登場人物紹介
上山 匠(かみやま たくみ)
当物語の主人公。20歳。アーサーをきっかけに競馬を知る
上山 善男(かみやま よしお)
匠の父。53歳。上山写真館2代目当主。競馬歴33年
三条 結衣(さんじょう ゆい)
匠の憧れ。年齢不詳。佐賀競馬場でアーサーと出会う
福山 奏(ふくやま かなで)
匠の幼馴染。18歳。近所の名店「ブラン」の一人娘
前回までのあらすじ
甘酒を勢い口に運んで、唇をやけどしてしまう奏。
突然のことに動揺しながら、境内をあとにした結衣でしたが…
目次
競馬小説「アーサーの奇跡」第34話
第34話 成人式
「12時ご予約の佐藤様です」
結衣が扉を開けてそう告げると、匠は真っすぐ背筋を伸ばした。
「本日はおめでとうございます」
善男が予約客に挨拶する。
成人式は七五三と違いスタジオの空気も張り詰めていて、暖房が効いたなかでも部屋には、冷えた空気が押し寄せてきていた。
「(結衣さんもいるし、今日はしっかりとやれているところを見せなくっちゃな)」
匠は七五三のときに比べ、結衣がいることにも落ち着いていて、家族連れで賑わう中にあって坦々とアシスタントをこなした。
「もうちょい右、そうだ影を飛ばして」
善男の指示でレフ板を差し出し、影の消えた位置で固定をすると、善男はアイコンタクトで匠に「その位置で良い」と合図を送った。
「失礼します」
その作業の最中(さなか)、結衣はゆっくりと扉を閉めると、小さくきしむ階段を静かに音をたてないように降りていった。
「(それにしても、何か今日の結衣さん、この前より元気がなく見えるな)」
匠は出で立ちこそ同じであれ、結衣に多少の違和感を覚えた。
それは朝、店に現れたときも既に感じていたことであったが、外の寒さのせいかもしれないと、特段気にしないようにしていた。
「(しかしまあ、雪でも降りそうだしな…今日は本当、底冷えもしてるし)」
天気予報では夕方以降に雨か雪になると伝えていたが、とりあえず天気はもって善男も
「良かった」
と胸を撫でおろしていた。
「はい、撮りまーす!そう、線の上です。あ、今ちょっとはみ出していますよ!いえ、足じゃなくて優しいムードが」
善男が慣れた口調で真剣な顔の被写体を柔和にしていく。
「(さすが父さんはしゃべり慣れてるな。競馬の話はしゃべりすぎだけど…)」
何かにつけて競馬談義をする善男に匠は倦(う)むこともあるが、こうして仕事をしている善男の姿を見ることは誇らしかった。
―カシャッ。
アナログの写真機が音を立ててシャッターを切るのが聞こえてくると、事前に用意したホルダーを手に、タイミングを見て匠が渡した。
それを受け取って今度は善男が撮影分を匠に手渡すと、そのやりとりが何回か続いて、撮影は順調に終了した。
「―ところで今日の休憩なんだがな」
「う、うん」
匠がそわそわしている。
「この前と同じように結衣ちゃんと二人で入ってもらいたいんだが…」
匠がその言葉を「待っていた」というような目で善男を見つめると
「いやむしろ、それを望んでたよなあ…」
善男が苦笑いしてつぶやいた。
匠は照れたように頭を掻き
「ごめん…」
と善男に頭を下げると
「何も悪いことなんてないだろう。結衣ちゃんは本当に良い子だしな。親バカだがな、お前の素直さは、正直父親冥利に尽きるよ…」
善男が見つめながら答えた。
匠はそれからスタジオを出ると、休憩を告げに早速階下の、受付で外を見て座っている結衣の元へと静かに駆けつけた。
「あの結衣さん。その…お疲れ様です。今日はこれから休憩なんですが、父さんがまた二人で入れって」
匠がはにかみながら言うと
「分かりました。ありがとうございます…」
結衣も微笑んでそう返事をした。
ただその微笑みはどこかいつもと違って遠くを見つめる感じで
「あの結衣さん…疲れちゃってませんか?すみません、寒いなか来てもらって」
匠が心配そうに告げた。
「ごめんなさい、大丈夫ですわたし…。それじゃ休憩、いただいちゃいますね」
結衣はどこかよそよそしかった。
「(う~んこれが「女性の日」なのかなあ?おれにできることはなさそうだけど…)」
匠は黙って見つめていた。
「あ、それと今日の休憩はわたし…お昼ごはんを用意してきました。奥のお部屋を借りて食べられると、この前お話しをいただいたので…」
結衣がうつむきながら話した。
「もちろんです、ぜひ使ってください。おれは何も用意していないので、パンでも買って来ようと思います。できるだけすぐに帰ってきますが…」
匠が結衣に返事をすると
「ゆっくりしていきたいですよね…。ごめんなさい、わたし…」
神妙な面持ちでそうつぶやく結衣の表情に気づかず匠は
「こっちです」
と結衣に笑いかけると、奥の居間へと案内をしていた。
「なんだか結衣さんにここを見せるの、恥ずかしいような照れくさいような…でも古い割には良いでしょう?おじいちゃんが中もこだわったから」
匠が案内した居間には、温もりのある光が漏れていた。
真鍮(しんちゅう)製の間接照明に、大正ガラスをはめ込んだ出窓。
レンガ調の柱に固定された飴色の外装の振り子時計―
それらは匠の祖父がずっと、大切にしていたものたちだった。
「素敵…」
結衣が目を細める。
「良かったです」
匠は微笑むと、結衣を座らせてブランへ向かった。
出窓からは光があふれ出して木製のテーブルに止まっている。
結衣はその上に昼食を出すと、一人静かに溜め息を漏らして、飴色の振り子時計に映った物憂げな表情を見つめていた―
次回予告
結衣を一人居間に残したままで、ブランへとパンを買いに行く匠。
奏は匠が一人なのを見て、結衣あてに言伝(ことづて)を頼みますが…
はじまりは:競馬小説「アーサーの奇跡」第1話 夏のひかり