競馬小説「アーサーの奇跡」第21話 自分の気持ち

前回までのあらすじ

 

2歳王者を目指して川崎に出走するアーサーを追いかけて

匠は一人馬券を買い終えてパドックでその姿を待ちますが…。

競馬小説「アーサーの奇跡」第20話 全日本2歳優駿当日

競馬小説「アーサーの奇跡」第21話

第21話 自分の気持ち

 

匠はただアーサーを待っていた。

ただ、というには様々なことが頭をよぎる時間ではあったが、一眼レフの電池を確かめて、過去の画像を見たりして過ごした。

 

さすがに12月のナイターではコートが必要な気温だったが、まだ川崎競馬場は晩秋、それを思わせる空気感だった。

ひんやりとするが風はあまりなく、頬も切れるような寒さではない。

メインレースの前のパドックでは最前列から離れなかったが、レース前に一度人がはけると背中が少し寒く感じられた。

 

「(そろそろ、時間が近づいてきたな…)」

匠はそれを想う時なぜだか、胸が締め付けられる気がしていた。

「(あれ?なんだろう。緊張してきた。まだレースも始まっていないのに…)」

自分でも不思議に思っていたが、それをかき消す声が聞こえてきた。

 

「…匠さん?」

聞き覚えのある透き通った声。

柔らかく芯のある声の方へ、振り向くと懐かしい香りがした。

「やっぱり!」

軽く握った右手を胸に当て、疑問の答えを確かめるように、その声の主が透き通るような眼差しで匠をうかがっていた。

 

「結衣さん!やっぱり来ていたんですね!」

驚きと嬉しさがあふれ出した匠は自然に笑顔がこぼれた。

 

「後ろ姿が匠さんに似てて、2階の通路から見えたんですが…分からなくて、ひとつ前のレースで発券所の方に行くのが見えて…。馬券買って振り返ったのを見て、やっぱり匠さんだって分かって」

「え、おれのあとをつけてたんですか?なんか変なことしてなかったです?」

慌てる匠に

「いつもは変なこと、してるんですか?」

結衣がくすくすと返答した。

 

「…もう結衣さん。すぐからかうんだから。でもお会いできて嬉しかったです…」

とっさに力が抜けた瞬間に本音を喋ってしまった匠は

「(しまった!つい口に出しちゃった)」

と慌てて口を抑えて結衣を見た。

 

「匠さんて、なんか面白いです」

コートの袖からしなやかにのぞく整った指を口元にあてて、目を細めて笑う結衣の瞳に胸が高鳴ってくる匠だった。

「(あ…おれ…)」

匠は自分の気持ちに気づいた。

すると益々どこを向いていいか分からなくなり、つい背を向けていた。

そして背中を向けながら

「結衣さんは、またどうしてこんな冬の寒いナイター競馬にわざわざ?」

と口調を整えて尋ねた。

 

「匠さん、さっき私に気づいて、“やっぱり”って言っていませんでした?まるでここにいるの知ってたように…」

ドキッとした匠は一呼吸し、釈明するようにそれに答えた。

「実は…。結衣さんがこの前ここで、猫を撫でているのを目撃して。ほら、ちょうどあの辺りでしたよね、野良猫かな?ビジョンの下辺りで…」

指を差して説明する匠に

「はい。あの時は猫が可愛くて。どうしてこんなところにいるのって、子どもみたいに聞いていたんです」

結衣が隣に立ってそう答えた。

「そうなんですか、猫、好きなんですね」

「はい。あの自由気ままなところが…」

匠の声に結衣がそう答えた。

 

「それにしても」

「?」

「撫でているのを“目撃”したなんて、何かわたし悪いことしたみたい…」

うつむきながらそうつぶやく結衣に

「ああおれ、変なこと言いましたよね?えっと…その…ごめんなさい」

匠は言い返せずに謝った。

 

そんな匠を結衣がじっと見つめ、無言のまま口をつぐんでいると、段々と表情が緩んできて

「ふふっ、ごめんなさい。匠さんてば、本当にすぐ気にするんですから」

結衣が小さくその肩を揺らした。

 

匠はそれを見て一息つくと

「結衣さんにはどうも勝てないようで…」

諦めたようにそう答えた。

 

匠の後ろでは次のレースが始まるファンファーレが聞こえてきて、その音を聞き取りながら匠は、微笑む結衣の表情を見ていた。

 

次回予告

 

結衣と再会し自分の気持ちにはっきりと気づいてしまった匠。

一方結衣は次々と出走各馬の状態を見抜くのでした…

 

次回:競馬小説「アーサーの奇跡」第22話 パドックにて

前回は:競馬小説「アーサーの奇跡」第20話 全日本2歳優駿当日

はじまりは:競馬小説「アーサーの奇跡」第1話 夏のひかり

 

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