競馬小説「アーサーの奇跡」第28話 帰り道

前回までのあらすじ

 

ついに決着の時が訪れた全日本2歳優駿の舞台。

さざめく拍手の波に包まれて、匠と結衣は立ち尽くすのでした…

競馬小説「アーサーの奇跡」第27話 激闘のあと

競馬小説「アーサーの奇跡」第28話

第28話 帰り道

 

「それにしても、美味しかったなあ~!」

匠がしみじみ言った一言に

「…辛かったです、胡椒がいっぱいで…」

結衣がつぶやくように答えた。

 

アーサーの表彰式の間に結衣が買ってきた焼きそばを食べて、匠は「絶品!」と大喜びでペロリと焼きそばを平らげていた。

 

「さすが結衣さん。あんな美味しいもの、中々食べられるもんじゃないです。それに結衣さんの分までもらって、なんだか随分得してしまって…」

「…わたしには辛すぎましたから、むしろ食べてもらえて良かったです」

胡椒が利いた焼きそばを匠が大喜びで食べている隣で、辛さに耐えかねた結衣を見かねて、残りの分は匠が平らげた。

 

「それにしてもアーサーは本当に、もの凄い勝ち方をしましたねえ…。武内さんが泣いていた時には、おれももらい泣きするところでした…」

「そういえば匠さん、まさかアーサーの馬主さんとお知り合いなんて」

表彰式で生産者でもあり馬主でもある武内はその場で、感極まって震える声のなかインタビューを受ける姿があった。

匠はそれを思い出しただけで目頭が熱くなるのを感じた。

 

「あれは…武内さんがパドックで、声をかけてくれたおかげなんです。今日だってまだたった2度目ですし、知り合いと言ったら悪いくらいで…」

そう言った匠の顔を見て

「だからきっと、声をかけたんですね」

結衣が頷くように答えた。

 

「?」

と振り向いた匠に向かい

「だって男の人って自慢とか、大きく見せたがる人多いです。でも武内さんそうじゃないですし、匠さんだから話したんだって」

結衣が匠を見てまっすぐに微笑んでいることが目に入ると、再び視線を重ねた匠は耳が赤くなるのを感じていた。

 

「あ…いや。ありがとうございます…。でもおれ、本当に何にもないし。写真屋の息子だから取り敢えず写真の学校に行ってますけど…。学校でも撮るだけじゃなくて、自分を表現しろって言われて。それが何なのかよく分からなくて、先生からの評価も今一で」

結衣にその顔を向けられないまま視線を下げてつぶやいた匠に

「それが匠さんなんじゃないですか?」

結衣が尋ねるように答えた。

 

「そうですね…。おれもそう思います。だから写真って怖いと思って。自分に何もないことも含めて、写真には写ってくるんですよね。だから父さんの後を継ぐなんて、とても考えられたもんじゃなくて」

「あ…えっと、ごめんなさい匠さん。わたし傷つけるようなこと言って。そうじゃなくて匠さんは自分に、素直な人だって思っただけで。それって良いことだと思うんです」

匠は自分の悩みを察した結衣がかばっているわけではなくて、ただそう思ったことを言っただけ、ということを確かに受け取った。

 

「すみません、おれまたぼやいたりして。せっかく結衣さん褒めてくれたのに」

つぶやいた匠を見て結衣が

「わたしこそ、誤解をさせてしまって…」

柔らかい口調でそう言った。

 

それから二人は沈黙しながら晩秋の夜風に吹かれていたが、匠のポケットにしまわれていたスマホが突然鳴るのが分かった。

「(なんだろう)」

匠がスマホを出すと、善男から着信が入っていた。

 

「結衣さん、ちょっと電話出ていいです?父さんからいま着信来ていて。急用かもしれないから出ますね」

「はい」

そう話したのも束の間、電話の向こうから大きな声で

「匠~!やったな、アーサー!やったぞお~!」

善男の声が外に漏れ出てきた。

 

「と、父さん、ちょっと声がでっかい!もう、周りに響き渡っちゃうから!」

そう慌てふためいた匠に

「別にいいだろ、お前一人なんだ。それともすぐそばに誰か居るのか!?」

善男が察しよく問いかけた。

 

「え、ええ~っと…それはあの、そのですね…」

匠の歯切れが悪くなると

「ん~?まさか、その感じは女だな?知らぬ間に彼女でもできていたか?」

酔った善男がそう問い掛けた。

 

「え~っと…その、そうじゃなくてあの…」

匠は言葉に詰まっていた。

 

善男の声がかなり大きいため、隣の結衣にも聞こえているのか、結衣はくすっと笑うとうつむいてそのまま歩速を合わせるのだった。

 

