登場人物紹介
上山 匠(かみやま たくみ)
当物語の主人公。20歳。アーサーをきっかけに競馬を知る
上山 善男(かみやま よしお)
匠の父。53歳。上山写真館2代目当主。競馬歴33年
三条 結衣(さんじょう ゆい)
匠の憧れ。年齢不詳。佐賀競馬場でアーサーと出会う
福山 奏(ふくやま かなで)
匠の幼馴染。18歳。近所の名店「ブラン」の一人娘
前回までのあらすじ
匠と結衣が恋人になったと勘違いしていた善男の元に
勢いよく登場した奏に胸を撫でおろした匠でしたが…
目次
競馬小説「アーサーの奇跡」第33話
第33話 ちゃんと見て?
「…それにしても」
「なに?」
気まずいムードを打ち破るように突然現れた奏だったが、匠は目が合うと一息ついて、奏の出で立ちをじっと見つめた。
「おまえなあ、なんでこんな寒い日に、ミニスカートなんかはいてるんだよ…」
「なんでって…今年が最後だから、ことあるごとに着とこうと思って。この制服、お気に入りなんだから」
匠が呆れた声でつぶやくと、奏が間髪を入れず答えた。
「それは良いけどさ、正月早々風邪をひくことになっても知らんぞ」
まるで妹に言うような体(てい)で、匠がすぐ奏に釘を刺した。
「そんなこと言って、しっかり私のこと見てるんだから匠ちゃんてば…」
善男の腕を取っている奏が、上目遣いで匠のことを見た。
「何が「私のこと見てるんだ」だよ…それにいつまでくっついているんだ…」
変わらず善男の腕を取って、様子をうかがう奏に匠は、眉をひそめて脱力したように、再び息を吐いてそう答えた。
「まあまあ、いいじゃないかそんなことは。奏ちゃんも今年は卒業だし、好きな恰好をしているだけだろ?それになあ、眼福なことじゃないか。見てみろ、こんなにきれいな太もも!う~ん芸術品!」
「や~ん、おじちゃんのエッチ!」
善男が不愛想な匠を見て奏のことをかばうように言うと、奏は嬉しそうに善男を見て、更に抱き寄せるように締め付けた。
「はっはっは、ユアウェルカム」
そんな奏に懐かれて目尻を嬉しそうに下げる善男を見つめ
「あ~もう、なんなんだいこの人たち…」
ますます呆れる匠だった。
そんな匠の後ろでは微笑む結衣が三人のことを見ていたが、それに気がついた奏は右手に握ったコップを結衣に差し出した。
「そうだ、結衣さん。甘酒は飲めます?さっきそこでもらってきたんですが…まだちょっと熱いままなんですけど…」
「何持ってるんだろうと思ったら…そうか、そんなもの配っていたのか…。結衣さん、甘酒は要りますか?」
匠も結衣にそう振り向きながら、答えを知ろうとうかがっていたが
「ありがとうございます、奏さん…わたしはさっきいただいているので…」
結衣は既に飲んでいたようで、遠慮がちにそう答えを返した。
「あらら、すみません。じゃあ飲んじゃおっと!」
その声を聞いて奏は勢い、甘酒を唇に運んでいた。
「おい、そんなに勢いよく熱いの…」
匠が手を伸ばした瞬間
「熱っ!」
と目をつぶった奏を見て
「大丈夫?」
善男が声をかけた。
匠の後ろで結衣も驚いて、心配そうな表情をしている。
奏はその姿が目に入ると、今度は目を閉じて匠に言った。
「…匠ちゃん、唇やけどしちゃった。ちゃんと見て?赤くなったりしてない?」
奏は匠に顔を近づけて、触れるくらい唇を差し出した。
結衣はそんな匠のすぐ後ろで、慌てたように口元を押さえた。
「(結衣さん、見てる…)」
奏が匠の肩越しに見える結衣を薄目で確認してみると、その瞬間、結衣の頬を伝って、一筋の涙がこぼれていった。
「(え…?)」
奏は我に返り目を開いて、目の前に迫った匠を見たが
「なんともなってないぞ、しょーがねーな…」
匠はいつも通りのままだった。
「良かった良かった」
善男が微笑み、頷きながら奏をのぞき込む。
匠の肩越しに、結衣が右手で頬を拭ったのが奏に見えた。
「(結衣さん、本気…)」
奏は察して
「お騒がせしました」
と結衣に言うと
「いえ…あの、大丈夫でしたか?」
結衣がうつむきながらそう答えた。
「はい、もう全然熱っつくないです」
奏が結衣にそうひとこと言うと
「あー!居た居た、奏―!もう本当、突然どこ行ったかと思ったよー!」
似たような制服の二人組が、奏の周りを取り囲んでいた。
「ごめんごめん、つい知り合い見つけて」
奏は友達にそう答えると、匠と善男と結衣の三人に
「それじゃまた」
はにかんで手を振った。
二人組が奏の脇を固め、がっちりと腕を引っ張っていくと、何やら慌ただしく人混みへと、いつの間にか姿を消していった。
「まったく、相変わらずあいつはなあ…」
匠が呆れたようにつぶやくと
「かわいい娘だ」
善男がうんうん、頷くように一人唱えていた。
匠は改めて結衣に振り向き
「ところで結衣さん、先に甘酒を飲んでいたなんて知りませんでした。お好きなんですか?」
と嬉しそうに、改めて質問を続けていた。
「…はい…」
結衣は浮かない表情で、震えたような声でそう答えた。
「結衣ちゃん?」
異変を察した善男が、すぐさま結衣の顔をうかがったが
「ごめんなさい、わたし…あのもうすぐ日も暮れてしまいますしこの辺で…」
目を潤ませて二人に言った。
「そ、そっか。そうだね。もう日暮れだ。次に会うのはスタジオになるかな…そうだ匠、送って行ってあげな」
善男が匠にそう言いかけると
「大丈夫です。一人で帰れます。匠さんもお父様も次また、お会いするの楽しみにしています。それじゃ、また…」
「う、うん。また次、待っているからね」
「あの結衣さん、次のときもよろしく…」
結衣は一礼すると振り向かずに、ざわめく人の中に消えていった。
その背中は凛としていながらも、どこか寂しそうな雰囲気だった。
「う~ん、これはちょっとまずかったかな…」
善男が一人つぶやいている。
「何が?」
匠がそう問いかけると
「いや、な…」
と善男が息を吐いた。
「(せっかく会えたと思ったのになあ…)」
匠が寂しさを胸にしまうと、府中の駅へ続く並木道も、段々と夕暮れに染まっていた。
次回予告
成人の日を迎えて撮影のアシスタントに集中する匠。
いつもより元気のない結衣を見て、匠は違和感を覚えましたが…
はじまりは:競馬小説「アーサーの奇跡」第1話 夏のひかり