競馬小説「アーサーの奇跡」第37話 弥生賞

登場人物紹介

上山 匠(かみやま たくみ)

当物語の主人公。20歳。アーサーをきっかけに競馬を知る

上山 善男(かみやま よしお)

匠の父。53歳。上山写真館2代目当主。競馬歴33年

三条 結衣(さんじょう ゆい)

匠の憧れ。年齢不詳。佐賀競馬場でアーサーと出会う

福山 奏(ふくやま かなで)

匠の幼馴染。18歳。近所の名店「ブラン」の一人娘

競馬小説「アーサーの奇跡」登場人物紹介

前回までのあらすじ

 

成人式の撮影を迎えて善男と結衣の笑顔を見た匠。

二十歳なった実感をいだいて「今日を忘れない」と思うのでした。

競馬小説「アーサーの奇跡」第36話 晴れの日

競馬小説「アーサーの奇跡」第37話

第37話 弥生賞

 

「匠さん、いってらっしゃい」

結衣から届いたメールを眺めて、匠は改めて気を引き締めた。

 

「(しっかり写真、撮って来なくちゃ)」

初めての中山競馬場。

武蔵野線の駅を降りると、船橋法典(ふなばしほうてん)の駅からは長い地下通路を歩いて行った。

 

「(ずいぶん長い通路だよなあ…)」

途中で入場券を買って更に奥の入口へと進むと、匠はようやく地上に出て、辺りの風景を見渡していた。

 

「(へえ、いつもとはなんか違うな…でも大きいし、きれいだけれど…)」

匠の家から2時間ほど。

武蔵野線で一本といえ府中とは離れた千葉県である。

 

「(競馬を知らなかったらここに、来ることもなかったんだろうな…)」

感慨に耽りつつ匠はスタンドの中を散策していた。

 

「(そうだ、結衣さんにメールしよう)」

匠は首にかけたカメラに構わずカバンからスマホを出すと、周辺をさっと撮影して、早速結衣に返信を送った。

 

「今日は本当に助かりました。結衣さんのおかげでこうやって中山競馬場に着いています。しっかりアーサー撮ってきます」

成人式の撮影後には善男から結衣に提案があって、繁忙期は週一回ほど結衣が働きに来ることになった。

 

「(結衣さんが来てからは父さん、売り上げが上がったと言っていたし、うちとしては嬉しいんだけど、結衣さんとしてはどうなんだろうな…)」

匠は結衣を思い浮かべてスマホの画面をじいっと見つめた。

 

「(それにしてもこの連絡先、おれにとってはもう宝物だよ…)」

何かあったときのためにもと善男が結衣に相談したうえで、写真館のスタッフ同士で、互いに連絡先を聞き合った。

匠も結衣もかしこまっての連絡先の交換となったが、匠が撮影の礼をしてそれからやりとりが始まっていた。

 

「匠さん、おはようございます。昨日はありがとうございました。お父様のおかげで今こうして、連絡ができるので嬉しいです」

「よろしくお願いします」というスタンプがそこに添付されていて、匠も同じような調子で「こちらこそ」とスタンプを押していた。

二人のやりとりはどことなく遠慮がちなムードを帯びていたが、時折食べたケーキのことや、学校の話題なども触れられた。

 

「アーサーが出るときはわたしが、代わりにアシスタントやりますから」

アーサーが弥生賞に向かい匠が撮影をできるようにと、結衣がアシスタントを引き受け、匠は今日中山まで来られた。

 

「(そう言えばそもそも結衣さんて、付き合ってる人いるのかなあ…。あんな素敵な人に彼氏が居ないなんてちょっと有り得ないけど…)」

ふと匠の頭に浮かんで

「(いやいやいや、確かにそうだけど、そんなの考えたくもないよ…!)」

頭を振って向かった先はいつもの通り発券機であった。

 

「(取り敢えず父さんの馬券と、おれの分の単勝馬券をと…)」

邪念を払うような気持ちで集中して馬券を買い終えると、匠はモヤモヤを押し込めて晴天のスタンドへ戻っていた。

 

「(なんだかこのコースは他より、右側が傾いて見えるよなあ…)」

いつもとは違うコースを見て、匠の意識も切り替わっていた。

そうして買った馬券を手にし善男の買い目を確かめていると、出がけに善男が話していた「強敵」について思い出していた。

 

「今日はこの馬券をよろしくな。中山は急坂があるから最後はみんな脚が上がるんだが、アーサーはスタミナが凄いし、いい勝負に持ち込めるとは思う。ただ今回は相手も強く…」

善男の声が思い出される。

 

「ここはサウザンファーム一押し、ビッグツリーが出走するからな。前走でGⅠを勝ったし時計も適性もある馬だから…。お前には言いにくいんだけど、もしアーサーが負けたとしてもがっかりする必要はないからな。ダートにも戻れると思うし…」

これまで善男は一度たりとアーサーの負けには触れなかったが、この日は初めてそのことにも触れるような言葉を伝えていた。

 

「(どうしよう、そんなに強いのか…)」

匠は馬券を見つめていた。

 

「(…そう言ってアーサーはこれまで、いつだって勝ってくれてるじゃないか。おれが弱気になってどうする。信じるしかできないってのに…)」

匠は意識を改めるとポケットに善男の馬券をしまい、今度は「アーサー」と記された単勝馬券を手に見つめていた。

 

「(そうだ。おれはアーサーを撮りに、勝つのを見にここまで来ているんだ。大丈夫、きっとアーサーなら…)」

自分自身を鼓舞していると

「…よお」

と後ろから声が聞こえ、馬券が宙へと舞い上がっていた。

 

「???」

匠が驚き目を丸くすると、そこには見覚えのある骨太の、独特の威圧感を身にまとう中年男が立ち尽くしていた。

 

「…!」

匠はつい声を失っていた。

それは夏の小倉競馬場での、ひまわり賞での出来事だったが、発券機に取り忘れた馬券を買い取って行ったあの男だった。

 

「…」

男は相変わらず無言のまま匠の馬券をじっくり見やると、今度はポケットには突っ込まずに、匠の手の中にすっと戻した。

 

「…え?」

緊張の面持ちになりながらも匠がその男をじっと見ると、男は眉一つ動かさぬまま、匠を見下ろすようにつぶやいた。

 

「…馬鹿の一つ覚え、か…」

男はそれからくるりと背を向け、スタンドの奥へと入っていくと、そのまま扉を開けて視界からあっという間に姿を消していた。

 

「…」

匠は蛇に睨まれたカエルと言わんばかりに立ち尽くしてしまい、手の中に残る馬券を見つめて、ただ固まっているばかりであった。

瞬間、強い風が吹き抜けると、匠はその音で我に返って

「馬鹿の一つ覚え」

と言ったことに、無性に腹が立ってくる気がした。

 

「(いったいなんなんだよ、あのオヤジは…!どうしてまたここにいるんだよ…!それに馬鹿の一つ覚えって、何買ったって人の自由だろ…!)」

「単勝1000円」と記された馬券が震えるように揺れている。

風は強く坂を駆け上がり、芝生の中をただざわめいていた。

 

次回予告

 

突然の再会に驚きつつ、パドックへ撮影に向かう匠。

アーサーを写真に収めていると、パドック論を語る声が聞こえ…

 

次回:競馬小説「アーサーの奇跡」第38話 縦と横

前回は:競馬小説「アーサーの奇跡」第36話 晴れの日

はじまりは:競馬小説「アーサーの奇跡」第1話 夏のひかり

 

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