登場人物紹介
上山 匠(かみやま たくみ)
当物語の主人公。20歳。アーサーをきっかけに競馬を知る
上山 善男(かみやま よしお)
匠の父。53歳。上山写真館2代目当主。競馬歴33年
三条 結衣(さんじょう ゆい)
匠の憧れ。年齢不詳。佐賀競馬場でアーサーと出会う
福山 奏(ふくやま かなで)
匠の幼馴染。18歳。近所の名店「ブラン」の一人娘
前回までのあらすじ
結衣への謝礼を兼ねて善男から、喫茶店代を受け取った匠。
思いがけず二人きりの時間を、欅(けやき)で過ごすことになりましたが…
目次
競馬小説「アーサーの奇跡」第45話
第45話 転厩
喫茶・欅は静かな店内に木枠の窓ガラスがはめこまれて、そこから見える竹藪が見事なコテージ風の老舗カフェであった。
匠と結衣は窓際に腰掛け、早速飲み物を注文したが、店内を嬉しそうに見る結衣につい見とれてしまう匠であった。
「(ああそうだ。今日こそは結衣さんに、聞きたいことを質問しなくっちゃ…)」
匠は九州旅行の際、結衣が佐賀競馬場にいたことや、アーサーに惹かれた理由について、改めて知りたいと思っていた。
メールのやり取りこそしてはいたが、中々核心に迫れずにおり、そんななか与えられたチャンスだと直感的に今を捉えていた。
「匠さん。また素敵な喫茶店、連れてきて下さって嬉しいです」
結衣が嬉しそうに匠に告げた。
「え?あ、はい。本当にいい店で…。喜んでくれて嬉しいです…」
匠は結衣の視線を受けて、頭がまた真っ白になっていた。
「(ああバカバカ、もう随分バイトで、何度も顔合わせているじゃないか。なんだってまた緊張してるんだ…)」
結衣と向き合った匠はふと、視線を下げて意思を取り戻すと
「…あの、結衣さん。紅茶でいいんですね?」
思わぬ言葉を口走っていた。
「はい。とっても落ち着く香りですし、色もきれいで見てて癒されます」
「たしかに。おれもコーヒーじゃなく、今度は紅茶頼んでみようかな…」
匠は結衣の声に合わせて、つい声を返してしまうのだった。
「(そうじゃない、本題に入らなくちゃ…)」
もう一度匠は決心し、結衣の顔を改めて見上げたが
「それじゃあ今度お気に入りの紅茶、いつものお礼に持って行きますね…!」
結衣の言葉に詰まるのだった。
「あ、はい、はは。それは楽しみだな~…」
引きつるように言った匠は
「(はあ…だめだ。あの笑顔を見ちゃうと、本質的な質問ができない。そもそも彼が居るかもしれないし、ただの偶然だったかもしれない。嫌われるのは絶対に嫌だし、一体何から話せばいいやら…)」
視線を落とし、うつむいていた。
そうして
「(はあ…)」
とため息をつくと、膝の上の「競スポ」が目に入り、とっさに
「(そうだ!)」
とそれを手に取ると、結衣の方へ視線を戻していた。
「あの、結衣さん。ついさっき父さんが大事な記事があるとか言っていて、アーサーのことかも知れませんから、ちょっとここで読んでみてもいいです?」
アーサーの話題に近づけた。
「そうですか…。もちろん構いません、でも読んだら教えてもらえますか?」
「もちろん!」
匠が結衣にそう言うと、匠はすぐ記事を確かめていた。
「(よし、これで流れはできてきたよな。あとは記事を読み終えたらにしよう…)」
一歩前進の気分になり、匠が記事に目を通していると、アーサーの今後を伝える記事に、匠は驚いて目を丸くした。
「え…?」
つい声を上げた匠に
「匠さん?」
結衣がそう問いかけると
「…」
匠は無言のまま、記事を読み進めて手元に置いた。
「アーサーに何かあったんでしょうか?」
結衣が心配そうに見つめている。
「いや、あの…おれよく知らないんですが、アーサーは転厩(てんきゅう)をするそうです。それで主戦騎手も交替だって…」
「転厩?」
「はい。このまま地方所属馬でいるより、トレーニングの質も上げられるし、関東の日比谷厩舎になるから、ダービーでも輸送が少ないって…。これは鮫浜騎手から特に、武内さんにお願いをしたとか…。あ、鮫浜さんのインタビュー、ここに出てるんでちょっと読みますね」
匠の声を真っすぐに聞き取り、結衣が小さく頷いて見せると、それを確かめて匠はすぐさま新聞の記事をそこで読み上げた。
