、感覚も戻って、心だけが追いついていなかった。

 

「―君は日比谷厩舎に帰ってきた。その意味は君の中にあるはずだ。胸が痛いのは僕も同じだが、時間は共に悲しんでくれない。アーサーの背中はほんとだったら、栄一君に任せていたはずだ。彼が乗るはずだったその背中を、他の騎手に任せていいだろうか…」

真凛はその声にうつむくと、肩を震わせ、絞り出して言った。

 

「―乗ります…アーサーに乗せてください…。わたしがアーサーで…お父さんに…」

涙を流す真凛を見つめ、武内がポンと背中を叩くと

「ありがとう…」

武内がひと言告げ、日比谷はハンカチを取り出していた。

 

次回予告

 

転厩後の皐月賞を回避し、青葉賞から始動するアーサー。

匠は結衣を待ちながら善男に、アーサーの勝算を尋ねますが…

 

次回競馬小説「アーサーの奇跡」第48話 青葉賞当日

前回は:競馬小説「アーサーの奇跡」第46話 何も言えずに

はじまりは:競馬小説「アーサーの奇跡」第1話 夏のひかり

*読むと、競馬がしたくなる。読んで体験する競馬予想

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です