前回までのあらすじ
横並びでゴールした決着に、呆然と立ち尽くしていた匠。
一方結衣は夕飯を求めて一旦その場を離れるのでした。
目次
競馬小説「アーサーの奇跡」第27話
第27話 激闘のあと
写真判定は結衣の想定の通りに長い時間をかけていた。
「(アーサーとビクトリーロードなんか、挟まれてて殆んど見えないしな…)」
ビジョンを見た匠の背中に
「匠さん、今これ買ってきました」
結衣が控えめに声をかけた。
「ああ、すみません。結衣さんにわざわざ夕飯を買ってきてもらうなんて」
「いいんです。この前ここに来たとき、ちょっと気になっていたものがあって…」
「結衣さんが気になっていたもの?」
「はい、美味しそうだなと思って…」
結衣が手に下げた袋を見て、匠がその中を気にしていると
「なんだろう?袋取って良いですか?」
早速結衣にそう問い掛けた。
「あ…待って。目を閉じてくれますか?匂いで何か当ててみてください」
そう言うと結衣は匠の視線をもう片方の手で遮っておき、手に持った袋を匠の鼻へ少しずつ近づけていくのだった。
「…」
結衣のしなやかな手がそばにくると匠は心が揺れるのを感じ、それを振り切るように目を閉じると、匠は袋へ鼻を近づけた。
「ふんふんふん…」
匠が真剣に匂いを嗅いで当てようとする姿を見て結衣が
「くすっ」
と小さく笑っているのが目を閉じた匠の耳に入った。
「え~っと…これは…焼きそばですね?」
「当たりです!」
すかさず結衣が答えた。
匠は早速その目を開けると袋の中の透明な容器に、ぎっしり詰まったソース焼きそばが白い湯気を立てているのが見えた。
「…もしかして結衣さん、おれの好物、わざわざ覚えててくれたんですか?」
「はい。前にパン屋さん行ったとき、奏さんから教わりましたから…」
結衣が匠を見て微笑んだ。
「そう言えば、おれがパン買うときにはいつも女の人と行くとかって…結衣さんはいつもからかうから…」
「ん。いつもなんかじゃありません。せっかく焼きそばを買ってきたのに…」
匠の言葉に結衣がむっと視線を止めていることが分かると
「あ、いや。その、冗談です、冗談…やきそばで凄く嬉しいです。お金もちゃんといま払いますから…」
匠がカバンに手を伸ばした。
「なんかわたし、脅してるみたいです…」
結衣が視線を落として言うと
「へ?いや、その」
慌てた匠に
「…ふふ、匠さん。いつもごめんなさい。つい匠さんにはこんなことでも、言えるような気がしてしまっていて…」
結衣が打ち明けるように言った。
「え?いやその、なんていうか、はは、その…。結衣さんにはどうも勝てなくて…」
そんな匠を真っすぐに見て結衣が微笑んでいるのが分かると、匠はまたすぐ恥ずかしくなって視線が彷徨ってしまうのだった。
「(ああもう、さっきは見つめ合ってても、どういうわけか平気だったのにな…)」
ゴール後に見つめ合っていたときは心地良いくらいに感じていたが、意識が戻ると不自然なくらい目が泳ぐ匠は戸惑っていた。
そんな瞬間に
「おおおおぉ~!」
とスタンドに歓声が沸き上がると、今度はそのざわめきが伝わって、地響きのように鳴り響いていた。
「…」
見ると着順の表示のところに数字がゆっくり点滅している。
その数字の先頭に立ったのはアーサーの「7番」の数字だった。
「匠さん!」
結衣が匠を見つめる。
「やった…やったんですね!」
満面の笑みで応える匠に
「はい!やっぱりアーサーが勝ちました、良かったです、本当に良かった…」
その声を聞いた結衣の瞳には、潤んだようなあとが感じられた。
「結衣さんの応援が効きましたね…」
その言葉に結衣が頷くと
「はい…」
と言って掲示板に灯る数字を黙って二人で見つめた。
7…13…5…11…
少なくともアーサーが勝ったのを、並び順から匠は知っていた。
「(もしアーサーが2着以下だったら、13番の方が先に並ぶ。あとはハナ差かそれとも同着か…)」
どよめくスタンドを鎮めるように着差が次々と点灯された。
ハナ…ハナ…ハナ…
よくぞ判別できたというくらいギリギリの決着になっていたが、正確無比な判定を通してアーサーの優勝が確定した。
「よっしゃあ~!鮫浜、にっぽんいち~!」
「沖~!ちくしょう、2着だったのかよー!」
「まさかあ…粘ってると思ったのに…」
「仕方ない、玉城よくやってくれた…」
場内は様々な声に溢れしばらくどよめきが続いていたが、ほどなくして静まるとどこからか
「パチパチパチ…」
と拍手が漏れ出した。
最初は誰かが不意にしたような何気ない小さな拍手だったが、またひとつ、そしてふたつと広がり最後は波紋のように広がった。
「え…?」
匠は場内を見渡しながら結衣の方へ再び目を移すと、結衣も同様にスタンドを見つめ、そして最後は視線が重なった。
「…」
匠が頷くと結衣も頷き、その拍手の輪に加わっていくと、大きな歓声の中で
「ありがとー!」
という声もどこからか聞こえた。
パチパチパチ…パチパチパチ…
拍手の波が場内にさざめく。
それは匠が競馬を知る中で初めて味わった経験であり、しばらく拍手は鳴りやまないまま誰もいないゴールに響いていた。
払戻金が表示されても拍手は中々鳴りやむことなく、特別な結果を讃えるように、さざめきが場内に溢れていた。
パチパチパチ…パチパチパチ…
鳴りやまない拍手が続いていた。
アーサーはその喝采に包まれ、2歳王者の栄冠を手にした。
次回予告
無敗で2歳王者の座についたアーサーを見届けた匠と結衣。
連れ立って駅へ向かう帰り道、善男からの電話がかかってきて…?
はじまりは:競馬小説「アーサーの奇跡」第1話 夏のひかり