登場人物紹介
上山 匠(かみやま たくみ)
当物語の主人公。20歳。アーサーをきっかけに競馬を知る
上山 善男(かみやま よしお)
匠の父。53歳。上山写真館2代目当主。競馬歴33年
三条 結衣(さんじょう ゆい)
匠の憧れ。年齢不詳。佐賀競馬場でアーサーと出会う
福山 奏(ふくやま かなで)
匠の幼馴染。18歳。近所の名店「ブラン」の一人娘
前回までのあらすじ
アーサーの初の敗戦を受けて、そのショックを引きずっていた匠。
帰りの電車のなかで様々な浮き沈みを経験するのでした…
目次
競馬小説「アーサーの奇跡」第43話
第43話 後継ぎ
「あら匠ちゃん。ちょうどいいところに」
休憩時間にパンを買いに来た匠にすぐに気がついた奏は、ミトンを片手に手際よくパンを商品棚へと陳列していた。
「お、もしかしてそのパン焼きたてか?」
香りのする方を匠が見ると
「うん。わたしが考えたメニューでね、たこ焼き風のパンにしてみたけど…。匠ちゃんこれ、買ってくれない?」
奏が匠に問い返した。
「たこ焼きパン?なんかうまそうじゃんか。いいけどいったいいくらするんだ?」
「200円!たこもちゃんと入ってる!まさかほんとに買ってくれるなんて…やっぱりソースにして良かった!」
「やっぱり焼きそばパンにするか…。体が焼きそば求めてるし…」
「…」
いつもの調子で匠が構わず焼きそばパンに目を逸らして言うと、奏はじいっと匠を見つめて、目を瞑るくらいに細めて言った。
「…匠ちゃん、今買うって言ったでしょ。ひどいじゃん、たこが中で泣いてるよ?なんなら焼きそばパンでもいいけど、今は時価で一個一万円ね」
奏が憮然として答えた。
「…え?焼きそばパンがそんな値段に?一体どんなパン屋なんだここは…。はいはい、たこ焼きパンを買うよ。あとあんぱんは、買っていいだろ?」
奏を見て匠はしぶしぶ、たこ焼きパンを取ってそう言ったが、手を伸ばす匠を見つめ奏は、目をきらきらさせてじっとしていた。
「…おいお前、何固まっているんだ?それであんぱんは買ってもいいのか?」
匠が奏に問いかけると
「ああうん、ごめん。もちろん好きにして…。あんぱんは定価にしてあげる…」
「まったく、何を言っているんだ…。パンは定価に決まってるだろ…」
ぶつぶつ言いながらパンを取り、レジへと足を向ける匠だった。
途中、アップルパイをトレーに入れ、それをすっと置いた匠だったが
「…うん、今日は結衣さんが来てるわけね。じゃあ、ビスケット2枚入れておくね…」
奏がポツリつぶやいていた。
「ああ、今日もバイトに入ってくれて。助けられてばっかりだからさ、お礼にこれくらいはしておかなきゃ…。それにこの前のアップルパイ、生地が特に美味しいと言ってたし、おじさんはやっぱ達人だよ」
匠が屈託なく笑った。
「…いつかきっとわたしも匠ちゃんに、美味しいパンを食べさせてあげるね…」
奏はいつになくしおらしく、うつむいたままでそう答えていた。
「…うん?ああお前、やっぱりこのまんま、この店でずっとやっていくんだな…?」
奏は高校卒業後も、変わらずに手伝いをやっていたが、匠より早く家業に従事し、専念すると心に決めていた。
「匠ちゃんは、学校頑張ってね。おじちゃんの後、やっぱり継ぐんでしょ?しっかり勉強しとかなくっちゃね」
匠と奏は一人っ子のため、互いに似た境遇でもあったが、稀に実家の商売のことなど、それとなく話す瞬間があった。
同じ商店街を生きるなかで後継ぎはどこも課題であったが、匠が一番身近だったのは幼馴染のこの奏であった。
「…お前、偉いよな」
突然ポツリと、匠が奏に向かってつぶやく。
「え…?」
奏が顔を見上げると
「いや、なんでもない…」
匠が言った。
「それはそうと、匠ちゃん。食べたらさ、感想聞くから忘れないでよね。はっきり言ってくれるの貴重だし、遠慮なく言ってくれていいからさ…」
真剣な目で奏が言った。
「おれの意見なんて役に立つかな。殆んど同じものばかり買うのに…。そんなに味覚、自信ないけど」
何気なく言い返す匠に
「また買いたいと思ってもらえるか、その部分が勝負になるんだから…。それにもし気に入ってくれたら、匠ちゃん、もっと来てくれるでしょう…?」
匠を見て奏が尋ねた。
「はいはい、その時はまた買いますよ…お前の財布じゃないんだけど…」
呆れたように言った匠に
「そんなつもりで、言ってないもん!」
むっとした奏がそう言った。
「…へ?いやその…おれが悪かったよ…。パンに懸けるお前の気持ちは、おれの写真よりお前が凄いよ…。感想はまたの時に言うよ。あと焼きそばパン、定価にしろ?」
会計が済んで外へ出ると、南風がふわりと舞い上がって
「ありがとうございましたー!」
と言った、奏の声もどこか弾んでいる。
少しずつではあったが段々と春らしくなってきたのを感じて、匠は目の前の公園の木が、芽吹いているのに目を細めていた。
次回予告
善男から結衣の労いも兼ねて、喫茶店代を受け取った匠。
進行方向が真逆なことに、驚いた顔をする結衣でしたが…
はじまりは:競馬小説「アーサーの奇跡」第1話 夏のひかり