競馬小説「アーサーの奇跡」第41話 大樹

登場人物紹介

上山 匠(かみやま たくみ)

当物語の主人公。20歳。アーサーをきっかけに競馬を知る

上山 善男(かみやま よしお)

匠の父。53歳。上山写真館2代目当主。競馬歴33年

三条 結衣(さんじょう ゆい)

匠の憧れ。年齢不詳。佐賀競馬場でアーサーと出会う

福山 奏(ふくやま かなで)

匠の幼馴染。18歳。近所の名店「ブラン」の一人娘

競馬小説「アーサーの奇跡」登場人物紹介

前回までのあらすじ

 

匠への想いを告げた奏に、集中力を切らしてしまう結衣。

一方匠はゴール前に立ち、アーサーの勝利を意識しますが…

競馬小説「アーサーの奇跡」第40話 ライバル

競馬小説「アーサーの奇跡」第41話

第41話 大樹

 

匠は呆然と前を見ていた。

ゴール前に広がるターフビジョン。

その場所に映し出された画像は、何度見ても変わらないものだった。

 

「…」

何も浮かんでこない。

カメラを手に握ったままであった。

 

「…」

まだ実況の声が、匠の耳の中に響いている。

 

―さあさあ4コーナーを迎えたが、アーサーがまだ2馬身リードする!これは残るか、馬場のインを突いてロスなく回って鮫浜がしごくー!

そこからあっという間の事に、匠の足は感覚がなかった。

 

「アーサー、よくぞちゃんと走りきったー!最高の仕事をありがとよー!」

さっきまでどこかへ行っていた、カップルの男が叫びを上げる。

 

「ケイちゃん!もう、やめなさいよ本当…終わったんだからさっさと帰ろう?」

叫んでいた男の隣で、彼女が腕を取って連れて行った。

匠はその二人を横目に見て、また呆然とビジョンを見直すと、VTRがぱっと切り替わって

「払戻金をお伝えします―」

場内アナウンスが流れてきた。

 

「単勝1番130円―」

配当金が勝者を告げている。

その表示された数字を眺めて、匠はただ手すりにもたれていた。

 

「(…あんな、あんな凄い馬が居るのか…)」

匠は唇を噛んでいた。

実況の声がまだ耳に残る。

 

―これはアーサー、セーフティリードか!ビッグツリーまだ3番手に居る!もう急坂も目の前に来てるぞ!地方の雄が覇権を握るのかー!―

直線もあと二百メートル、ここまではまだまだ順調だった。

 

―おおっと滝沢が後ろを見たぞ!外に出す、ビッグツリーが2番手!あっさり一頭抜き去りましたが、アーサーとの差はまだ2馬身ある!さあどうする、まだムチを打たないか、さすがにこれは厳しい状況だー!―

大歓声がこだましていた。

 

「そこだー!この前の再現をしろー!飛べ、ビッグツリー!捉まえてしまえ~!」

周りからそんな声が聞こえ、匠はじっと目を凝らしていたが

「(さすがにあのリードは詰められない…。勝った、これはアーサーが逃げ切った…)」

確信を得て前を見ていた。

 

―さあアーサーが坂を駆け上がるぞ!まだ1馬身半のリードがある!いよいよ百メートルを残すのみ、ビッグツリーついに土がつくのかー!―

そんな実況に安心した匠の目に映ったのは一発、たった一発ムチを入れたことで急加速したビッグツリーだった。

 

「…ッ!」

滝沢の狙いすました仕掛けでまるで別馬になったかのように、ビッグツリーは低姿勢になると、唸るような勢いで加速した。

 

「(え…うそ…)」

たった一瞬のうち、匠の考えは改められた。

 

―おおーっと、ここで滝沢一発!ビッグツリーの芯に火を点けたぞ!急激に爆(は)ぜる、アーサーを目がけ背後から一気に襲い掛かったー!―

まさに弾けるような力で、ビッグツリーが外を強襲する。

 

―さあ目覚めたぞ、静かなる大樹が!アーサーの姿が消えてしまった!ビッグツリーまだ加速を続ける!地鳴りがするような爆発力だー!―

アーサーはビッグツリーの奥、遮られるように姿を消した。

 

―大樹の一撃に身をすくめたか、アーサー剥がされるように後退―!―

その勢いに身を引くように、アーサーは離されてしまっていた。

 

―セーフティリードに思えましたが、ビッグツリー飛んだ、追い抜きました!中山の丘は自分の庭だと言わんばかりの王者の一撃だー!―

まるでアーサーは倒木から、からくもその身を抜け出したように、力なく2番手でゴールすると、ゴール後はとぼとぼと歩いていた。

 

―驚きました、2馬身差でゴール!絶対王者強い、ビッグツリー!―

「うおおー!飛んだ!また飛びやがったぞー!滝沢すげえ、やっぱり天才だー!」

「おれたちはこれを見に来たんだー!ここじゃあ全然、モノが違うぜー!」

周囲のファンも沸き立っていた。

 

これには匠の視点からも

「(あの馬は違う…)」

そう感じられた。

 

「(…あんな、あんな凄い馬が居るのか…)」

匠はゴールしたアーサーの、後ろ姿がかすんで見えていた。

それからただ呆然と立ったまま、去っていく馬たちを見送ったが、最終レースの馬が出てきても、そのままひたすら立ち尽くしていた。

 

「…」

中山競馬場は坂下から絶え間なく強い風が吹き上がり、匠の耳を強く打ち付けては、鼓膜の感覚を奪っていった。

着順掲示板の灯りが消え、スタンドの余韻が引いていっても、ゴール後に肩を落とす鮫浜を、匠は何度も思い出していた。

 

次回予告

 

アーサーの初めての敗戦から、様々な思いを巡らす匠。

失意に沈む電車の座席から、思いもよらぬ光景を見ますが…

 

次回:競馬小説「アーサーの奇跡」第42話 敗者

前回は:競馬小説「アーサーの奇跡」第40話 ライバル

はじまりは:競馬小説「アーサーの奇跡」第1話 夏のひかり

 

*読むと、競馬がしたくなる。読んで体験する競馬予想

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