「えっと、鮫浜騎手の言葉ですが…。―僕は引退ももうすぐですから、花を咲かせたい気持ちもあります。でもこの前、弥生賞に出たとき、僕のせいで負けたと思いました。アーサーはまだ何か持っています。でも、それは僕じゃ出せない気がする。芝のレースの経験だけでなく、それを補うものが欲しいんです。この馬は僕だけのものじゃないし、みんなに愛される馬になります。この馬にとって最善の道の障害に僕はなりたくなかった。それで九十九(つくも)調教師(せんせい)に悪いけど、お話して、納得してもらって。先生も同じ気持ちでいました。武内さんはまだまだ僕たちと夢を見たいって言ってくれたけど、アーサーのために全てをやるなら、転厩するべきだと思いました―」
そう読みながら匠はふっと、目頭が熱くなるのを感じた。
それは前走の弥生賞の際、ゴール後に肩を落とした鮫浜、パドックで表情を強張らせて歩く村口を見たからであった。
「匠さんは、鮫浜騎手のこともずっと応援していましたもんね…」
「はい…。初めての競馬のときに、アーサーと鮫浜騎手に出会って…。一緒に戦っているようで、それが特別な気がしていました」
そんな匠を見つめたまま結衣は
「わたしもです。鮫浜騎手とずっと、まるでひとつのように見ていました。なんだか寂しく感じちゃいますね…」
頷きながら匠に言った。
「そう言えば、結衣さんはあのときに、アーサーを見抜いていたようですが、どうしてそんなすぐ見抜けたんです?」
「あのとき…ですか?」
匠はつい転厩の話から結衣の核心を突くことを聞いて、結衣の反応に焦ってとっさに
「あのときってのは…ほら、この前、全日本2歳優駿のときに、結衣さんが言った通りにピタッと4着まで来ていたじゃないですか。あれ、本当に凄いなと思って。どうしたらそんなに分かるんですか?」
匠はつい佐賀競馬場の際、出会った真相に迫っていたが、結衣のいぶかし気な表情を見て、とっさに違う話題に切り替えた。
「(そりゃ確かに、この前の川崎のレースのことも聞きたかったけどさ…。これ以上は勇気が出ないよ…)」
匠はふと苦笑いをした。
「あれは偶然なんだと思います…。横並びでゴールしていましたし。でもそうですね、バランスがやっぱり…一番大事なんだと思います」
窓の外の景色を眺めながら、結衣はゆっくりとそう答えていた。
「バランス…。バランスっていうことは、具体的に言うとどうなんでしょう…」
匠が結衣に質問すると
「体の芯が地面に対しても、真っすぐに見えていることでしょうか…。平衡感があるっていうか…。それとお尻が大きい馬は、特に速く走れると思います」
結衣は口元に指を当てて、思い出すようにそう答えていた。
「へえ…結衣さんもズバッとこれという、答えがあるわけではないんですね。あまりに的確に当たってるから、必勝法でもあるかと思って」
「はい。実際に確かめてみないと、これというのはすぐに分かりません。それからレースを走る馬同士、比較してみないといけませんから」
真剣な顔で言う匠に、結衣は頷きながら答えていた。
「良かった。結衣さんでさえそうなら、おれが分からないのも無理はないし。でも結衣さんは当たっていますから、やっぱりそれが大事なんでしょうね。同じレースに出ている馬同士「横の比較」をするってことですね。他に大事なことはあります?」
匠が身を乗り出して聞くと
「そうですね…。細部より全体に、ゼッケンを中心に見る感じで、お腹が絞れて、ふっくら厚みがあるのがいい形だと思います…!」
そう言うと結衣も身を乗り出し、目を輝かせて匠に答えた。
「あ…」
距離が近づいた二人がばっちり、目を合わせたまま固まっていると、結衣は頬を真っ赤にしてうつむき、目を伏せたままで黙ってしまった。
匠も内心胸がドキドキと、早鐘を打つように高鳴ったが
「(このまま一気に聞けちゃいそうだぞ…)」
そう思い切って
「あの…」
と切り出した。
するとその瞬間、結衣がぽつりと
「あの…それと、ツヤも大事ですから…」
うつむいたままつぶやいたので、匠はその声に目を丸くして
「ふふっ…!」
と結衣を見て噴き出していた。
「…?」
匠の反応に目を丸くして、きょとんと顔を見上げた結衣を見て
「ああ、ごめんなさい…。結衣さんはほんと、競馬が好きなんだなって思って。もちろん、ツヤも大事にします…」
微笑みながら匠が言った。
結衣はそんな匠の言葉に頬を赤らめてうつむいていたが、匠は
「(今日はこれまでにしよう…)」
ガラスに映る結衣を見て思った。
次回予告
競馬談義に花を咲かせながら、心の距離を縮めていく二人。
結衣を送る帰り道の途中で、再び固まる匠なのでした…
はじまりは:競馬小説「アーサーの奇跡」第1話 夏のひかり