競馬とは何か。プロ競馬ライターとして・・・。

☆競馬の現実

 

競馬は面白い。それは一個人として感じている気持ちです。

パドックに馬が入ってきて、その美しい馬体と対面するとき

はしくれは心から競馬が好きだと感じます。

 

ただ、競走馬たちの現実はとても過酷なものであり

そこから目を背けていてはいけないとも思います。

人間のために精一杯走ってくれる競走馬たちのために

プロの競馬ライターとしてはしくれに何ができるのか。

競馬産業に関わっている一個人としての考えを

この場所で表現していきたいと思います。

 

☆競馬のタブー

 

競走馬の命について言及するという事は

本来競馬関係者としてはタブーとされる話です。

もし競馬を悪とするなら、自分の首を絞める事になり

様々な罪悪感から苦しむ事になるからです。

 

ただ、この問題についてはいずれ触れなければいけない

そんな思いがありました。

それは、はしくれ個人の頭を常にもたげてきた問題だからです。

 

そんな中、先日自身が足を骨折した事もあり

多くの怪我に苦しんでいる競走馬たちが頭に浮かび

改めてこの事について向き合いたいと思いました。

 

そして、この機会にはしくれが競馬をどう見ているのかについて

普段から当ブログをご覧下さっているあなたに

率直な考えをお伝えしたいと思いました。

 

☆競馬は残酷

 

この事に関しては下記の外部リンク

ベジ漫画Natsumiのビーガン日和

にて非常に良くまとまっていますので、そちらをご参照ください。

衝撃的な内容ですので、閲覧はご自身の意思でお願い致します。

(当記事作成時2018 2/7現在、リンクはご自由にとありましたので参照させて頂きます)

 

この「競馬は残酷」というテーマになりますが

このテーマははしくれ自身の思いそのものでもあります。

Natsumiさんの仰る事にはまず反論ができません。

競馬擁護派の方々がこの記事に対し反論を述べていますが

はっきり言って論点がずれていてまともな反論がありません。

 

競馬を廃止する方向で語られている記事ですが

競馬を廃止するとなったら失業者をどうするのかとか

じゃあ犬や猫のペット業界はどうして取り上げないんだという

この記事に対しての反論のコメントが出てきます。

 

ですがNatsumiさんはこの記事を通して

競走馬の酷使(虐待)の事実を語っているだけであり

それ以外の事については何ら論じていません。

記事に対しての反論は、競走馬を酷使している問題とは全く別の問題です。

 

こういう問題のすり替えは論理的思考の欠如であり

反論する側の人間の事実の認識力が問われます。

この事は当ブログのメインテーマとなっている

「競馬の収支改善」にも重大な影響をもたらします。

 

競馬は残酷なものです。

目の前にある事実からは誰も逃げる事ができません。

事実は動かないのです。

 

 

☆競走馬は哀しい生き物

 

実は、この点がはしくれが競馬に夢中になった要因のひとつです。

正直に申しますと、はしくれは今に至るまで幸せではありませんでした。

今に関して述べるにしても、以前よりは幸せと言ったところでしょうか。

 

あまり個人的な話はしたくないので伏せますが

この不幸な感覚と競走馬の不幸な運命そのものが

それに抗う走りと重なり、競走馬への共感となり、そして感動に至るのでした。

 

ドラマがあるから美しいとか、馬が大好きだからとかでなく

この過酷な現実から逃れるヒーローのように感じていました。

よく、競馬からものを教わるという話を聞きますが

人間が作り出した生存競争を生きているという点で

競走馬と自分を重ねて考えるのは、はしくれにとっては自然でした。

 

☆生命への共感

 

動物愛護をする方々をはしくれは立派だと思います。

そして、その愛護の根底には感情の共感があるわけです。

自分がこうなったら嫌だとか、可哀想という眼差しです。

ところが、はしくれの場合にはこれが

全く同じメカニズムで別の方向に働きました。

 

ああ、なんて理不尽な世界なんだろう。

お前も、不幸な中で生きてるんだな・・・

お前も、おれと一緒か。

そんな共感です。

 

GⅠを勝ち、種牡馬になったり

引退しても功労馬として生かされている馬は稀です。

はしくれが競馬の入門として夢中になった競馬ゲームでは

引退したあとは殆ど乗馬という嘘が用意されていましたが

現実では殺処分という厳しい結果が待っています。

 

それは人生に落ちこぼれた自分自身の命ですらも

希望を見出せないながらも生きたいと願うように

競走馬もまた目の前の現実から必死に逃げようとしている

そこに同じ哀しみを見つけたから、はしくれは共感したのです。

 

 

☆馬は柵を越えられない

 

よく

「幼いころに刷り込まれた考えは、大人になってからも拭う事ができない」

という事の例えに、この話があります。

 

馬は小さかった頃に高い柵を越えられなかった経験から

大人になって体が十分大きくなった後でさえも

超えられるはずの高さの柵を越えられないというのです。

 

競馬産業に関わっているはしくれたち人間は

競走馬とは違って違う職種を選択する事ができます。

ですから、競馬が例えなくなっても本来問題はないはずです。

でも、そう簡単に身の振りを決められないのは

人間もまた動物であり、正しい導きや出会いが無くては

この柵内の馬と同じように生き方を選べないからです。

 

はしくれも実際に競馬の仕事がとても大切ですし

その他に魅かれる仕事が無いのもまた事実です。

そして、競馬以外の事をやるにもこれ以上の気力が出ず

それだけに競馬は本当に大事な仕事、大事な趣味となっています。

 

☆解消されない矛盾

 

ここまでお話してきた事を一度まとめるとこうなります。

・競馬は残酷だ

・競走馬は哀れだ

・競走馬に共感する

・競馬は面白い

なんだか、無茶苦茶ですね。

 

