登場人物紹介
上山 匠(かみやま たくみ)
当物語の主人公。20歳。アーサーをきっかけに競馬を知る
上山 善男(かみやま よしお)
匠の父。53歳。上山写真館2代目当主。競馬歴33年
三条 結衣(さんじょう ゆい)
匠の憧れ。年齢不詳。佐賀競馬場でアーサーと出会う
福山 奏(ふくやま かなで)
匠の幼馴染。18歳。近所の名店「ブラン」の一人娘
前回までのあらすじ
弥生賞に出るビッグツリーとの、人気の差に圧倒される匠。
いつもとは違う雰囲気の中で、スターターの旗が振られましたが…
目次
競馬小説「アーサーの奇跡」第40話
第40話 ライバル
「―どうぞ、こちらへ」
匠が抜けた穴を埋めるためにアシスタントをする結衣であったが、善男の的確な指示も伴い、順調に撮影をこなしていた。
三月は就職活動用の証明写真撮影が増えるが、次々に来るお客を捌いては、レフ板を傾ける結衣であった。
「(その位置で)」
アイコンタクトをした、善男の意思をしっかり読み取って、結衣がレフ板を傾けていると次々にシャッターが切られていく。
成人式の撮影と違ってカメラもデジタルカメラであったが、軽快なシャッター音の最中(さなか)で、結衣は休憩を思い出していた。
「―ああ結衣さん!良かった、お会いできて」
回想の中の奏と目が合う。
「―あれ匠ちゃん、今日は一緒じゃない?」
奏は結衣にそう問いかけていた。
休憩時間、結衣はパンを買いに、一人ブランへ足を運んでいた。
日曜のブランならば昼時は本来混み合う時間であったが、この日は店内に人も少なく、結衣はゆっくりパンを選んでいた。
「いらっしゃいませー!」
元気な声で奏が店内に挨拶すると、結衣はその声を聞いて振り返り、奏の目を見てすぐにお辞儀した。
「結衣さん!」
奏もすぐに気がついて、驚いたように目を丸くしたが、先客がトレーを運んでくると、そのまま接客に入るのだった。
「650円頂戴します」
奏が会計を読み上げている。
結衣は微笑むと棚に向き直り、ゆっくりとパンを選んでいったが、店内が空いたタイミングを見て、レジの上にそっとトレーを置いた。
「―ああ結衣さん!良かった、お会いできて」
待ち詫びたように奏が見つめる。
「あれ匠ちゃん、今日は一緒じゃない?」
結衣の隣を見て奏が言った。
「はい。今日は写真撮影に行って、わたしが代わりに入っているので…」
結衣が奏にそう答えると
「そうなの!?それじゃあ丁度良かったわ!結衣さん、このあいだはごめんなさい…。あのほら、唇をやけどしたやつ…」
奏は初詣の最中に慌てて甘酒を口に運んで、結衣に心配をかけていたことを改めてその場で謝っていた。
「そんな…わたしの方こそあのとき、お邪魔をしてしまったかと思って…。それに唇やけどしたのも、わたしが甘酒を断ったから…」
結衣はそう言って下を向くと、袋に詰められるパンを見ていた。
「…うん。結衣さんて、やっぱり素敵ねえ…。あの匠ちゃんが惚れるわけだわあ…。わたしだって男だったらね…」
真っすぐに結衣を見た奏が、感心するような口調で言った。
「え…?」
奏の意外なひと言を聞いて、頬を赤らめていた結衣だったが
「でもわたしも、匠ちゃんが好きなの…」
その一言でピタと止まった。
「わたしね…この町に来た時には、小学校に入る前だったし、その頃の記憶は薄いんだけど、匠ちゃんのことはよく覚えてて。お兄ちゃんで、学校に行くときはいつも一緒に登校してくれて。親が匠ちゃんのおじちゃんと、おばちゃんにお願いしたんだけどね…」
奏はパンを作る向こうの工房にチラと目を馳せて言った。
「匠ちゃん、卒業していくまではずっとわたしと登校してくれて。男子に冷やかされたりしても、全然、嫌な顔ひとつしないで。中学も一年だけだけど、一緒に通っていた時期もあって…。わたしも兄弟がいないから、お兄ちゃんみたいに思ってたけど…結衣さんのおかげで分かったの」
「…」
結衣は奏の話を聞きながら、ただ黙って見つめるしかなかった。
「でもね、誤解しないでほしいから…。わたし結衣さんのことも好きよ。良い人だなってそう思ったから、本当のことを言わなくっちゃって…。これは匠ちゃんには内緒ね…?」
そう言ってパンを詰め終わると、おまけのビスケットを中に入れた。
「正々堂々、勝負をしたいの。結衣さんにはかなわないだろうけど…」
結衣は
「…はい…」
としか言えなかった。
「ありがとうございましたー!」
と言った、奏の声が結衣の耳に響く。
結衣はそれをふと思い出しながら、手に持ったレフ板を見つめていた。
「…ちゃん、結衣ちゃん!どうしたの、大丈夫!?」
気がつくと固まった結衣を見つめ、善男が慌てて声をかけている。
撮影の椅子に座ったお客も、きょとんと結衣の方を見つめていた。
結衣は
「すみません!大丈夫です、わたし…。お父様…大丈夫ですから…」
目を丸くして善男に言った。
「…いや、そうかい?大丈夫ならいいが…。ちょっと右、影、飛ばしてくれる?」
善男の声に頬を赤らめ、慌ててレフ板を動かす結衣は
「(いけない)」
と気を取り直しながらも、まだどこか少しぼんやりしていた。
「(匠さん、アーサー、撮れていますか…?)」
決着はついた頃であった。
次回予告
奏の突然の告白により、動揺が隠しきれなかった結衣。
一方いつも通りのアーサーに、勝利を確信する匠ですが…
はじまりは:競馬小説「アーサーの奇跡」第1話 夏のひかり