「どうやら本当に彼女らしいが、父さんは簡単に認めんぞお~!手塩にかけた一人息子だしな、まずはどんな彼女か見せてみろや~!」

上機嫌な口調ではあるのだが、酔っているのがはっきりと分かると

「もう、父さん。なんで今酔ってるの?修理のお客さんは帰ったわけ?」

匠が善男に問い返した。

 

「おお、それはもうずいぶん前になあ、喜んで引き取ってくれてったぞ。それからアーサーのレースを見てな、表彰式も感動もんだった…、お前良かったな、アーサーは勝つし、その上あんな拍手も湧いてたし…」

酔った善男は感極まって、声を震わせながらそう答えた。

「あ、ああ、うん。凄く良かったよね…それでなんで父さん酔ってるわけ?」

「そりゃ、父さんだって行きたかったし、仕事終わったし、勝って嬉しいし…こういうときは、祝杯だろお~」

善男の声量がまたも上がった。

 

匠の隣で結衣がくすくすと笑いながら歩くのが目に入り、匠は恥ずかしさをこらえながら

「じゃ、またあとで」

とスマホを離した。

 

そしてそのままスイッチを切ろうと目の前の画面に指を伸ばすと

「結衣ちゃんのような彼女だったらな、父さんは何も反対しないぞ~!」

と声が漏れ出てしまうのだった。

 

匠は固まり、結衣の方へ向けおそるおそる視線を馳せてみると、結衣はくすっと笑って手を出すと

「いいですか?」

と匠につぶやいた。

 

「え?ああ、はい…」

スマホを手に取ると、結衣は穏やかな口調で答えた。

「…お父様、お久しぶりです。三条結衣です」

 

結衣がそう言うとスマホは一旦、静まり返った雰囲気だったが

「ええ~!」

という声が漏れ出てくると、匠も冷や汗が出るようだった。

 

「はい…。はい…。」

スマホが静まり結衣が頷く声が聞こえてくる。

 

そして善男が何を伝えたのか

「嬉しいです!」

と結衣が声を上げた。

 

「1月10日の月曜日に…」

何やら日付を確かめていると

「大丈夫です。…はい、よろしくお願いします」

そう言うとスマホは切れていた。

 

「あれ父さん。電話、切っちゃいました?」

匠が結衣にそう尋ねると

「はい、お父様がそれじゃ切るねって」

結衣がスマホを渡して言った。

 

「まったくなんだい父さんたら…」

匠がつぶやくように言うと

「匠さん。お父様がまた今度、アルバイトのお話しを下さって…」

結衣が会話について答えた。

 

「え?そんなことを言ってたんですか?それでいま日付の確認をして…」

匠は目を丸くしていたが

「はい!凄く嬉しかったです、わたし…もう一度働きたいなって。あんな素敵なお店他にないし、お客様もみんな笑顔でしたし…今日はとてもツイているみたい!」

結衣が目を輝かせて言った。

 

匠はまた耳を赤くして

「そう言ってくれて嬉しいです。父さんもまた急な話だから、おれはまったく聞いてなかったので…でも結衣さんが嫌じゃないなら」

自然と言葉を返していた。

 

そんな会話をするうちに二人が川崎駅周辺へと入ると、辺りはクリスマスムード漂うイルミネーションがきらめくのだった。

 

「そういえば…これ聞いていいのかな。結衣さんは何線で帰りますか?おれ南武線で帰るんですけど、混むから少し遅らせようかなと…」

匠が結衣に声をかけると

「匠さん…もしかして誘ってます…?」

結衣がしんとして匠を見た。

 

「はわ?いやその違いますよ、あのう…時間までお茶でもしようかなって…」

匠の慌てる素振りを見て

「…また引っかかっちゃうんですから…」

結衣が微笑みながら返した。

 

「はは、おれ、取り乱していたみたいで…」

そう言って白い息を吐くと、匠は結衣と肩を並べて一段ずつ地下へと降りて行った。

 

賑わいを見せる地下街の中は閉店時間の店もあるなかで、飲食店だけは元気に開き、喫茶店もまだ営業している。

「ここでいいです?」

結衣に許可を取ると、夕方気になった店に入って、ソファーのある席へ腰を掛けると改めて意識する匠だった。

 

「(…何気なく店に入っちゃったけど、こんな一日になるとはびっくり…)」

「素敵…」

結衣がそうつぶやく。

 

向かいの席でコートを脱ぐ結衣に匠は浮き足立った感覚で

「(…落ち着かなきゃ…)」

自分に言い聞かせ、メニューを取ろうと手を伸ばしていた。

 

次回予告

 

何気ない会話から結衣の父が亡くなっていたことを知った匠。

支払いを巡り勢い任せに結衣の手を押さえた匠でしたが…

 

次回:競馬小説「アーサーの奇跡」第29話 喫茶店にて

前回は:競馬小説「アーサーの奇跡」第27話 激闘のあと

はじまりは:競馬小説「アーサーの奇跡」第1話 夏のひかり

 

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