誤解しないで頂きたいのは

競馬が残酷だから面白いというサディスティックな考えではなく

自分の人生と感情の共感があるから面白く感じたという事です。

 

幸せな人生を生きてきた人が競馬を初めて見た時に

その真実を知ったとしたら面白いとは言わないでしょう。

それを知ってもはしくれが競馬を面白く感じてしまうのは

ごく個人的な人生の悩みが背景として重なるからです。

 

☆競馬で生活する僕は

 

以前からお伝えしていますが

はしくれが競馬で稼げている収入は僅かです。

プロの競馬予想家として契約をしていますが

それだけで食べていける訳ではありません。

 

もちろん生活費を稼ぐのに役立ってくれていますが

足りない分はバイトをするなど補うしかありません。

そうしてバイト先のおばちゃんに良く言われる言葉ですが

「あんたそんな仕事で子供を育てて行くつもりなの?」

と、追求されたりもします。

 

これに関してはなんとも言い返しようがないのですが

そうです。という返事しか思いつきません。

実際に子供に仕事を継がせる気はありませんし

競馬バカははしくれ一代限りで廃業したいと思っています。

ですが、競馬に対する執着や情熱を捨てる事など

現在のはしくれには到底できる気がしません。

 

それでも、今のはしくれにできる事が全くないわけではありません。

今後の競馬の在り方については考える事ができます。

競馬の未来を明るくするのに、必要な事は何でしょうか。

 

☆競馬の未来

 

残酷な現実に付き合わされる哀れな競走馬たち。

それを救う方法は様々に模索されていますが

ここでその活動については一切紹介致しません。

 

というのも、競馬を楽しむ個々人が

競馬の未来を本気で考えるべきだと思うからです。

そして自力で賛同できる活動を見つけて支援するか

少なくとも流れを変える声を上げるべきだと思います。

 

ともかく、プロの競馬ライターとして今のはしくれにできる事は

この場を借りてこのような記事を発信する事だけです。

 

ただ、敢えてごく個人的な考えを述べるとすれば

基本的には馬主になる方が最後まで所有馬の面倒をみるか

競馬の仕組みそのものを変えていくしかないと思います。

 

馬主の所有馬の頭数制限や生産頭数を抑えるとか

スピードに依存しない競馬に移行するとか・・・。

調教馬場もウッドチップを主体とするコース作りを推進するとか

ハードとソフトの両面からの見直しが必要でしょう。

 

 

☆この記事を書くにあたって

 

今回、競馬産業に生きる末端の人間として

競馬をどう捉えているかという考えをお話ししました。

全ての競走馬の命が尊いものであるように

競馬業界で生きる人たちの命もまた尊いです。

末端に携わるものとしてこの産業を良くしたいという気持ちはもちろんありますし

その考えを述べる事が今のはしくれの限界です。

 

また、競馬の代替策としましては

競艇や競輪をやればいいという意見も散見されますが

選手が自分で道を選べる競艇や競輪では共感できず

競馬でなければ駄目だったはしくれのような人間もいます。

こういった人間にはこれらは無力な提案です。

 

はしくれはこの記事を通して

競馬をやるのを許されたいとか懺悔したいとは思いません。

むしろ競馬があまりにも自然に受け入れられるようになった昨今

競走馬の命の問題が根本的に忘れられているような危機感がありました。

この危機感は今後の競馬を少しでも良くする為に必要です。

 

改善すべき点が埋もれてはこの先が見えてきません。

はしくれは競馬から実に沢山の事を教わりましたが

競馬はまだまだ完成途上の娯楽、苦痛の娯楽なのです。

 

どうしたら良くなるのか。不幸を減らしていけるのか。

これからの競馬界はより、そこに取り組まなければならないでしょう。

それでもはしくれはこれからも、競馬をやめたいとは思えません。

 

競走馬の命の問題を見つめながら

これからも競馬と共に生きていきたいと思っています。

 

競馬を一生続けるために

競馬と馬券と生活を見つめたコラムです。

 

7 COMMENTS

高橋誠太

記事拝見しました。競馬の仕組みそのものを変えるというのは賛成です。競馬の残酷な現状を周りに把握してもらうだけでも効果はあると思います。こういった事に対して見て見ぬ振りはしたくないので、何か少しでも力になれることがあればお声かけください。

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はしくれ

高橋さん、誠意あるメッセージをいただきありがとうございます(^^)
はしくれは競馬サークルにいながら、このような記事を書くことに正直抵抗がなかったとは言えません。
ですが少しでも競馬の未来が良くなるようになればと思っています。
自分自身矛盾だらけで辛いときもあるのですが、まず一ファンとして簡単にできることは
「競走馬の悪口を言わない」
ことからだと思います。
はしくれは常にパドックの人混みに混じっているので
心無い言葉を馬や騎手に対してかける人をよく見かけます。
こういう尊敬を欠いた態度が命の軽視に繋がっている最初の部分のように感じます。
馬が走ってくれる。ありがたい。馬も人も命がけです。
そういう気持ちから変わっていくことがまずは最初のステップではないでしょうか(^^)
高橋さんなら既にその点はクリアされていると思いますし
高橋さんが他の人に強制する必要もありません。
ただ、高橋さんのような態度と気持ちをお持ちの競馬ファンの方が
これからも必要になることは間違いないと思います。
まずは見る側も「大事にしようよ」という気持ちでいたいものです。
長文、且つ解決とは程遠い回答になり申し訳ございません。
この産業は巨大ですし、はしくれの愛する職業でもあります。
複雑な問題ですが小さな一歩から前に進みましょう(^^)!

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